自選短歌2025・谷たにし選
ついに毎月短歌の年間企画が生まれました。
毎月短歌でも毎月「入賞作」を決めておりますが、年間大賞となるともはやそれなりの規模の短歌大会と言っても良さそうです。
この1年間ほぼ毎月選評をしてきましたので、おそらく谷たにしに飽きている方も多いでしょう。
そこで、今回の「自選短歌2025」では毎月短歌の「金のたにし賞」などの賞ではなく、ランキング形式で一席〜二十席を決定させて頂きました(もうすぐたにし賞はなし、代わりに「歌人賞」を2名選出)。
毎月短歌で金や銀など上位作品になったからといって年間の自選部門に自動的に入ってしまうことがないように、今回はすべての歌を一から拝見した上で選考を行いました。
…というと全ての歌をフラットに、客観的に評価したように思えるかもしれませんが、ウソはつけません。
何せ毎月入賞に選んでいるお歌はぼくの短歌ライフに多大な影響を与えた(ている)、記憶に残り続けるお歌だからです。出詠一覧を見ながら「やっぱり出てきたか、この歌…!」「あの月は採らなかったけど名作だと思ったんだよなぁ…」「あ、〇〇さんの歌だったなこれは」と個人的な思いが溢れながら選評してしまいました。
もしかすると、順位にそんな過去たちが反映されてしまっているかもしれませんが、ご了承ください。
※通常回の毎月短歌同様、作者名は見ないで選評をしておりますが、年間部門ということもあり過去に出詠されているお歌の一部は作者を僕が把握していることもあったという意味です。
通常回の毎月短歌では、過去の入賞は一切関係なく毎回フラットに選評していることを申し添えます。
「自選短歌2025」の結果発表につきましては、今回のNOTE公開の前に行いましたスペースにて事前に発表しております。
スペースの録音はこちら💁♂️
(スペース内ではNOTEとは異なる感想も述べております)
はじまりました。自選短歌2025発表です。#短歌のきもちhttps://t.co/XY8rj1Rv7i
— 谷たにし (@tanishi617) February 21, 2026
それでは大変お待たせしました!
自選短歌2025【谷たにし選】の発表です!
自選短歌2025【谷たにし選】
一席〜五席
(一席)
超巨大迷子センター夜の街 誰かの迎えをみんな待ってる/にいたかりんご
第23回 毎月短歌 自選部門【金のたにし賞】にも選ばせていただいたお歌ですが、未だにぼくの心に強く残っています。
特に下の句「誰かの迎えをみんな待ってる」にはどこか「ひとりじゃないんだよ」と言われている気がして、社会に適応するために仕方なく身につけていた(しまった)ものをたまには降ろして、あるがままの気持ちを出してもいいんじゃないかと言われているようです。
誰にも言われてないけどなんとなく我慢を選択してきた僕たちは(主語にかってにあなたを巻き込んですみません)、そもそもなんで我慢しているのかすら「迷子」のままなんとなく生きてきました。いや、本当を見るのが怖いから、それが都合が良かったのかもしれません。
現代において言いにくくなった本音というものを叫ぶ場所のひとつに短歌があるとすれば、僕も「誰か」の迎えをちゃんと待てるひとになりたいと思わせてくれました。
これからも、短歌に込められたあなたの本音を、なるべく受け止められるようにがんばりたいと思います。名作だと思います。
(二席)
ホームドアを設置した人のやさしさで成仏できない幽霊がいる/金井美月
第24回 毎月短歌 自選部門【金のたにし賞】で採らせていただいたお歌です。
毎日、マスコミからは事件や事故、騒動、戦争などなど悲しみの原石が投げつけられています。
はたして、世の中は絶望しかないのでしょうか。
これは反語ではありません。僕にはまだその答えが分かりません。この歌には、「答え」を全て出し切らないがゆえの光り方を感じます。やさしさとは毒にも薬にもなる気がします。照れ隠しではなく本当にやさしさを受けることが辛いときもある。でも、どうやら「やさしさ」というものは少なからず存在はしているみたいです。
ホームドア、幽霊の取り合わせに緊張感が生まれていることを「やさしさ」が上手に活かしている歌だと思います。傑作と言っていいと思います。
(三席)
また夏は断りもなく終わろうとして、見て、空に、雲、いわし雲/真朱
「、」の使い方に心打たれました。
