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「腐るまで待って」第3話【note創作大賞2024】

 その夜、僕は一人で墓地にいた。夜に墓地へ来るのは幽霊が出るから怖いと思っていたが、幽霊でもいいから会いたいと思うようになってからは何も怖くなくなっていた。懐中電灯で足元を照らしながら、一つの墓石の前に立った。

「来たよ」

 僕は返事が来ないとわかっていながら墓石に向かって声を出していた。もし早希が生きていたならなんと言われただろう。いや、そもそも早希が生きてるならこんな悩みはなかったはずだが。

 僕は懐中電灯を消して、耳を澄ませた。

 暗くなった空には星が明るく輝いている。墓石は僕の言葉を全く聞いていない様子で、何もリアクションをしない。あたりまえだが、その当たり前すら辛い。

 ここへ来るたびに早希が死んだ日のことを昨日のように思い出す。大学を卒業してすぐだった。僕たちは卒業を機に結婚するつもりだった。

 早希がいなくなった日。残された彼女の右耳を分析した結果、その部位はゾンビ化していた。そのため早希はゾンビに襲われて喰われたと結論付けられた。右耳には僕がプレゼントしたウサギのイヤリングがつけられていた。僕は警察からそれを受け取り、早希の親友でもある梨花に渡した。梨花は今でもそのイヤリングを早希だと思って身につけている。

 僕は未だに早希がいなくなった事を受け止められていないのかもしれない。誰も早希がこの世に存在しない事を証明してくれない。僕にとっては早希が突然消えただけだった。ある日ひょっこりと帰ってくるとどこかで思っているのかもしれない。どこかでそう思う事で生きていけた。

 そしてそんな僕の前に夕那が現れた。

 長く真っ直ぐな髪の毛と白い肌、鎖骨辺りに白鳥座のようなホクロ。笑うと出てくるエクボ。夕那は早希に似ていた。

 夕那が早希ではないとこくらいわかっている。でも心の何処かで早希が姿を変えて僕の前に戻ってきたのではないかと錯覚する程だ。

 でも、今は夕那を夕那として愛している。早希の事を決して忘れた訳では無いが、まるでプリンターで印刷した写真のように、時間が経つと早希が僕の中で徐々に色が褪せてきている。かわりに夕那の姿が鮮明なスマホの高画質画像のように僕の心の中で輝いている。そう思っていた。しかし無意識ではあるが、夕那の姿の後ろに早希の影を追っているのかもしれない。そして夕那はその事を敏感に見透かしているのだとしたら。僕は墓石を通してどこか遠くに行ってしまった早希に聞こえるように叫んだ。

「早希、今日でここにくるのを最後にする。ごめんな。僕には守りたい人ができてしまったから」

 僕が覚悟を見せる必要がある。

 だから、僕はゾンビにならなきゃいけない。夕那、待っててくれ。
 

――人間がゾンビになる方法はいくつか存在します。例えば、ホラー映画でよく見られるのは、ゾンビに噛まれることによってゾンビ化するというものですが、これは比較的原始的な方法と言えるでしょう。この場合、ゾンビの唾液に含まれるウイルスが人間の体内に侵入し、異常な速度で増殖を繰り返すことによって人間はゾンビ化します。しかし、古典的なゾンビは人間の肉を食べることを目的としており、ゾンビ化する前に食べられてしまう部分が多いという問題があります。一方で、政府が進める人類ゾンビ化計画は、政治家たちが自身の寿命を延ばすために国家プロジェクトとして立ち上げたものです。この計画では、細胞の老化を防ぐために遺伝子を組み換える薬品を使用し、人間の血液をゾンビ用の体液に置き換えます。しかし、肉体が腐敗する問題は避けられないため、腐敗防止剤を定期的に摂取することで体を保つ必要があります。この腐敗防止剤は、かつて総理大臣が経営していた会社の製品です。

 お詳しいんですね。

――実は色々調べていて

 何かあったんですか?

――実は妹が、ゾンビなんです。

 そうなんですか!

――しかし、ゾンビである事は隠して暮らしていました。まだゾンビへの差別は強いですから。そしてある日、妹は突然消えてしまいました。これ、妹の写真です。

 可愛い妹さんですね。

――すみません、脱線してしまいました。藍一さんはその後、どうされたんですか?

 僕はスマホでアプリを開いた。

 あなたもゾンビになれる!

 最近増えだした未認可のゾンビ用整形外科だ。特に高齢者や難病を患った方がゾンビになることを希望しているという。その怪しげな広告をクリックし、手術にかかる費用を確認した。ゾンビ法案も可決されていない状況なのでゾンビ化はまだまだ一般化するには敷居が高い。しかし現在、国会議員の半数がゾンビ化していると言われている。おそらく寿命を迎えている政治家達が法案を待たずにこぞってゾンビになっているのだろう。このままでは、この国の富豪老人は全てゾンビになるのではなかろうか。そうすればゾンビ法案は可決されるのだろう。

 家に戻ったが、夕那はいなかった。さっきは家に帰ると言っていたが顔を見たくないという事だろう。捜索願いを出しても警察は動かないし、今日は戻ってこないかもしれない。

――その後、夕那さんは戻ってこられたのですか?

 戻ってきました。

――それは良かったですね!

