見出し画像

よしなしごと【新版】:#1『なりすまし屋』

<はじめに>
『よしなしごと【新版】』シリーズは、過去の『よしなしごと・気まぐれ【選】』の記事をベースに、Geminiさんとコラボで作成する「新・オリジナル作品」です。
今回のベース作品は『よしなしごと【気まぐれ選35】「なりすまし屋」』です。
本編より先にお読みいただくことをお勧めします。
◎特別付録として、どうアレンジされたか、Geminiさんとのメイキングの会話も収録しました。本文と合わせてごゆっくりお楽しみいただければ幸いです。では。



■なりすまし屋:#1-1——区役所の田中さん(遭遇編)

印鑑証明というものは、人生の節目にしか必要のない、それでいて妙に重々しい紙切れである。私はその「公的な実感」を求めて、地元の区役所へと足を運んだ。

週明けの月曜日、フロアはどんよりとした湿気と、整理券を持つ人々の諦念に近い沈黙に満ちていた。私の番号が呼ばれ、窓口へ向かうと、そこには「これぞ日本の公務員」をそのまま形にしたような男が座っていた。
胸のネームプレートには「田中」とある。 田中さんは、私が差し出した申請書を、まるで国宝でも扱うかのような手つきで受け取った。眼鏡の奥の瞳は、一点の曇りもなく事務的だ。

「……◎▶■◎様ですね。実印の照合を行います。少々お待ちを」

その声のトーン、わずかに猫背な背筋の角度、そして机の上に置かれた「使い古された指サック」。どこをどう切り取っても、彼は勤続15年のベテラン職員にしか見えない。 しかし、待たされている間、私は妙な既視感に襲われた。この「あまりにも田中すぎる田中さん」に、どこかで会ったことはないか。
記憶の糸をたぐり寄せていると、ふと、隣の窓口から怒声が響いた。
「おい!さっきから言ってるだろ、住所変更の手続きだって!」
見ると、荒々しい態度の男が窓口の職員に詰め寄っている。フロアの空気が一気に凍りついたその時、私の前の田中さんが、流れるような動作で席を立った。

「申し訳ございません。お困りのようですね。私が代わりましょう」

田中さんは隣の窓口に入った。彼は眼鏡を指先でクイと上げ、ネームプレートを裏返した(そこには『相談係・佐藤』と書いてあるように見えた)。そして、先ほどまでの「丁寧な事務屋」から一変、今度は「海千山千のベテラン仲裁役」のオーラを全身から放ち始めたのだ。
「……まあまあ、お怒りはごもっとも。ですがね、この書類の裏面を見てください。ここが、書き漏らしになっていましてね」
田中、いや佐藤の放つ独特の「安心させる苦笑い」に、怒っていた男は毒気を抜かれたように大人しくなった。わずか数秒の変貌。
私は確信した。彼は公務員ではない。彼は「公務員」を完璧に演じている「なりすまし屋」だ。

「お待たせしました、◎▶■◎様」
「田中さん」が、何食わぬ顔で私の窓口に戻ってきた。手には印鑑証明。
受け取った印鑑証明は、何一つ普通に見えた。 だが、役所を出がけに振り返ると、窓口にいたはずの田中さんの姿はどこにもなく、そこには「調整中」の札だけが揺れていた。(了)



■なりすまし屋:#1-2——区役所の田中さん(独白編)

プロのなりすまし屋にとって、月曜日の区役所ほどやりがいのある仕事はない。あの独特の、澱んだ空気。微かに漂う加湿器の古い水の匂いと、コピー機の熱。これらを全身に浴びて初めて、私は「田中」という男を自分の中に移すことができる。
今日の私の役どころは、勤続15年、自宅のローンをあと12年残し、趣味は休日の園芸(といってもベランダでプランターを眺める程度)という設定の、戸籍課職員・田中である。

まず、衣装だ。ワイシャツはあえて、昨夜の晩酌の際に飛ばしたであろう、醤油の微かなシミを袖口に仕込んでおいた。これが「生活感」という名のリアリティを生む。さらに重要なのは「指サック」のエイジングだ。新品の指サックなど、窓口業務のプロは使わない。机の引き出しの隅で3年間眠っていたような、少し黄ばんで弾力を失ったもの。これを装着して初めて、書類をめくる指先に「公務的な重み」が宿るのである。

10時15分。一人の男がやってきた。◎▶■◎様、と書類にはある。 彼は鋭い。私の「田中」としての完璧な事務処理を前にして、どこか疑り深い視線を投げかけてくる。凡百のなりすまし屋ならここで動揺するが、私は違う。あえて「少しだけ疲れた溜息」を吐き、眼鏡を拭く。この「小さな疲労感」こそが、相手の警戒心を解く鍵となる。

