136.幸せもフェイク。
幸せの定義は自我さんによって様々だ。
「 小さい頃からの夢が叶えば幸せ 」というものから
「 理想のパートナーに出会えれば幸せ 」「 収入が増えれば幸せ 」
「 家族みんなが健康であれば幸せ 」といったものまで、その内容は多岐にわたる。
自我の構造で興味深いのは、
それがどんなに些細なことであれ「 こうなったら幸せ 」という定義づけをしてしまうと
そこに理想が立ち上がり、「 そうならない現実 」が叶ってしまう、という点。
これを言い換えるなら
幸せを定義づけた途端、それが「 不幸の源泉 」に早変わりしてしまうということだ。
「 こうなったらいいな♡ 」「 あれが叶えば幸せだな ♪ 」という思いは、そうなれなかったとき
なんでそうなるのーーー!!!
になってしまう、ということ。
これを自我の「 自作自演 」と呼ぶ。
勝手に幸せを夢見て( 理想を掲げて )
勝手に絶望するというw
それをMr.DXはこう表現する。
「 理想と絶望はセット 」です。
で、もう少しここを深掘りしてみると。。。
そもそも自我が「 こうなったらいいな♡ 」「 あれが叶えば幸せだな ♪ 」という思いを抱くのはなぜか?
そこには
「 いま 」を否定する思いが根底にある。
「 これじゃない 」「 ここじゃない 」という「 いまここにあるもの 」への拒絶が、
「 これじゃないものが叶えば幸せになれる 」
「 ここじゃないどこかへ行けば幸せになれる 」
という夢を持たせるのだ。
ストレートに言ってしまうと
ホントは「 幸せになりたい 」のではなく、
「 いまここにはいたたまれない思い、をどうにかしたい! 」
というのが自我の本心。
それを、夢や理想を「 未来 」に持たせることで
「 いまここからの逃避 」を叶えてるのだ。
これが「 幸せになりたい 」の正体。
ということは
\幸せもフェイク/
「 ああなったら 」「 こうなったら 」は現実逃避するためのツールに過ぎないということだ。
それに氣づいた人たちは
「 外へ何かを求める 」ことをやめる。
「 いまここにあるもの 」に目を向け始める。
それが「 いまここに一旦落ち着いてみる 」という選択。
マインドフルネスであったり、【 Ness 】で言うと「 鼓動を感じる 」だ。
「 いま 」と「 意識 」と「 鼓動 」がつながったとき、
「 これじゃない 」「 ここじゃない 」と外へ外へと求める自我の欲求がなくなる。
そのかわりに現れるのは
「 これでいい 」という「 いまあるもの 」への受け入れであり
「 もうどこにも行かなくていい 」という
「 いまいる場所 」への許容。
そういう状態のことを「 無条件の幸せ 」、「 絶対的安心 」と呼ぶのかもしれない🍎
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