娘が母を殺すには?/三宅香帆
家のことが気になっています。
気になりはじめるきっかけになった本がいくつかあって、まずその1冊はエマヌエーレ・コッチャのその名もズバリ『家の哲学』です。
コッチャという哲学者自身は前から知っていて、著書も2冊読んだことがあったのですが、植物、メタモルフォーゼというテーマを続けたコッチャがどうして「家?」と思いつつ読みました。さすが独創的な視点で常に思考を展開するコッチャ。年明け1冊目に選んだのですが、浴室とトイレ、キャビネット、そしてペットという家に当たり前にあるものから、いかに僕らの生活の規律がつくられており、何がそこから排除されていて、その境界を変えてみると何が起こるかを展開していくさまが面白く、すぐに読み終わりました。
また、もう1冊が人類学者フィリップ・デスコラの『自然と文化を越えて』。タイトルどおり、西洋近代の自然/文化という二元論的境界線をもたない世界各地の民族の多自然的な世界観に迫りつつ、となれば当然ながら疑問になってくる、家の内と外という観念が彼らにあるのかどうかについて論考が展開されます。とりわけ非定住の暮らしをする人たちにとって「家」とはいったいなんだろうか、とか、そもそもそんな彼らが家という概念をもちうるのかとか。この本でも僕らの「家」という観念の狭隘さを知ることになります。
そして、もう1冊が今回紹介するのが、三宅香帆さんの『娘が母を殺すには?』です。物騒なタイトルですが、本当に殺す話ではありません。母離れというか、母の規範に縛られた状態から娘はいかにして抜け出せるのか?を問う本です。

僕のような男性からすると、娘がこんなにも母の呪縛に囚われてしまい、そこから抜け出すのがそんなにむずかしいものかと思ったりもしつつ、この本を読んでいると確かにまわりの女性もこうした面があるだろうなということは想像くらいはついたりもします。
そんな本なのですが、著書自身はこの本の問いについて、冒頭でこうまとめてくれています。
「娘」たちは、幼少期から母によって「それは世間が、ゆるさない」「そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ」と、呪文のように唱えられる。経済的に自立しても、結婚して姓が変わっても、母の介護を担当するような年齢になっても、繰り返し、繰り返し。そして、その呪文は、「母」から「娘」に受け継がれていく。 つまり「娘」にとって「世間」とはーほかでもない「母」のことではないか? 「母が許さないから」という言葉で自分を縛る類たちの姿を、私は何度見てきただろう。それはあるときは現実の友人であり、あるときはネット上のまだ見ぬ女性であり、あるときは小説のなかの主人公だった。
不思議でしょうがなかった。 なぜ娘たちは、「それは母が許さない」という言葉で、自らを縛ってしまうのだろう?
そう。これはそんなちょっと面倒で厄介な、けれどきっと日本国中どこにでもある母と娘の問題を扱った本です。
母の規範に苦しめられる娘
『イグアナの娘』『残酷な神が支配する』萩尾望都
『砂時計』芦原妃名子
『日出処の天子』山岸涼子
『イマジン』横村さとる
『なんで素敵にジャパネスク』氷室冴子
『乳と卵』川上未映子
『爪と目』藤野可
『吹上奇譚』『キッチン』吉本ばなな
『銀の夜』角田光代
『凪のお暇』コナリミサ
『SPY×FAMILY』遠藤達哉 などなど。

数々の小説や漫画、ドラマなどの「母殺し」のケースを作品の年代順に参照しつつ、それらの作品中でいくつもの「母殺し」が敢行され、いったんうまくいったかと思いきや、結局はさまざまな理由で未遂に終わってしまうことに読者である私たちは遭遇することになります。
殺しの手口によって失敗の理由もそれぞれ。
たとえば、『日出処の天子・完全版』での厩戸王子(この場合、正確には娘ではなく息子なのだが)のケースであれば、厩戸は同性である蘇我毛人(えみし)に恋をし、母の代替をパートナーに見いだそうとします。
厩戸は、毛人を他者として見ず、自分の一部のように愛そうとする。しかし、自分と他者を分離せずに愛そうとする様子には、まるで母が娘を支配するときに差し向けるような暴力性が宿っている。「あなたとだけいられればいい」という厩戸の愛情は、半ば毛人を縛る暴力なのだ。そして毛人は、「そのような愛は、成熟した大人同士の自立した関係ではない」と説く。自他の境界がつけられていない厩戸に、「あなたの母の代替になるつもりはない」「あなたは他者とかかわるべきだ」と。
