78.Solo being.
『 Know-Wing 』では、自我の構造を知ると同時に「 Solo being 」の興味深い点についても語られる。
「 Solo being 」とは、タスクや役割りの証明に追われていないひとりでいる時間のこと。
お風呂に入っているとき、眠る前の静かなひととき、目的地のない散歩やひとり旅など。
また、そんなときに呼吸や心臓の鼓動、身体の触れている部位を感じる時間のことでもある。
今と意識と五感をひとつにするアクションだ。
はじめてMr.DXのセッションを受けた際、セッション中に指を見つめるワークを彼と一緒にしたのだが
頭の中のおしゃべりがうるさくて1分も集中できなかったのを覚えている。
その後1人になったときにワークをしても全然できず、思わずMr.DXにこんなラインを送った。
「 ワークが全然できません。何度もトライするのですが1分ももたないんです。。。 集中が続く何かよい方法はありませんか? 」
するとこんな返答が返ってきた。
長く続けられることを「 よし 」としていませんか?
続けられても、続けられなくてもよいとしたら?
いまできる範囲で構いません。
それを1日に何回かやってみましょう。
できたから「 えらい 」、できないと「 ダメだ 」なんてことはないんですよ。
自我は早く結果がほしい。
だから「 できている 」「 できていない 」をジャッジし、「 できるようになるためにはどうしたらよいか? 」と答えを急ぐ。
でもこれが逆に。
望む結果を得られない要因になっているとしたら?
「 期待する成果を得るためにはどうすればよいか? 」という自我特有の「 目的達成型思考 」が
目的を立ち上げ、方向性を定め、結果的に
「 もぉ~集中が続かない~💦 」という感情を立ち上げ、
「 いつまでたってもできない 」というフィクションにハマってしまうとしたら?
Mr.DXはそれを伝えるために
「 続けられても、続けられなくてもよいとしたら? 」という表現を使って
「 集中が続くことを善、続かないことを悪 」としているものの見方をフラットにしよう、と言ってくれていたのだと。
後になって知ったのだった。
そして自我は。
「 できているか 」「 できていないか 」を「 手応え 」が「 あるか 」 「 ないか 」で判断しようとする。
そもそも「 手応え 」とは何ぞや?という話で。
自我都合の解釈で「 これができてるってこと! 」という確証が得られたときはじめて自我は「 できてる判定 」を下すのだろうけど。。。
そんなものいつまでたっても得られない。
手応えなんてないんです。
意識の一部の状態には「 ものの見方 」がないので、
「 できている 」「 できていない 」を判断する概念や物差しがない。
ということは
自我がジャッジしているその状況や結果は真実でしょうか?
もしそれがフィクションだとしたら?
「 できている 」「 できていない 」がなくなる。
それが意識の一部の状態のポジションにいるということだろう。
「 あぁ~集中が続かない~。ワークができない~ 」
と言っている自我2を
「 そう思っているんだね~ 」という視点に立ち、ただ俯瞰する。
そして何のものの見方も持たず淡々とワークをする。
そこに何の理想も期待もなくなった「 無我 」の状態であるとき、集中が続く、続かないに捉われずワークに取り組めるのではと。
状況や結果に執着し、ジャッジしているとき、そこには必ず
「 こうありたい 」
という理想が立ち上がっている。
その望みを持っているのはだれ?
その期待が苦しみを生んでいるんだよ〜
というこの自我に向けてのお話でした🍎
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