第32回 毎月短歌 【自選部門】選評結果 谷たにし選
散歩はいいですよ。
先週末は忙しいのに暇で(伝わりますでしょうか…?)、近くの公園を理由もなく歩いてみました。今までは歩くときには色々考え込んだり、目的を無理矢理作り出していたということに、「散歩」という時間を設けることではじめて実感がもてた気がします。
あたりまえですが、散歩に若いとか若くないは関係ないのですね。
むしろ、時間がないから、気持ちの整理がつかないから、考え詰めてしまいそうだから、あえて「散歩」を確保してみるというのはいいのかもしれません。結果として、作る予定もなかった短歌が「ポン」と浮かびました。
やるかやらないかはもちろん皆さましだいです。
ただ、何となく歌人には散歩が必要なときがあるような気がしたのでオープニングにしてみました。
そんな春はさておき、みなさまお疲れ様です。
谷たにしと申します。新年度で落ち着かない日々かもしれませんが、谷たにしの毎月短歌は通常営業で行きたいと思います。
この記事では毎月短歌32 【自選部門】の選評結果を発表致します。
選評に際しましてはお名前を伏せた状態で選びましたので、同じ方が複数回選ばれることがありますがご容赦ください。
《選評結果の内容》:470首
・金のたにし賞(特選) 1首
・銀のたにし賞(入選) 4首
・銅のたにし賞(佳作) 6首
+ もうすぐたにし賞(今月のスポットライト)
Xのスペース「谷たにしの好きな短歌を「えらぶ」スペース」でも、ラジオ感覚で毎月短歌の選評結果やその他感想を放送しております。
お時間が合う方は是非。
◎次回放送日:4月25日(土) 21:30〜
リンクはこちら↓
【谷たにしの好きな短歌を「えらぶ」スペース・第十六夜】#短歌のきもち
— 谷たにし (@tanishi617) April 10, 2026
4/25(土) 21:30〜23:00
毎月短歌32で気になる歌の話。
ちょっとデカめのお知らせも。
(リアルで聞けなくても予約おすすめです)#谷スペ #毎月短歌 #次世代文学
#短歌 #tankahttps://t.co/vuufD4wpwv
リアルタイムで聴けない方も、視聴予約しておくと便利かと思います。
(何気に先月は200人近く聴いてくださって恐ろしい…)
※アーカイブも毎回残してありますので、過去の放送は「#短歌のきもち」or「#谷スペ」にてお探しください。
記事の中で★が付いているお歌はスペース内で扱わせて頂きます!
それでは、第32回毎月短歌【自選部門】谷たにし選の結果発表です!
金のたにし賞(特選)🥇
手のひらで転がしている白玉に生命線の筋が入った/栗子守熊 ★
化石には体化石と痕跡化石の2種類があるそうです。体化石が生物そのものの化石であるのに対して、痕跡化石は生物の活動の痕跡が残ったものになります。このお歌は、まさに現代の痕跡化石といえるお歌だと思います。
景としてはシンプルに素手で白玉を丸めたら手の皺の跡が白玉についてしまった、という場面だと思われます。というと「単調」と混同しそうになりますが、今回は「シンプル」だから歌のメッセージが輝いたのだと思いました。
もし白玉がゲーミング色(虹色)をしていたら、その派手な色合いが気になって生命線の痕跡など目もくれなかったかもしれません。また、もし白玉がモヤっとボールもビックリなレベルでトゲトゲしていたら、形が気になってこれもまた生命線どころではなかったでしょう。
当たり前のことかもしれませんが、当たり前の日常だからこそ生命の実感というものはあり、そして質感を伴うのでしょう。