この厩戸の例のように母代わりになるパートナーを見つけることで母の呪縛から逃れようとしてもうまくいかない失敗例だけでなく、母のような女性になることで許されようとしたり、はたまたシンプルに反抗したりしても、いつも娘の「母殺し」は失敗します。時にはかえって母の呪縛が強化されたり、娘自身がそれを再生産する側にまわってしまうことにもなったり。
古今東西、オイディプス王の話にしても、ハムレットやカラマーゾフの兄弟にしても、スターウォーズの場合でも、父殺しはたいてい成就して、それが息子の成熟プロセスを完成させてきました。
父殺しはいまもイニシエーションの儀式として多くの物語で描かれます。
なのに、母殺しはうまくいかないし、そもそもあまり物語られてもきませんでした。それは何故か?を問うなかで、著者は父/息子が垂直のヒエラルキーの関係であるから息子が父を乗り越える成熟の物語が成立する一方、母と娘の関係はそもそもヒエラルキー的な支配/被支配の関係ではなく、ヨコの平等な関係でのそのゾーン内における規範が元になっています。だから、母殺しは乗り越え(成熟)ではなく、規範の外への離脱=離反となってしまい、ゆえにむずかしいのだという点を指摘します。
父殺しはそのファミリーの長の座が変わってもファミリー自体は存続するのに対して、母殺しはファミリーからの離反、ファミリーの解体につながってしまう構図になっていると言えます。
ようするに、
娘は母の規範ゾーンから出ることを選択する――つまり母の規範を手放すことでしか、「母殺し」を達成することができない。
のです。

ドメスティック・ハラスメント?
娘がなぜ母の呪縛から逃れられないのか?もありますが、逆からみると、なぜ母は娘がそのように感じてしまう発言をしてしまうのか?ということもあります。
「結婚したほうが幸せになれる」「女性は容姿端麗でなくてはいけない」「あなたの体型は、太ってはいけないが、痩せすぎもよくない」「学歴をつけて男性に負けない稼ぎを得られるようになれ」「資格を取って、子どもを産んだ後も働き続けられるようにすべき」「あなたは母が望むような幸せを手に入れて、早く母を幸せにしてくれ」「『女の幸せ』なんて、あなたは言わないで」 このような言葉は、母から娘へ与えられてきた、ごくありふれた規範だ。そして娘は、そのような母の規範を守って生きる。なかには自分が母の規範を守って生きていることに気づかないほど、母の与えた価値規範を娘が内面化してしまっている場合も多いだろう。
こうした規範を母はどうして娘に課そうとするするのでしょう。
地域差もあると思いますが、僕の感覚だと15年くらき前までなら女性が母親にたびたび「まだ結婚しないの?」と言われて困っているという話をよく聞きました。これも母が娘に課す規範のひとつでしょう。さすがに最近はあまり聞かないなという印象がありますし、この発言って、いま、母親以外の人が言ったら普通にハラスメントだと訴えられるもののひとつなはずです。それなのに、なぜ、同じ言葉が母と娘のあいだではまかり通ってしまうのでしょう。
同じことを赤の他人が言えば「ハラスメント」と言われてしまいそうなことも、家庭内で、特に同性である母親が言う場合は、少なくとも現時点ではハラスメントとは認識されません。この先、それも「ドメスティック・ハラスメント」なる語が用いられるようになることもあるかもしれませんが、現時点ではこれだけハラスメント認定されることがらが増えているにも関わらず、娘にとって嫌がらせにも感じられることを母が言うことに関してはお咎めなしです。
この点を踏まえると、娘が母の規範に縛られてしまうこと以前に、母娘あるいは親子という関係に通常の社会における人間関係との明らかな相違があること、言い換えると、公共の場における人間関係とは別の行動原理が親子関係という私的領域に働いているのは何故なのか?が問われて良いのではないでしょうか。
母娘関係の問題が生まれる社会的構造
「あ、そうなんだ」と思ったのは、こんな記述です。
娘たちは2008年になってはじめて、「母が重い」と発言することをためらうのをやめ始めた。
