112.「 いまこの瞬間 」への否定。
自我は、「 いまこの瞬間 」には存在できない。
過去の記憶と、未来への妄想という「 時間軸 」の中で初めて存在することができる。
なぜって自我は思考でしかないから。
頭の中でしかその存在を確認することはできない。
ゆえに自我さんは
自分が存在できない
「 いまこの瞬間 」を嫌う。
そしてそれが、すべての苦しみの根本原因ではないかと。
自我は、いまここにあるものの否定から始まる。
「 いまある これじゃない 」「 いまいる ここじゃない 」
いつも目の前にあるものから目をそらし、
「 ないない、足りない! 」と言ってはどこかへ向かわせようとする。
その衝動が
目標を持たせ、夢を抱かせ、成長欲を掻き立てる。
目標が達成したら、夢が叶ったら、学びを深めて成長したら
\もっと幸せになれるのではないか?/
という妄想。
けれどこれはまぼろしで。
夢が叶ったところで、一瞬は幸せを感じられたとて、自我は
「 まだダメだ。まだ足りない! 」
と、まだまだ圧を強めてくる。
なぜって「 いまに満足できない 」のが自我だから。
三次元ではこれを「 向上心が高い 」などというポジティブワードで表現するが
自我の構造からすると、水面下で「 いまの自分ではまだダメだ 」という自己否定が強まっているのが本質で。。。
だからキツイ。
成長欲の高い人、向上心を持ち続けている人というのは、実は裏で相当自分にダメージを与えている。
これはフィクションの住人がやっていることで。
「 いまよりもっとよくなりたい 」という思いは、「 いまを否定し、未来を善とする 」自我的思考の現れなのだ。
がしかし。
私たちがいられるのはいつだって「 いま 」だけで。
だったら「 いまにいてみようよ 」と言う提案が、Mr.DXが推奨する「 Solo being 」なのだ。
「 いまにいる 」とは、五感を解釈なく「 ただ感じる 」。
鼓動を「 ただ感じる 」というもの。
そう。「 Nessでいる 」ということだ。
「 考える 」ではなく「 感じる 」にフォーカスする選択。
それが「 いま 」とのつながりを強くする。
ところが自我はこれに反発する。
いまにいられちゃ、存在できないから。
あの手この手で邪魔をする。
ボーッと遠くの景色を見ているとき、音の向こう側にある静寂を感じているとき、その時々で浮かんでくる思考( 頭のおしゃべり )は、自我の抵抗の現れだ。
そしてそれきっかけで
「 ボーっとするってこういう感じであってる? 」とか「 音の向こう側の静寂ってようわからん 」などと
感じることすらもジャッジの対象にしようとし始める。
ここで自我の声にのせられてしまうと、それができているのか否か、わかるか否かに捉われてしまい
ようわからん。 感じるって難しい。
となりがちなんだけど、よくみてみて。
それって誰の声?
はい、自我の声ですw
「 できる/できない 」「 わかる/わからない 」というのは自我の領域のお話。
一方で
「 感じる 」
もっと言うなら
「 もうすでに感じているものに氣づく 」
というのが「 Ness 」分野のお話。
そして
「 もうすでに感じているものに氣づく 」という選択そのものが
「 いまここにあるもの 」への否定のなさなのだ。
「 いまここにあるもの 」への否定のなさとは一体。。。
続きます🍎🍎
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