生々しい息継ぎを吹き込んだことで、音として言葉が聞こえてきそうな歌になっています。「見て」と主体さんが言った相手はどんな人なのでしょう。そのヒントとしての上の句だとすれば、方向性はさておき本音で向き合っている相手に向かっている歌なのかなと推測しました。
「雲、いわし雲」はリフレインというよりは「噛み締める」所作に思われました。季節の移ろいを噛み締めるとき、そこには感情の移ろいが乗っているのかもしれません。
この歌に出逢えたことで、僕たちの心の移ろいに季節が大きく寄与していることを実感できた気がします。傑作と言っていいと思います。
(四席)
ラジオから流れる曲が胸ぐらをつかんでわたしに夢をみせない/natsuko
僕も(は)それなりにラジオっ子で、radikoやpodcastを聴かない週はないくらいでした。この歌は、そんなあの頃の自分に送りたい一首でした。たまたま流れてきた、コーナーとコーナーの間の一曲が後々の自分の音楽の嗜好を築いていることが「胸ぐらをつかんで」にあまりにも僕の中で合致してしまい、そのフレーズが毎月短歌で視界に入った瞬間の「あ、出逢ったな」という感覚がいまだに思い出されます。傑作といっていいと思います。
(五席)
一人ずつ旅から覚めた顔になる三鷹駅から私も定期/りのん
この歌は今回の企画ではじめて出逢った一首です。つまり、毎月短歌などの過去のイベントで出会ってから忘れられない…とは異なる、シンプルに歌そのものが僕個人にとても響いた、という入賞になります。
このお歌からは、旅とは非現実であるというメッセージを受け取ることができます。それは現実がちゃんと主体さんに接しているからこその概念であり、三鷹という具体的な地名や定期という出勤や通学を連想させるワードがちゃんと現実を掴んでいます。
そして、私「も」の「も」の使い方がとても刺さりました。この感覚が自分だけではなく、知らない人であったとしても確かに存在していることを思わせます。先ほど、旅とは非現実という表現をしましたが、非現実という言葉自体、主眼は現実にありますね。現実があるから旅は輝く、という言い換えもできそうです。傑作と言っていいと思います。
自選短歌2025【谷たにし選】
六席〜十席
(六席)
船籍と違う港に帰り着くあなたの住まうちいさな町の/まさけ
もしこの歌を見て「あの歌か!」となったあなたはだいぶ僕の人生に無縁ではなくなってきたようです。2024年8月に開催しました「祝!谷たにし結婚記念短歌大会」で大賞に輝いたお歌です。
正直にいえば、僕たちの結婚というターニングポイントで生まれた歌を「自選短歌2025」に選んでくれたということ自体もとても嬉しかったです。
でも贔屓をしたというつもりもなく、歌としてとてもいい歌ではないかと思います。あえて詳しい感想は記念短歌大会の方に譲りますが、小さい港をこれからもしっかりと守っていきたいと思います。大賞に相応しい一首でした。
(七席)
車道へとおりてしまった花びらもきっと誰かに愛されていた/宮緒かよ
この歌の着眼点はどうして生まれたのか、という主体さんの人生を想像してしまう一首です。
僕たちは安易に命や死、愛、勇気、失望に触れようと求めてしまいがちですが(安易に、というのは言い過ぎかもしれませんが、敢えて言葉を選ばずに書かせていただきました)、思ったよりも近くにその要素は存在しているのかもしれません。むしろ近すぎるから見えないとすら言えそうです、石川啄木ではありませんが。このお歌にはそんな見ようとしないと見えない命の愛のつながりを見せてくれたと思います。
(八席)
マンタかわいい マンタかわいいよね きっと同じ光の中にいるよね/金井水月
繰り返しなのに、意味が全然異なるという構造がすごいなと思いました。「マンタかわいい」というマンタそのものへの感想に対する、「マンタかわいいよ『ね』」という相手に向けられたベクトル、そして「ね」を介する主体さんと相手の思いの疎通…いや、改めてよくこんな構造作れるよなぁ、と関心しました。天才です。
(九席)
電線をつま弾くように飛行機がソドミラドミラ何かはじまる/せんぱい
つい最近の第30回 毎月短歌 自選部門【金のたにし賞】の作品ですが、年間部門にも入れさせていただきました。「ソドミラドミラ」という存在しない音が文字になることで景色に何か感情がのっていることが伝わります。あえて「何か」というぼかし方をすることで読み手なりのターニングポイントを当てはめる余地がある点もいいなと思いました。
(十席)