いまでこそ「親ガチャ」とか「毒親」なんて言葉が普通に囁かれる世の中になっていますが、ほんの15年ほど前にようやく「母が重い」が言えるようになったということにあらためて驚いたわけです。先に「まだ結婚しないの?」が15年前までは聞かれた気がすると書きましたが、なんとなく辻褄があう気がします。そこから母娘関係を含めた親子関係の問題が社会的に議論してよい状況に変わってきたということなのでしょう。
でも、当たり前ですが、これは個々の母娘、親子の問題ではありません。個々の母娘、親子がそうした苦しい問題含みの関係になるのは、社会的な構造そのものにその要因を生み出してしまうシステムが働いているからです。
2008年頃に「母が重い」という言葉が文学作品に書かれるようになった背景も、著者はこう分析しています。
『乳と卵』も『爪と目』も、2000年代後半~2010年代前半が、文学において「母と娘の困難」というテーマが発見された時代であったことを示している。当時、娘たちは突然、母の問題について語り始めた。その背景には、世代の問題が存在する。 当時30代となった団塊ジュニア世代以降は、男女ともに大学進学率が急上昇した。しかし彼らは、就職する段階になって、就職氷河期に苦しんだ。そのため団塊ジュニア周辺世代の娘たちは、不安定な雇用ゆえに実家にずっといたり、結婚せずに母と仲良くし続けたり、産後に仕事を辞めざるを得ず、実家に帰ったりするようになった。結果として、「かつては教育熱心で、いまは夫とコミュニケーションをとらずに娘と仲良くし続けようとする母」と、「実家に住居や育児のサポートを頼っているがために、母と密着し続けてしまう娘」という構図が増幅した。
社会における経済的な状況が、娘を実家から離れにくい環境を生んで、それが母娘関係をさらに悪化しやすくしてしまっているということです。
社会におけるジェンダーギャップと母娘問題
著者は、もともと日本の社会において母娘問題が生じやすい理由として、男性は外で公的な仕事を、女性は家庭で家事やケアなどの私的領域の仕事を、という性的役割分担をはじめとするジェンダーギャップがあることをあげています。
父や息子は外に出て家にいなかったり、家のことを手伝うことからなんとなく除外されてしまうような風潮があるなかで、母は娘を頼らざるをえなくなり、娘もその期待に応えようとする構図ができやすいのだ、と。
日本のジェンダーギャップは、「娘」を親と対等の存在としてまなざす。そうした期待の視線のもとで、娘は親をケアする役割を担う。そしていつのまにか、「母」をケアする娘が誕生する。母娘密着は、こうして永遠になる。 母娘密着の原因をまとめると、以下の通りになる。
(1)母が夫より娘にケアを求めてしまうこと
(2)娘の経済的自立が困難なこと
(3)娘が母の人生に負い目を感じやすいこと
(4)娘は息子より「しっかりした子」であり、親と対等な存在として育てられやすいこと
なかなかにがんじがらめの、「母殺し」が困難な社会である。
そもそもジェンダーギャップの問題は、国際的にも批判され、1970年代には西洋諸国を中心にギャップの改善に向けての政策が社会にインストールされてきました。日本でも遅ればせながら、1986年、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」いわゆる男女雇用均等法が制定されます。
しかし、企業はこれを機に「総合職/一般職」というこれまでは異なるものの、事実上の男女別採用を導入することで有耶無耶にしてしまいました。そのため、この時点で女性の就労の傾向としてのM字型就労パターン(結婚、出産、子育て期の女性の就労率が下がる傾向)に1990年代はまだ大きな変化はありませんでした。
そのM字型就労パターンが台形に近づいたのが、2011年頃だと言われています。
これは共働き世帯数の変化をみても、その変化を知ることができます。
共働き世帯数は2000年、2010年、2020年で、それぞれ51%、56%、68%と推移しています。同じ10年スパンでも2000年、2010年のあいだは5%の増加なのに対して、2010年と2020年の12%と大きく伸びています。
つまり就労する女性が大きく増えたのが2010年以降だといえ、それほど日本における各家庭の経済状況が厳しくなってきたことが読みとれます。
