貧乏神も神様やし
僕は生まれついてのミニマリストだ。
だけどミニマリストという言葉を知ったのはつい最近。
それまで貧乏性という言葉を使っていた。
「俺、生まれつきの貧乏性やねん」。
とは言え、生まれつきかどうかは怪しい。
幼少の頃の僕に経済観念なんてなかったし、裕福ではないものの貧しくもない暮らしの中で育った気がする。
1970年代初頭、景気の盛り上がりは庶民の生活にそれなりの影響を与えていたのだろう。駄菓子屋に行く僕に母親は毎日100円玉を握らせて「これでおつり貰っといで」と言った。当時二~三才の幼児が100円玉を持って駄菓子屋に来るのはやや珍しかったかも知れない。十円、二十円でガムやら飴玉を買っておつりが来る時代だ。まるでお金持ちのお坊ちゃま下町バージョンである。僕はのび太の顔したスネオだった。
しかし僕はスネオになれなかった。
100円あるからといって散財しない。それどころかひとつの駄菓子を買うのにも異常なほど迷って時間が掛かった。
すると駄菓子屋のおばちゃんがマジ切れする。
「そこの僕、早よ決め!買わへんのやったら帰れ!邪魔や!」
駄菓子屋のおばちゃんと聞けば皆さんは優しいおばちゃんを想像するだろうか?勿論、優しい駄菓子屋のおばちゃんはこの世にたくさん存在すると思う。しかし時代と土地柄のせいだろうか、僕の記憶の中の駄菓子屋のおばちゃんは恐ろしい鬼ばばあだ。しかしそれ以上に子供達は無邪気な天使ではなく無法者の悪ガキどもだった。よって駄菓子屋のおばちゃんに怒られるというのは僕らにとって通過儀礼のようものだった。言わばおばちゃんは下町の子供達に社会性を叩き込む鬼教官のようなもので、ある意味では無くてはならない存在でもあった。おばちゃんの話はどうでもいいのだけれど。
結局、散々迷ってガムのひとつでも買って、僕は毎日多額のおつりを母親に返すのだった。
さて、大人になっても僕はあまり変わらない。
いまだ買い物が苦手である。
特に服を買うのが苦手だ。
いつも同じような服。無地の長袖シャツ、黒ズボン、黒い靴、あとは大抵ジャージ。大体このパターンで何年も過ごしている。そして何かがボロボロになったら同じような物を補充する。
着たい服を選んでいるという感覚はなくて「嫌じゃなければOK、とにかく安い物」を基準にしている。
高度経済成長期後半に生まれてバブル期に育ったのに、なぜだか物を持ちたくなくて安い物ばかりを選んでしまう。
十五年ほど前に「弾き語りを始めよう」と思って買ったギターは定価二万円のアコギ。ギターとしては安価な部類だ。店頭にて19800円でケース・ストラップ・シールド付きでお買い得だった。最初から二万円以下と決めていたので打ってつけだった。
でも一番の決め手はそのギターの見た目に惚れたことだ。楽器のルックスは大切なのだ。今もそのギターを使っている。めちゃくちゃお気に入りだ。出来れば一生涯このギターで歌いたいと思っている。
しかし、ひとつ問題があった。
サービスで付いていたギターケースがすぐにボロボロになったのである。しかし新しいギターケースをなかなか買う気になれず、安全ピンで穴を塞いだり、ガムテープで内側から補正したりして何年も使い続けた。あまりにもひどくなったので二、三千円の安いケースを買ったが、それもまたすぐにボロボロに。僕の扱いが雑なのだろうか、その後も安いケースを買っては同じことを何度も繰り返している。安物買いの銭失いだ。そうやって過ごしているのは、やはり僕が「貧乏性」だからである。
そんな僕だが先日とうとう新しいギターケースを購入した。
今回はいつもより高くて丈夫な物を選ぼうと決心していた。梅田の楽器屋で六千円のケースと七千円のケースを見比べながら随分と迷った。
いつもなら必ず安さを重視する。
しかし今回は七千円のケースを選んだ。
新しいケースを背負いながら贅沢気分で夜の梅田を歩いた。
貧乏神も神様やし。

美しいだけじゃないけど美しい。
