15.自己定義、他者定義。
Mr.DXのセッションを受け始めて、最初に提案されたのが自我に名前をつけることで。
(🍎詳細はこちら⇩)
次のステップとして出された課題が、両親をどう定義しているかを書き出すことだった。
いわゆる『他者定義』というやつだ。
◎お父さんはこんな人。
◎お母さんはこんな人。
◎兄弟(姉妹)はこんな人。
◎おじいちゃん、おばあちゃん、その他幼少期身近にいて影響を受けた人があれば、その人たちはこんな人。
自我の構造的に、他者を「こういう人」と定義することで自然と「私はこういう人」という『自己定義』ができあがる。
(🍎つまりはこういうことです⇩)
この『他者定義』をリスト化して見えてくるのは
◎両親から受け継いだ「○○はこうあるべき」というものの見方。
◎両親を反面教師として自ら作った「これが希望、願望、理想」といった視点。
つまり自我が持っている『物事に対する善悪』(=正しさ)が浮かび上がる。
それは結果的に『そういう正しさを持っている私』というセルフイメージが見つかるのだ。
加えてMr.DXからオプションとして出されたのが
両親が自分のことをどう定義していたかも書き出すことだった。
「あんたは○○な子やなぁ」
「お前は○○だなぁ」
と幼い頃親からよく言われていた言葉。
親の言葉というのは、子供にとってはとても大きな影響力がある。
そしてそれがそのままセルフイメージに紐づけられていることが多い。
こうやって出てきた
他者への定義、自己への定義はいわゆる
自我都合の『決めつけ』
であって、真実ではない。
その自我にとって「そう見えているだけ」なので。。。。。
\ そうで~す。これもフィクションで~す /
自我は定義づけが大好きだ。
人だけでなく、モノやコト、状況などあらゆるものを定義づけする。
その狙いは決めつけることでエネルギーを固定化し(出た!自我の得意技!)、「今」とつながれなくすることなのだけれど、こと人への定義づけは厄介だ。
「あの人はこういう人」「私はこういう人」と決めつけたとき自然と生まれるのは?
比較である。
例えば「あの人すごいね!」と他者をポジティブに定義したとき、そこには自動的に「すごくない私」が誕生する。
逆もまたしかり。
「あの人のこういうところが間違ってる」と他者をネガティブに定義したとき、そこにはおのずと「私は間違っていない」という自分へのポジティブなジャッジが生まれる。
さて、そうすることで次に立ち上がるのは?
感情だ。
他者と比べて「私の意見の方が正解だ」という自分の正しさ(存在価値)を証明しようとするとき感情が立ち上がる。
それが行き過ぎるとどうなるか?
争いが起きる。
意見のぶつかり合いというやつだ。
争いの根本原理はみな同じ。
それが夫婦や親子間の喧嘩といった身近なものから、国と国の戦争に至るまで規模の大小に関わらず争い事はすべて、自分の「正しさ」を証明しようとする者同士の戦いなのだ。
Mr.DXは言う。
『自己定義』『他者定義』は感情を立ち上げるための自我のワナです。
「私はこういう人」「あの人はこういう人」という定義づけをした途端、無意識下で優劣が生まれ、ジャッジが生まれ、結果的に感情が立ち上がる。
そうすることで過去の記憶に閉じ込められてしまうのです。
自我は感情を立ち上げさせるために『自己定義』『他者定義』させてるとしたら?
感情が立ち上がらない状態を選択によって作れるとしたら?
面白いですね~。
感情が立ち上がらない選択とは?
それは次回のお楽しみ。。。。。🍎