このあたり、同時に何が起こっていたかというと、2004年に派遣労働の規制緩和が行われました。これが製造業にも拡大、男性労働者の非正規化が進みます。
それにより1995年の段階では2.9%だった男性の非正規雇用率が、2020年には14.4%にまで伸びています。女性も男性ほど伸び率は高くはありませんが26.8%から34.3%に推移。平均世帯年収が横ばいで推移しはじめたのも同時期です。やはり家庭の経済状況の悪化が見えます。
こうした経済的状況の悪化の影響もあると考えるのが自然だと思いますが、生涯未婚率は、2000年から2020年の間で、男性は12.6%から26.6%と4人に1人の割合で生涯未婚、女性のほうも5.8%から17.8%に伸びています。女性も男性も親元を離れにくい状況が生まれていると言えるでしょう。もちろん、これは少子化の原因でもあります。
こうした状況で、いまの「娘」である女性たちが、ひとむかし前のまだ経済的に豊かであった母の時代と同じように生きることはそもそも困難な社会状況になっているわけです。結婚することも、女性らしく仕事には就かずに家で家事をすることも、昔と比べてはるかにむずかしく、普通のことではなくなっています。
そんな風に社会が変化していてもそもそも社会にあまり触れた経験がなく社会状況にけっして明るいとは言えない母は自分が生きた時代の規範を娘にも課してしまいがちです。
団塊ジュニア世代の規たちに関しては、時代が母の規範通りに生きることを許さなかった。結婚や就職といった自己実現を、不景気が阻んだからだ。この時代、結婚も就職も一部の人のものになった。家を出ることができず、母子密着から脱出することができなかったか、一度は家を出たとしても、育児でまた母とかかわらざるを得ないが大半だった。 母規密着は続いたままなのに、母の規範通りに生きることはできないーそのような状況が、姫たちに「母が重い」という言葉を語らせた。一方で、女性の社会進出が進んだからこそ、姫たちは母について語る言葉を発することができるようになった。 そうして、はじめて娘たちは母への嫌悪を語った。
こうして母娘問題は再生産され続けます。
しかし、このように見れば、母殺しがむずかしくなっているのは、どう考えても個々の母や娘のせいではないことに気づきます。
大人/子どもギャップ
ここで、すこし視線を別に向けてみましょう。
歴史家のフィリップ・アリエスは『〈子供〉の誕生』を参照してみようと思います。
アリエスのこの本はタイトル通り、子どもという観念は歴史的につくられたものであることを示しています。
そして、ほんの冒頭近くで、ルネサンス期以降に家族と居住空間の概念が根本的に変化したことを、13-15世紀のイタリア・フィレンツェや17-18世紀のフランスを参照しつつ、同時に、子どもの社会的位置やプライバシーの概念の革命的な転換が生じたことも教えてくれます。
要約すると、こんな感じです。
まず中世においては、住居は公的空間との境界が曖昧で、家族生活は街路や共同体と密接に結びついていました。子どもは小さな大人として扱われ、家族の経済的単位として認識されていました。
たとえば、13世紀ー14世紀のフィレンツェでは、宮殿が防衛のための塔と一階にあって街路に向って開かれたロッジアによって特徴づけられており、そのロッジアには家族たちのみならず、友人たちやその他の客人たちが、この市街とこの都市の公共的活動に参加するために集っていたと言います。
人びとが塔へと避難する緊急のばあいを除き、公的生活は私的生活の延長となっていて、この2つの生活の連続性に断絶はなかったのです。
そもそも建築物としても宮殿は、隣接する建物からはっきり区分されておらず、まちの商店街への入口は、同時に宮殿やその階段への入口でもあったそうです。
その宮殿が徐々に私的空間へと変容し始めたのが15世紀でした。家族の内部に新たな感情が芽生え、子どもへのまなざしが変化し始めました。特に母子関係において、より親密で感情的な結びつきが生まれたことで、それまでは宮殿と区別されていない建物内に同居していた数々の商店や関係のない間借人たちも、立ちのかされていくことになります。建物そのものも宮殿とそれ以外が分離されるようになります。