ところが、予期せぬアクシデントが発生した。隣の窓口で男が怒鳴り始めたのだ。 本来、私の担当ではない。しかし、窓口に座っている職員(彼は本物だ)は、本物ゆえに、この手のトラブルに脆い。
私は即座に判断した。ここは「相談係・佐藤」を兼任するべき局面だ。私は席を立ち、移動する間にネームプレートを素早く裏返した。裏面には「佐藤」と手書きで記してある。この「手書き感」が、ベテラン相談員の持つ「マニュアルを超えた安心感」を演出する。
クレームを浴びせる男に対し、私はプロとして「昭和のベテラン職員が醸し出す謎の説得力」で呑みこみ、難なくその場を収めた。

私は再び「田中」に戻り、◎▶■◎様に印鑑証明を手渡す。
彼は何か言いたげだったが、私はあえて突き放すそぶりを見せた。余韻を残してはいけない。なりすまし屋の引き際は、春の霧のように速やかであるべきだ。

私は窓口に「調整中」の札を置いた。

さて、明日は駅前の道路工事現場で「入社3年目の、少し不器用だが愛想だけはいい交通整理員」になりすます予定だ。ヘルメットのあご紐の「汗の塩分による白い浮き」を今夜中に仕込んでおかなければならない。(了)

<あとがきのようなもの>
◎特別収録:本作品を作るにあたってのtanpopostとGeminiさんの会話
tanpopot(以下T):Geminiさん こんにちはtanpopostです。よしなしごと共作シリーズを作りたいと思います。
今回はよしなしごと「なりすまし屋」の続編化を考えています。第1回の仮タイトルは『なりすまし屋 区役所の田中さん』にしようかと・・
Gemini(以下G):tanpopostさん、こんにちは! 連載の第1回(実質的には第2回ですね)のテーマとして「なりすまし屋」を選ぶとは、また渋いところを突いてきましたね。
noteの記事も拝見しました。2008年当時の「なりすまし屋」は、何者でもないはずの男が「誰か」を完璧に演じる、どこか不条理でミステリアスな、まさに『よしなしごと』らしい空気感でした。
今回の「区役所の田中さん」という、いかにもどこにでもいそうで、かつ実態を掴ませない仮タイトルも秀逸です。ご提案の内容でプロットを考えてみました。
パターン1:【遭遇編】なりすまし屋に(私)が出会った話
「日常の亀裂」に迷い込む怖さと可笑しみ
パターン2:【独白編】なりすまし屋の視点から
「プロの仕事論」としてのシュールな独白
T:面白そうなので、いっそパターン1、パターン2両方作ってセットにしてみましょう。まずパターン1から、私は区役所に印鑑証明を取りに行く ところから始めてください。ちょっとしたナンセンスショートの感じでどうでしょう。
G:大歓迎です!少しずつ輪郭が見えてくる過程こそ共作の醍醐味ですね。 まずはパターン1【遭遇編】として、区役所の「田中さん」に翻弄されるtanpopostさんの様子をショートストーリーに仕立ててみました。
T:いい感じです。ではパターン2へ行きましょう。
G:お待たせいたしました。パターン2【独白編】です。 なりすまし屋自身の視点から、あの窓口で彼が何を考え、どのような「職人魂」を注ぎ込んでいたのかを、少し偏執的かつシュールな独白体で描きます。
この2つのプロットを読んでみて、「ここをもっと強調したい」とか「この設定は外せない」というポイントはありますか? もしあれば、それらを盛り込んで「決定版」を作成します!
T:実にいい感じで進行しています。とりいそぎ、このままいってみましょう。
G:ありがとうございます。それでは、これまでの「遭遇」と「独白」をセットにしましょう。これが『よしなしごと』新シリーズの進むべき一つの完成形かもしれません。この演出、今後もシリーズの定番にできそうですね。
今回の試作は、こちらで完成としてよろしいでしょうか?
T:実にいいトライアルとなりました。いったんこちらで預からせてください。微調整を施し、またご相談します。本日はここまでとします。お疲れさまでした。
G:こちらこそ、非常にクリエイティブで楽しい時間でした!
違う視点を経たことで、なりすまし屋のキャラクターがより立体的になり、新シリーズの型がはっきりと見えた気がします。tanpopostさんの手による微調整で、さらに味わい深いエッセイに仕上がるのを楽しみにしています。こちらでいつでも「待機」しておりますので、整いましたらまたぜひ共有してください。
お疲れ様でした。また次回、お会いしましょう!

いいなと思ったら応援しよう!