二時半の雨が作った水たまりそれに飛び込む四時半の雨/北狐
水たまりに新しく雨が降ってきた、という日常どこにでもある景色ですが、そこにフォーカスを当てることができるのは誰でも、という訳にはいきません。二時半という過去の雨があるから、四時(そのとき)に降った雨は水たまりに合流できた。そのように考えれば、現在は過去の何かしらの影響を受けていて、全ては何かと繋がっているという想いにつながります。現在完了形の体現、といった一首です。過去や現在という言葉を直接選ばなかった点が功を奏していると思いました。
自選短歌2025【谷たにし選】
十一席〜十五席
(十一席)
しあわせになりたいのではなくわたしくるしみたくない 納豆まぜる/綿鍋和智子
表現を捏ねくり回さずにありのままをストレートに書いたことで、気持ちがダイレクトに強く読み手に刺さる、届くお歌だと思います。わたし「は」などの助詞を入れて整えないこともとても良いと思います。きっと整えてしまうとそれは裸の心ではない気がするからです。「くるしみたくない」という言葉は書くことさえ勇気がいると思いますが、その勇気こそ僕はこの歌の真価だと信じています。
(十二席)
小さな手みかんを剥けるようになりみかん屋さんは今日で失業/岡田道一
「失業」というかなり強くて通常ネガティブに捉えがちな言葉が、逆にカウンターのように活かされていると思います。失業と書かれているのに、歌の主眼は小さな手を持ったお子さまの成長を実感している親としての在り方にあるというあたたかなお歌です。お子さまの成長はある意味で親としての成長の証でもあると思いました。僕はまだひとの親ではないので偉そうなことは言えませんが…。
(十三席)
装丁をそうちょうと呼んでいた頃は本を買うのが怖くなかった/奈路侃
第28回 毎月短歌 自選部門【銀のたにし賞】の一首です。本というものの在り方については、つい紙の本vs電子書籍という構図になってしまいがちです。ところが、このお歌では「大人になる前の本の選び方(買い方)」と「今、大人になって買う本の選び方(買い方)」という独自の着眼点が光っています。本の選び方にその人の今の生き方、大切にしている感性が投影されていると思うと、色々知った(知ってしまった)という自己の変化を見つめるキッカケをみているようです。
(十四席)
鏡の国のローソンだ レジ打ちの田中は中田 心臓は右/仙田てん
単なる言葉あそびに終始させなかった点に歌人としての力を見ました。中の「田中は中田」でクスッとさせておいて、それをギャップとしての「心臓は右」といういわば生命のアシンメトリーという大きなテーマに触れています。ローソンという身近さもギャップになっていて、壮大なテーマに挑んだのではないかなと想像しました。
(十五席)
天丼のえびのしっぽが残ってて好きな人でもできたのだろう/あをい
(十一席)「小さな手…」と同じように親としての着眼のお歌と思われますが、「気づいてないようで気づいているんだよ」というメッセージが色濃く感じられます。これは想像ですが、きっと気づいてはいるけど一切の介入はしない。でも気にはなる。という見守り方なのかなと思いました。
自選短歌2025【谷たにし選】
十六席〜二十席
(十六席)
咲きかけの桜並木をゆくように試験官は机間巡視す/雪風みなと
試験監督官の歩く速度って日常の徒歩の速度とは異なる、なんとも言えないあの立場ならではの速度ですよね。よくあの速度に「咲きかけの桜並木をゆくように」という形容を見つけたなと思いました。これは発明といっていいでしょう。
(十七席)
作業用BGMを最後まで聞けた試しがない 扇状地/金井水月
寝るときに作業用BGMを流すたびに、この歌を思い出すようになってしまいました。それくらい僕の生活に寄り添ってくれている一首ですので、入れないわけにはいきません。まだ聴けていない部分に、未知の世界に楽しみがある、そんな展望が「扇状地」に重なります。
(十八席)
一番になりたいけれど毒リンゴだけはできれば使いたくない/谷まのん
第25回 毎月短歌 自選部門【もうすぐたにし賞】で採らせていただいた一首です。結婚したので詳しくは書きませんが、ものすごく分かります。そして、この歌に女性だからどうとか、男性だからどうということはないとおもいます。真っ当に人を恥ずかしくなるくらい好きになり、勇気を出さないといけない、想いを抑えられない状態にある全ての人に届くお歌です。
(十九席)