17-18世紀になると、この変化はさらに加速します。住居が外部から遮断されるだけでなく、その内部においても部屋が機能的に分化し、廊下によって区切られるようになったのです。
その部屋の機能分割の背景には、子どもが大人から独立した存在として認識され、教育や感情的な育成の対象となったこともありました。子どもは単なる労働力や経済的資源ではなく、固有の人格と可能性を持つ存在として再定義されていったのが、この頃です。
家族は外部世界から区切られた親密な感情空間となり、子どもの養育と教育が中心的な価値となり、それと同時に住居も私事化したのです。
この段階で、日本なら密室となった家庭で母娘問題が生じそうな舞台装置が整っています。
この変化は、社会における大人と子どものギャップの創出として見ることが可能なはずです。ある意味、ジェンダーギャップより先に子どもを家庭内に閉じ込めるような社会通念が生まれ、深く社会にインストールされたのです。子どもは社会から、特に仕事という公的領域から切り離され(=排除され)、自分で生活の糧を得ることができない、非自律的なケアの対象にさせられました。あとで述べますが、同じことが日本でも、時代が遅れつつも起こっています。
この部分、母娘の問題の背景にジェンダーギャップを見た著者の三宅さんが見ることがなかったもうひとつの要因としての社会構造の問題があるのではと僕は考えます。「子どもは小さな大人として扱われ、家族の経済的単位として認識されて」いた13-14世紀のフィレンツェとは大きく異なり、母が娘をケアの不可欠な「子ども」という観念で見てしまう装置ができあがったのですから。
生産と生活の分離
三宅さんは、「他者への欲望を見つけること」を母の規範から抜け出すための方はとして提示しています。これには僕も大いに納得感があります。
社会構造上、母と娠は頑丈な密室に閉じ込められやすい。だが本書ではその密室構造のトリックを説明してきた。母の規範に縛られるのは、娘ののせいではない。社会構造が女性にケアの役割を固定し、母と娘を密室に閉じ込めようとする。しかし、娘はいつでも密室から脱出するべきである。そして、脱出する動機を持たせてくれる、他者への欲望を見つけるべきなのである。
でも、そもそもどうして「他者への欲望」を持つことで、母の規範だけではない、さまざまな規範に触れその混合によって、ひとりひとりが自身の規範をつくったり、それに密接に関係する自身の欲望をつくったりすることが、いまできなくなっているのでしょうか。
この背景には、生活からの生産からの分離ということが関係しているのではないかと僕は考えています。生産から分離されてしまっているがゆえに、一方的な消費者として社会のしくみの一部にしか触れられなくなっているのではないか、それにより家庭の内部に閉じ込められやすくなってしまっているのではないかと思うわけです。
消費あるいは生活が、そのために必要な財や価値を生産する仕事と切り離されて、生産に対する体験や意識、責任や欲望から隔離されてしまっているがゆえに、私たちの生活は油断していると、財の価値や意味を理解する機会が極端に減ってしまいやすくなっています。
これは必ずしも娘に限ったことではなく、男性でも自身の欲望がわからず、それゆえに自身の規範を見失っているケースは多々あるはずです。与えられて消費するだけでは(つまり、仕事をしている場合でも、与えられたタスクや作業を消費するだけである場合も含めて)、社会的な生産と消費、創造と破壊のサイクルに参加することができず、欲望も、規範を形成する責任も生じるはずがありません。
だから、これは一つ前の「庭の話」で書いたことにも通じます。
そんな風にグローバルレベルで相互依存が極大化した環境で、僕らが食べたり美容のために使う油をつくるために熱帯雨林が消滅し、生物多様性の微塵もないヤシの林に変わっていてもほとんどの人が意識もせずにいてしまうような、責任に巻き込まれていつつもその責任の所在がまるでわからない/自分たちの外にありそうだと思い込む(つまり、すべてが受動化されたまま)という、人間と事物、グローバルノースとサウスという二元論のなかで、いまだ機能し続ける能動/受動の構図を残したまま、はたして何故中動態の世界はすでに回復されていると言えてしまうのでしょうか?