「愛」や「命」などの壮大なテーマをそのままの規模で描写しようとすると、その概念の大きさに言葉が負けてしまいます。このお歌はあえて身近な生活を描いたからこそ、「生命線」という言葉にフォーカスが当たりやすくなっているように思います。
ただ忙しいだけだった1日や、何もしないで終わった1日はマイナスだけではなく、小さな起伏が見えないくらいの巨視的なものが包んでいた1日なのかもしれません。
日常こそ「生きている」であることが伝わったお歌だと思いました。
銀のたにし賞(入選)🥈
明け方になれば乾いているだろう路地裏に世界地図は吐かれて/くらたか湖春 ★
すごい場面を詠みましたね。仮に"その画"で歌が思いついたとしても、出詠する勇気がぼくなら出なかったと思います。
まずは、その勇気がぼくは好きです。
とくに注目した点は、アレ(気分を害する方がいないようにあえて濁させていただきます)を「世界地図」にしたのはなぜかということです。もし、ぼくの「アレ」の表記と同じ理屈であれば他にも濁し方はあるはずで、「ピー音」でもよかったはずです。おそらく、世界地図という言葉の意味そのものにも注目するべきで、アレの大元となる食事がイタリアンの可能性もあり、フレンチの可能性もあり…という選択肢の多さとしての世界地図なのかなと推測しました(地図は物理的な形状のことでしょうか)。
この歌のユーモアさはアレに注目したという着眼点以外にもありそうです。主体さんが上の句で「だろう」という推測を働かせたということは一定の時間観察をして、そして頭を使って考察をした、ということになります。「どこで知性を使っとんねん」という主体さんへのツッコミが成り立つところも歌全体のユーモアさに寄与しているのではないでしょうか。
ここに「新しい短歌」を見た気がします。
流れてくタイムラインに悲しみがそうめんだったらよかったのにな/うとか ★
まず歌としての評価とよりも、個人的な心情として中身に触れておきます。
ぼくもタイムラインで歌人という同じ仲間(FF内外とかそういう上辺の意味ではなく)が傷つけられていたり、傷つけていたり、理由はわからないけど苦しんでいる姿を否が応でも目の当たりにしてしまうのは、「辛い」では片付けられない気持ちになります。
当人の中での異なる「正義」のぶつかり合いが起こしている現象だとは思いますが、衝突には「飛び火」による不特定のダメージが伴うものです。とはいえ、納得いかないことを黙って我慢しろ、というのもおかしな話だという意見も至極真っ当です。きっと、「相反する正論同士」のぶつかりこそこのお歌の「悲しみ」のひとつなのではないでしょうか。主体さんが直接関わっていない事象でも悲しみが生まれてしまうのは、現代の特徴(性?)なのかもしれません。
そのように考えれば、このお歌はただ現状を嘆いていたり、現状から逃げたいだけの歌ではないようにぼくは思えました。歌にして、言葉にして固定することで直視しようとしている気がします。本来ならば戦わなくてもよかった戦いが世の中には溢れているはずです(今を騒がせる海峡のお話に限らず)。でも、それは今ある姿を無視していいわけではない。そんな意思を感じる歌でした。このお歌で静かに叫んでくれたことは、きっと叫べない誰かを支えてくれるのだと思います。
…あ!真面目なこと言いすぎて短歌としての評を忘れました!!!!
うーん…書きすぎたので続きはスペースで。
塩分を20%カットされしらすパックは海を忘れる/雪風みなと ★
妻・谷おまめに「減塩しなさい、血管ちぎれるよ」と言われておりますので、耳の痛いお歌です(?)