落日をジャングルジムに閉じこめて美術館へと変わる公園/りのん
毎月短歌の選評でも触れましたが、息を飲むほどの絶景です。絶景たらしめているのは夕日ではなく、そこに子どもが無邪気に遊んでいた痕跡が重なっているからではないでしょうか。まるでジャングルジムが額縁になったみたいになっていますが、額縁によって絵の映り方は異なりますもんね。
(二十席)
もうママを辞めたいなんて言ったことマックシェイクで吸い込んでいる/奥 かすみ
つい、咄嗟に、出てしまった本音というものは自分にとってショックなものです。「まさか自分がそんなことを思っていたなんて」というショックと、「そんなこと思ってはいけない」という禁忌を踏んでしまった様子が想像されます。この歌は「吸い込んで」あたりに食いしばろうとする母親としての勇姿と言えるのではないでしょうか。
谷たにし的2025歌人賞🐚
いわゆる特別賞として、自選短歌2025を含めた2025年の毎月短歌においてたくさん名歌を詠んだと思う2名を「谷たにし的歌人賞」として選ばせていただきます。年間企画ならではって感じですね。
① 汐留ライス 殿
汐留ライスさんの歌は、たくさんの歌に囲まれていても「あ、汐留ライスさんの歌っぽいな」と分かります。それくらい作風が出来上がっているのはもはや才能だと思います。数首をとりあげます。2026年も是非選評を苦しめて(?)いただければと思います。
5分後に世界が終わるというのにカップ麺が4分のやつだ/汐留ライス
→世界滅亡とカップ麺の共存なんか常人には浮かびません。恐ろしい発想力です。破調であることがもはや世界が滅ぶときには定型も何もないということの現れなのかと深読みさえしてしまいます。
怪獣が花壇をよけて歩いてく結果わたしの家が踏まれた/汐留ライス
→怪獣という脅威にも花を踏んではいけないという心がある。そんな心ある(?)恐竜でさえ踏んでいく主体さんの自宅…主体さんのえも言われぬ哀愁たるや。悲しみ、というより哀しみといった一首です。
アツアツの小籠包が口の中にあって革命どころではない/汐留ライス
→下の句「革命どころではない」というフレーズが鮮烈です。僕たちが死にものぐるいで真剣に悩んでいたり、苦しんでいることって案外そんなもんなのかもしれないな、とか。
② 椿泰文 殿
毎月短歌でも複数回採らせていただいておりますが、全体の選評が終わった後にお名前を拝見すると、とにかく作風がブレていないことに気がつきます。言葉にすると野暮ですが、あえて言えば「静かに広く広く世界を語る」作風という印象です。数首取り上げさせていただきます。
静かなる都心の白きヤブミョウガ亀は吾を見て池に飛び込む/椿泰文
→僕は東京に数えるくらいしか行ったことがありませんが、「都心」にも「静かなる」はちゃんも探せばあるんだなと知りました。まるで読み手を厳かな庭園に連れて行ってくれるようなお歌です。
スーパーの百人の父似顔絵はみな笑ってる二人を除き/椿泰文
→「いやー、ものすごいところに手を出したな…(褒め言葉)」という言葉自体は難しくないのに、内容はどこかスリリングな一首です。踏み入るのが勇気がいるところにもちゃんと立ち向かったお歌だと思います。
(むしろ98人の似顔絵の「みな」の方が問題なのか、とさえ)
この星におりた鬼たちやさしくて実は豆など怖くないのだ/椿泰文
→「ひとは見た目が第一」という本がベストセラーになったことがありました。でも、第一とは100%と同値ではないはずです。好き好んで今の見た目になっているわけではない人もいるはずで、「本質」を追求している姿を垣間見る一首です。
お知らせ📢
いかがでしたでしょうか?
「うわぁ!やっぱりあの歌(人)かぁ!」とか「おぉ!あの歌(人)入ったかぁ!」とか「俺(私)の名前がねぇじゃん💢」など様々な感想があるかと存じます。
そのすべてに対してリアクションしておくと、
「次はあなたの番です、来月以降の毎月短歌でお待ちしております」。
自選短歌2025には「B面」という裏企画もあり、次世代短歌の公式では「選評はありません」とのことですが…
僕はほっとけない性分ですので、「B面」もNOTEにて取り上げさせていただきます!
少しお時間いただきますが、B面もお楽しみに。
(あ、スペース内で触れましたフォロワー500名記念企画の「アレ」は明日:2/23(月)の午後に発表します。ご参加、お待ちしております。)
それでは、また短歌でお逢いしましょう。
2025.02.22
谷たにし