労働組織かつ生活共同体としての家
先に13-14世紀のフィレンツェで「子どもは小さな大人として扱われ、家族の経済的単位として認識されて」いた話を紹介しましたが、これは実は日本でも同様でした。
むしろ日本においては戦後の高度経済成長期を迎えるまでは日本人のほとんどが従事していた第一次産業の村落共同体においては、子どもは共同体の生産に関わる一員としてカウントされていたほどです。
落合恵美子さんの『近代家族とフェミニズム』を参照しながら、このあたりの様子を紹介してみます。
よく知られているとおり、日本の村落共同体では家父長制を基盤として「家(イエ)制度」が浸透していたと言われています。
ただし、この村落共同体における「家」を現在の「家庭」と同様のものとみた上で家父長的を想像してしまうとは、実際どうだったのかを見誤ってしまいます。それはすくなくとも昔のほうが父親が横柄だったという話ではまったくありません。
当時の家父長は、いまの核家族より大きな拡大家族における、いわば「社長」のような存在だったからです。
13-14世紀のフィレンツェ同様、近世以降の日本の村落における「家」は血のつながりよりも、村落共同体における財や価値を生み出す労働組織かつそれを利用して暮らす生活共同体でした。
ですので、家庭での家族の親密性よりも、生産&生活共同体として共同体内の公共的な持続性またはそのための責任が重視される集団だったわけです。それはむしろ、いまの「会社」の方がイメージに近いもので、ただ違うのは生産だけを担うのではなく、同時に消費や生活も共同する共同体だったことです。その点では現在の「社会的連帯経済」の社会に重なるのかもしれません。そこでの家父長は、つまり経営者であり、組織の持続性に責任を持っていたわけです。
だから、「家」が続いていくことが何より重要され、子どもに恵まれなければ養子を迎えることも珍しくなかったし、村で一度途絶えた「家」があればそれを血のつながりのない人が再興することもあった、といいます。
個人よりも家業経営体の維持存続が最優先され、その目的のもとに養子や奉公人など非血縁成員も含む経営体だったわけです。
共同体の持続が家父長のマネジメント目標でした。
それは家の構成員にしても同様です。
ある意味、家の構成員全員がストックオプションをもった従業員のようなもので自分の働きが共同体全体の富を増やすことになり、結果それが自分にも分配されてかえってくる仕組みです。
だから「働く」という意味が、収入を得ることを目的に働くサラリーマンとは大きく異なるわけです。そこでは生産と消費は切り離されることなく一体化しており、規範は欲望とより親和的な状態であったはずです。
それが変わったのが、戦後の高度経済成長期に産業の中心が第一次産業から第2次、第3次産業に変わったときです。
村から都市へ人びとは移住し、親と子だけでなく、その祖父母はもちろん、親戚や丁稚奉公に来ているほかの血縁家族の子どもたちも含めた拡大家族は、都市においてバラバラの核家族を形成することになります。核家族は都市の団地や郊外の戸建て住宅に居を構え、父は会社に、母は家で家事・子育てにという分業が当たり前になっていきます。
その後はすでにみたとおり、経済の活気がなくなって女性は家事と仕事の両方の負担を担わなくていけなくなっています。その結果、小さな子どもは遅くまで保育園に預けられることになり、保育園外の友達はできにくくなって、母親と遊ぶ時間が増えて、以前よりさらに親子の密接度と愛着は深まっているといいます。
この密室度合いのより高まった状況で育った母娘がこれからどうなっていくのでしょうか。
これからの家
最初に書いた通り、いま「家」に関心をもっています。
これからの「家」ってどうあるべきなんだろう?という意味で。
三宅さんのこの言葉に、それを考えるヒントがあると思っています。
私は「たとえ母と娘の仲が良くても、『母殺し』はしておいたほうが、娘は生きやすいのではないか」と考えている。なぜなら、母の規範には無意識に縛られてしまうものであり、多くの娘がまずそのことに気づかないまま、自分の行動や趣味噌好や欲望そのものを縛ってしまっているからだ。生まれた家庭に自分の行動や欲望が縛られるのは、ある種当然のことかもしれない。しかし、ある程度大人になった段階で、それらを一度あえて「捨てる」行為をしておいたほうが、家族以外の他者と接しやすくなる。世界は広く、他人は家族だけではない。
「家族以外の他者と接しやすくなる」家とは何か?
「世界は広く、他人は家族だけではない」ことを日常的に接することができる家とはどうあるべきか? それを実現するためには?
冒頭紹介した『家の哲学』で、コッチャはこう書いています。
わたしたちは家を空間というよりは精神的なものと見なすことができるようになるであろうーそして家を所有財産あるいは遺産として残すべきものとする、世襲的かつ家父長的な論理から解放されうるであろう。わたしたちは、たった一つの家に住まうという考えを捨て去り、服を着替えるように家を替え、まるで他者の服に入り込むように、他者の家のあらゆる場所に入ることを学ぶべきだということになろう。
ファッションという着る人のアイデンティを身軽にする装置と比較しつつ、コッチャが拡張する「家」のかたちは、「世襲的かつ家父長的な論理から解放され」るため、「服を着替えるように家を替え」、「他者の服に入り込むように、他者の家のあらゆる場所に入る」という観点で、三宅さんのいう「家族以外の他者と接しやすく」「世界は広く、他人は家族だけではない」ことを感じられる家なのではないでしょうか。
そんな家がつくられ、そうした家が生産と生活を統合する装置として機能するようになったとき、娘はもっと自然に自身の欲望を見つけられるようになり、母娘問題から娘も母親も解放されるのではないかと思うのです。
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