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妖精学大全【カフェ浪漫主義41】

【カフェ浪漫主義】
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どうやら近年の神界では春の女神佐保姫より夏の女神筒姫の権勢が強まったようで、東京ではもう夏日の気温だと聞く。

幸い鎌倉はまだ晩春の陽気で、綿毛となった蒲公英が春の名残にあちこちに見られる。蒲公英の綿毛が風に飛んで行く姿は何となく妖精を思わせてファンタジックだ。

ケンブリッジ、オックスフォード大学客員教授にして英国妖精学、いや英国ファンタジー全てにおける泰斗である井村君江女史の歴史的名著『妖精学大全』が遂に我家に来た。

井村君江『妖精学大全』 初版

この大著は発売価格がやや高かったので迷っているうちに売り切れてしまい、その後のプレミア価格はあっという間に3倍に急騰した。そのプレミア価格だった物が10年経ち、多少下がった物を見つけて飛びついた訳だ。

"Fairie"を「妖精」と翻訳したのは彼女の師の日夏耿之介で、学生時代に彼と共に「アイルランド研究会」をやっていた芥川龍之介は「精霊」と訳していた。「妖」の字がいかにも日夏好みだが、肝心の聖性や可愛らしさはなく、私は芥川の訳の方が良かったと思う。

井村女史はその日夏耿之介の弟子だったにも関わらず、彼が研究していた黒魔術ではなく妖精学に行ったのが大正解だった。

今日のゲームアニメやライトノベルの王道ファンタジーはこの大全無くしては誰も描けないと思えるほど、全てのファンタジー作家やファンに取って必携の書となっている。

豊富に載っている妖精画の数々が大変美しく、それらを眺めているだけでも古き良き英国ファンタジーの世界に浸り切れるだろう。

「学匠詩人」としての日夏の人物像は、同じく井村女史の『日夏耿之介の世界』に詳しい。日夏の研究室に入るのは大変な競争で、選考に漏れた学生は涙を流して悔やんだという。日夏は学生を連れて泉鏡花の劇を観に行ったり、喫茶店でクラシックのレコードを聴かせたり、「美の司祭」の評判通り愉快な趣味人だったようだ。

下の写真は日夏耿之介の代表作の詩集『黒衣聖母』だ。

日夏耿之介『黒衣聖母』

日夏は同じ英国ロマン派でも宗教詩や黒魔術にのめり込んでいて、妖精方面の著作はあまり見ない。

今考えれば彼もオカルトよりファンタジーの方が良い詩が書けた気がするが、当時はまだ後世の日本を席巻したカワイイイ文化は無かったし、この『黒衣聖母』もオカルト風な題がウケた訳でその後も調子に乗って吸血鬼モノまで書いている。

日夏ならいっそ国粋に走り妖精風の八百万の神々の詩にして、美麗イラスト付きで出せば大成功したかとも思う。日本や中国でも牡丹の精や柳の精の物語など、西欧の妖精伝説に似た話は沢山ある。

シシリー・メアリー・バーカー『フラワーフェアリーズ』
(白石かずこ 訳)

写真のシシリー・メアリー・バーカー作『フラワーフェアリーズ』はイギリスの花の妖精をまとめた詩画集で、1923年に出版され今日まで再版改版を重ね続けている妖精図鑑類の中のベストセラーだ。中でも水仙やヒースの妖精の絵は日本でも見覚えのある人がいるだろう。

音楽も英国ロマン派からジェラルド・フィンジの「ロマンス」を紹介しよう。

上品で温かみのある弦楽が英国ロマン派の特徴だ。親友だったヴォーン・ウィリアムズの曲と同じように、フィンジの曲も妖精が暮らしているような神秘性と宗教的な格調の高さを味わえる。フィンジにとって、幼い頃から親しんでいたワーズワースやロセッティの詩が作曲イメージの源泉になっていたようだ。彼は音楽活動の傍らリンゴ農園も営んでおり、稀覯本まで蒐集していたという。これこそロマン主義者の生活だ。

しかし、相当なクラシック通でなければフィンジの名前さえ聞いたこともないだろう。フィンジを含め英国ロマン派の弦楽曲は名品揃いなのだが、演奏される機会が少ない上にそれらを収録したアルバムもほとんどない。今でも音楽界には映画の幻想的なシーンと結びつくような美しい曲を見下す風潮が残っているくらいだから、その美しい旋律や詩をモチーフにした標題性がかえって当時の世評にそぐわなかったのかもしれない。

今回紹介したアルバムはさすがにDECCAなだけあって特別音質が良かった。やはり弦楽は音質が物を言うので、録音技術が飛躍的に進歩した今こそ英国ロマン派の知られざる名曲群を優れた音質でリリースしてほしいものだ。

英国ロマン派の美しい曲を聴き流していると、日々の散歩にしても妖精たちの存在が身近に思えてくる。

我が国にもこの妖精たちと似た八百万の自然神たちがいて、その大部分は草木虫魚などの小さな命に宿っている。それぞれの姿や名は知らずとも、我が鎌倉の山野にも小さな神々は満ち溢れているはずだ。

日本やヨーロッパ以外でも太陽神や地母神はじめ多神教的な自然神信仰は、太古から世界の至る所でごく当たり前のように自然発生してきたのに、敗戦後の日本は軍国主義下での国家神道を否定したついでに、八百万の自然神たちまでも捨て去り、物質主義に走ってしまった。

だが、春の女神佐保姫や桜の精霊の木花咲耶姫たちは、居ないより居てくれた方が遥かに美しい世界になるだろう。

今からでも良いから日本でもこれらの本のような、今や名も忘れ去られた花や木や風や水の神たちの美しい図鑑を誰か作ってくれないかと切に思う。

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