海水で育ったしらすが減塩の商品として売られているのは、人間の健康のために人間が創意工夫したもので、端的に言えば人間のエゴです。そして、この歌はしらすに限った話でしょうか。
草原を走り回って伸び伸び育ったであろう子どもたちも公園では様々な規制を受けて遊ぶ場所がなくなっています。そして徐々に子どもたちの中では遊び=ゲームになっていきます(ぼくの学生生活もそうでした)。社会の理不尽さとは知らない誰かのエゴによるものなのかもしれません。
そう思えば、このお歌の結句「忘れる」の重みは大きいものがあります。一度忘れてしまえば元に戻ることはほぼありません。しらすが海を思い出すことがなければ、ゲーム中毒になった子どもが急に翌日に野原を駆け巡るとは想像できません。環境とは不可逆的なレベルでの大きな変化を与えるということを思えば、どこかユーモアさもありつつも、大きなテーマを含んでいる気がしました。
小さなしらすも、元は大海原の出身ですね。
ばあちゃんの畑仕事にくっついて畝から畝へ 夏あみだくじ/アゲとチクワ ★
畝から畝への移動に対して「夏あみだくじ」という表現がすごいです。これ以上ぴったりな言葉があるでしょうか。
「夏あみだくじ」というありそうでない造語に、ジリジリと太陽が煌々と痛くて暑いあの夏の、セミがジィージィー叫びつづけるあの音に囲まれて、ザグザグッっと畑の土を鍬で掘り起こしながら畝を作り、その畝と畝の間の、ギリギリ人がひとり通れるかどうかくらいのあの隙間を縫って歩くという、複数の「あの」が一気に想起されてきます。そして、ひと言なのにそこから複数の音が聞こえてくるのです。
ばぁちゃんと一緒に、と書いてしまえば状況は伝わるものの説明的になってしまいます。おそらく自分の強い意思ではなく、なんとなくついて行ったという感情の伴った一緒であるという点では、「くっついて」こそ表現の最適解だったようにも思えました。
「夏あみだくじ」みたいなフレーズをぼくも欲しくなってしまいました。ください(???)。
銅のたにし賞(佳作)🥉
鍵穴を覗いてはだめ覗いては clap clap くらやみごっこ/川村サ行
「心の鍵を…」という言い回しがあるように、こころと鍵は取り合わせがいいようです。裏を返せば、単純に語の相性だけで歌を作ってしまうと単調な印象を与えかねませんが、下の句でちゃんとオリジナリティが感じられます。「くらやみ」だからこそ視界は遮られて、clapという聴覚情報が際立つのですね。安易に(無邪気に)こころに触れようとしすぎないこともまた人を大切にすることなのかもしれません。
草原の草の名前も知らないし車窓を過ぎる灯りの主も/片辺かた
まず結句の終わり方がいいなと思いました。「知らない」を入れると説明的になりすぎるので、功を奏していると思います。みんなそれぞれ違う性質を持っているのに、「ひと」の2文字で括られてしまう。まとめることで見えることもありますが、見えなくなるものもあるということをしみじみ感じさせてくれるお歌でした。
いつだって初雪みたい改札にきみが手を振り舞い降りる日は/真朱
「きみ」と「舞い降りる」の取り合わせがきれいですね。実際の所作がそうだったというよりは、舞い降りたように見えるくらい主体さんにとって「きみ」は魅力的に映っているのでしょう。美しいという形容詞で片づけたくない思いを表現しようとする試みこそ短歌らしい姿勢で詠めているような気がしました。
まだ君の形知らない制服に袖を通せば新芽がのぞく/岡田道一
新しい服って着ると違和感がありますよね。そして、馴染んできたころにはボロくなってしまうという…。裏を返せば、しっくりこないことは新しい世界への一歩でもあるのかもしれません。初句の「まだ」から、これから徐々に制服を着こなしていく姿を親として見届けようとしている様子が想像されました。
春の日の朝ゆるやかに流れ出すクリームパンにだけできること/茶葉
(特に平日の)朝のバタバタったらないですよね。僕も(は)何もしていないのに勝手に30分が通り過ぎている日々です。そんな朝だからこそクリームのドロっとした、時間をかけた流動性は忙しない朝に一矢報いてくれているように思わせます。
そして、忙しなさに飲み込まれないひとときがあることが何か1日の支えになりそうな気がします。
回送のバスには今日の乗客の体温だけが乗せられてゆく/三浦なつ ★
ひとは目に見えないものを見ようとします。お化けを信じたり、恋や愛を確かめたくなるのも見えないからなのかもしれません。人が居ないバスだからこそ、そこにひとを見ようとしているお歌なのかなと思いました。シンプルなお歌ですが、人の痕跡として「体温」を選んだ点がいいなと思って採らせていただきました。
もうすぐたにし賞(今月のスポットライト)💡
惜しくも入賞には至らなかった最終候補のお歌コーナーですが、せっかくですので一言だけ書かせて頂きます!
