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憂愁の昭和【カフェ浪漫主義39】

【カフェ浪漫主義】
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今週の鎌倉はずっと花冷えの雨模様で、濡れて道に貼りついた花屑が行く春の風情を深めている。

こんな週には春愁に浸れる古書画でも飾り、古びたカップで温かい珈琲をのんびり飲んでいたい。

前回の【鎌倉の隠者】の方で三島由紀夫の短冊を紹介したついでに、こちらもこれぞ三島由紀夫と言う書軸を出した。

三島由紀夫 直筆書幅
『潮騒』『英霊の聲』 初版

この軸を飾り廃れ行く日本の伝統文化に想いを馳せれば、私もまた一人の憂国の士として立たねばならぬ気がして来る。

敗戦後の社会の急激な欧米化の中で、日本文化の中核を担って来た人達はすっかりやる気も自信も失い、文人歌人の中でも筆を断ち隠棲してしまう者も多かった。

また、西洋かぶれの輩が旧来の上位者を蹴落とすための口実に、盛んに伝統文化は古臭いと宣伝したのだ。

「床の間無用論」や桑原武夫の「第二芸術論」などは、今見ると論とも言えない実に稚拙な只の悪口に過ぎないのだが、当時の世相には大変影響があったようだ。三島の『文化防衛論』もそんな欧米化の風潮に一矢報いるために書かれたのだが、彼の想いを表すならこの「憂国」の一言が最も強力だろう。

彼の生きた激動の昭和の情景を今の鎌倉の雨に散る花に重ねれば、我が春愁の想いも深まるばかりだ。

鎌倉の住人だった林房雄は若い頃から三島由紀夫と共に日本浪曼派に参加していた。また、『文學界』で親しかった川端康成を鎌倉に呼び家を斡旋したのも林房雄で、三島が川端邸へ行く時も必ず林と連れ立っていたそうだ。

林房雄 『浪曼主義者の手帖』 初版

戦前の林房雄は迷子のような思想遍歴の末に辿り着いた、浪漫主義と国粋への熱き想いを募らせていた。写真の『浪曼主義者の手帖』は思想転換を迫られた獄中で書かれた物で、その後彼は自ら転向者と名乗っている。

当時は若きインテリなら一度は共産主義や国粋主義にかぶれるのが当然だったらしい。そして彼の名は戦後だいぶ経ってから出した『大東亜戦争肯定論』で、戦後の若者達にも印象付けられた。

しかし悲しいかなその時代はすでに高度経済成長期に突入し、昭和元禄と持て囃され日本中が浮かれていた頃だ。1970年(昭和45年)に三島が割腹自決するまで、彼らの主張が真剣に検討されることはなかった。

その後、全共闘に代表される学生運動もすっかり収束し、音楽も演歌・歌謡曲より荒井由実のようなイージーポップが流行するようになった。バンバンの「『いちご白書』をもう一度」はそんな世相を鮮やかに思い起こさせる名曲だ。

しかしこの曲のベストテイクは坂本冬美のカバー版だろう。歌唱力は言うまでもなく、アコーディオンを活かしたバックのアレンジも凝っていて、素朴なオリジナル版よりも一層味わい深い。

作詞・作曲は当時まだ20歳だった荒井由実が手掛けており、曲名の『いちご白書』は学生運動を描いたアメリカ映画のことで、その映画を頼りに過ぎ去った学生時代を思い出すという歌詞になっている。

バンバンのばんばひろふみは、グループの進退をかけてユーミンに提供を頼み込んだらしい。後にばんばは、この曲について「日本を変えられると思いながら敗北していった同世代への鎮魂歌だ」と語っている。

実際、映画のことなど知らなくてもその字面だけで当時の青春像を回想できてしまう。ユーミン自身が「美空ひばりが復興の象徴なら、私は繁栄の象徴だ」という名言を残しているが、確かにその曲想や歌詞には、松任谷由実当人の歌唱スタイルらしからぬ抒情的で象徴的な側面がある。ユーミンが聴かせるのは、個人の思い出というより、国民の青春なのだ。そしてそれが何十年も人気を保ってきたヒットメーカーの核心なのだろう。

この「『いちご白書』をもう一度」が収録されている坂本冬美のカバーアルバムには、他にも戦後昭和を代表する曲目が揃っている。

アレンジの出来にはムラがあるが、アルバム1枚を通して昭和を懐かしみながら春愁に浸ることができる。

さて、かつて三島も遍歴した日本浪曼派は、日本人に共有される哀しみを歌った前川佐美雄の三十一文字を絶賛している。

春の夜にわが思ふなりわかき日の
からくれなゐや悲しかりける

前川佐美雄『くれなゐ』

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