送りがなみたいに父に付き添って商店街をふらふらとゆく/きいろい
「送りがなみたいに」の比喩が新鮮でいいですね。確かに送りがなって無意識に、気が付けばついているものです。文字に関する用語で形ではなくそこに付随する質感に注目しているあたりに、言葉を信用して詠んでいるんだろうなと感じました。
友だちとツツジの蜜を吸う春のひととき翅をもつ帰り道/三浦なつ
無邪気な春のひとときとそこに並行して、無邪気に命を掴んでいる様子がリアリティを感じさせます。ぼくもツツジの花の蜜をよく吸っていました。ツツジにしかない甘さってありますよね。
契約が満了したとかクビだとかそうじゃないんだ脱出なんだ/よいしょ上手の高木さん
「今どきの若者は我慢が足りない」という意見が世の中には一定あります。ぼく自身、「脱出」を幾度としてきた身ですので、忍耐力はないのかもしれません。でも、脱出とは新しいスタートのためにあるような気がします。春の歌ではないのに、どこかに春の香りがしたのは個人的な気持ちのせいでしょうか。
風の音に負けないように拍手する風があなたに吹いているから/スーパーはるる
下の句「風があなたに吹いているから」にとてもあたたかい視野を感じます。他の人にも風自体は当たっているかもしれませんが、主体さんを視点とするベクトルは「あなた」ひと筋にめがけて伸びており、拍手というアクションが特定の他者への行為であることからもいっそう見えない愛情のベクトルを垣間見た気がします。
気に入ったページに貼られた付箋ごと消えた旧26号線(きゅにーろく)のBOOKOFF/ツキミサキ
旧26号線に対して「きゅーにーろく」の読み仮名を振っていることで、歌全体が日常生活の空気感を纏っています。内容としても多くの読み手にとって、あるあるとすんなり受け入れやすいのではないでしょうか。
展示室行くたび思うあの羽根は昔わたしの背中にあった/あおい
生物学的な起源の話も含まれているでしょう。しかし、「昔」の一単語にとても重みを感じるのは、現在の主体さんが「羽根」を持っていないという、現状への苦しさを思わせるからでしょうか。
家の裏 二月 火種を雪で消す さよならわたしの欠けすぎた月/いろど(Irod')
「家の裏」と「二月」という名詞二つを並べる構図に新鮮さを感じます。裏という場所もどこか大変な二月だったことが重なります。強いて言えば、意図的な分かち書きだと推測しますが、効果的だったのかは意見が分かれそうです。
潮招き チョコレイトの足取りで渇いた街に幼い春が/はやぶさ
季語としての潮招きが、グリコの足取りによって「春」に近づいてゆく動きと重なっていて功を奏していると思いました。相手の存在を明記しなくても、グリコは誰かとするものだという点で良かったと思います。
いつもよりいいデニッシュを買っておく何があっても嬉しいように/インアン
フレーズとしてはシンプルなのですが、ギャップの作り方がいいなと思いました。上の句や「嬉しい」だけみればご褒美にもみえますが、「何があっても」で180°のどんでん返しがあり、つらさへのマスクとしてのデニッシュだと気付かされます。31音のドラマをみました。
九州では桜も散りました。春はどこか切なさも持ち合わせている季節で、そんな雰囲気のお歌もパラパラとありました。季節にはひとの心を動かすので、どこか選評にもその影響が出ているのかもしれません。当の本人はいつも通りと言い聞かせていますが…。
それでは、暑かったり寒かったりよく分からない季節ですが、お身体ご自愛くださいませ。
来月も短歌でお逢いしましょう。
2026.04.10
谷たにし