 でも、その日が夕那の命日となりました。

 夕那がいなくなって半年が経った。朝からケーキの仕込みで店にいた。生クリームを作っている最中にスマホが鳴った。梨花からのメッセージだった。

 【この画像、藍一の部屋じゃない?】

 メッセージとともに一枚の画像が貼られていた。SNSにあげられていたのをたまたま梨花が見つけたらしい。その画像には確かに僕の部屋が映っているように見えた。しかしこんな画像を撮った覚えはない。いつもと違う事は一点だけ。ソファの上にちぎれた右足が置かれていた事だ。そしてその右足は僕がいつも洗濯している靴下だ。いつも表裏を逆さにして洗濯機に突っ込むからその度に戻しているあの靴下をはいていた。梨花によると、存否不要党の支持者のアカウントが【浄化】という文字と共にこの画像をアップしていたらしい。僕はケーキの仕込みを全てやめて車へ走った。ハンドルを握る手が震えていた。間違いなく、あれは夕那の足だ。赤信号がこんなに憎いと思ったのは初めてだ。車だけでなく、僕の人生まで止められているような気がした。

「夕那!」

 住んでいるアパートの前に乱暴に車を停め、転がり込むように部屋へ入った。

 ソファで夕那が倒れていた。正確には夕那のようなもの、かもしれない。頭部を破壊され、右手と右足のちぎれた体が床に転がっていた。

「何があったんだ!」

 僕は転がっている夕那の体を抱きしめた。頭部がないのにも関わらず、まだ左手は何かを掴むかのように微かに動いていた。ゾンビの生命力のすごさを再認識させられたが、助かる可能性はないことも薄々感づいてはいた。

「誰だよ、誰にやられたんだよ!」

 テレビがつけっぱなしになっていた。画面の中で総理大臣が叫んでいた。

 ――ゾン権というのは、ゾンビも人間同様の権利を認めるという事になります。人間とゾンビの婚姻、人間がゾンビを殺害した場合には殺ゾン、など基本的ゾン権がまとめてあります。この法案が可決されたら人間とゾンビの新しい世界が生まれます。

 空気がささくれているように感じた。これが殺気感というものかもしれないとあとで思った。僕は夕那の体を抱きしめて、頭を伏せた。そして僕の背後で得体のしれない誰かが声を上げた。

「殺してやる!」

 その声に卓上型AIが反応した。

『分かりました。【腐るまで待って】を流します』
  
 ♪きっと俺らは結ばれない それが運命と知ってても

 その直後に強い衝撃が背骨に直接響き、鋭い痛みが全身へと駆け抜けた。

 ――もうすぐ我々はゾンビと人間の共存を掲げ、互いの権利を尊重しあう平和な世界を目指すのです。

 まるで釘でも打っているかのように何度も殴られながら、僕は必死に夕那の体を守った。殴られる度に、背中に激しい痛みが走った。しかしこれ以上夕那を傷つける事は許さない。

 ♪乗り越えてみせる どんな事だって たとえあなたがゾンビでも

 打ち寄せる波のように周期的に何度も殴られた。その痛みは今までの人生で味わったことが無いような衝撃で、殴られるたびに痛みで意識を失いそうだった。

 誰に殴られているのか確認することもできなかった。ただ、夕那が傷つかないようにとしか考えられなかった。意識が朦朧としてきた頃、殴られるのが止まった。気がつけば、流れていた音楽も止まっていた。そのことに気づいた瞬間、玄関の方からドアがガチャンと閉まる音がした。

 犯人を追いかけたい衝動に駆られたが、殴打の痛みで体が言うことを聞かなかった。僕は無意識に叫んでいた。

「許さない! 必ず殺してやる!」

『分かりました。【腐るまで待って】を流します』

 ♪きっと俺らは結ばれない それが運命と知ってても

 夕那の左手が動き出し、僕の顎のラインを優しくなぞった。そして、僕の気持ちを読んだかのように「そんなことを言わないで」と言いたげな様子で、僕の唇に人差し指を立てた。僕は夕那の体を力強く抱きしめた。急激に腐り始めた夕那の左腕の上腕部の肉がずるりと落ちた。

 僕は夕那の体をそっとソファに置き、痛みを堪えつつ救急車を呼んだ。

「すみません、助けて下さい。恋人が襲われました。救急車をお願いします」
「落ち着いてください。患者さんの状況を教えてください」
「彼女の右足と右手がちぎれてて、頭が叩き潰されています」

 僕は彼女を見た。左腕が何かを探し求めるようにゆっくりと動いていた。

「まだ左腕だけ動いています。何とか助かりませんか?」
「お聞きしてもよいですか?」
「質問だらけですね。急いでください!」
「その彼女は人間ですか?」

 時間が止まった気がした。そうだ。彼女は人間ではない。病院に行っても治療が出来るか分からない。しかし僕にはこんな時に救急車くらいしか連絡するところは思いつかなかった。僕は助けたいという一心で時計の針を無理やり動かした。

「人間ではないです。でも、ちぎれた足も手もそのまま残っています。なんとかならないものでしょうか?」
「申し訳ございません」
「だって、ほら。総理大臣がゾンビの人権を確立するって」
「例え人権があっても、治療方法がないんです」

 僕は言葉に詰まった。すると電話の向こうから感情を全く感じない声で提案があった。

「このような場合には警察にお電話ください。では失礼します」

 そして僕は震える感情を押さえつつ、警察に電話した。

「お話は分かりました。恋人のゾンビが何者かに殺されたって事ですね。申し訳ないのですが、警察は人間以外の事件では動く事はできません」
「熊に襲われたら、警察動いたりするでしょ!」
「人間が襲われたら、です」
「僕も襲われました。来てください」

 そこから1時間ほどで警察が一人で訪れた。若干めんどくさそうな顔をしていたのは僕の心が歪んでいるからだろうか。警察は形式的な現場の調査をし、夕那の体をじっくりと確認もせずにお辞儀をして立ち去ろうとした。

「ちょ、ちょっと待ってください。これで終わりですか?」
「はい。これ以上事故が起きる危険はなさそうなので」
「もし法律ができたら人間と同じように捜査するんですよね?」
「そうなります。もしその対応をお望みだったら、法律の後に改めてご連絡いただけますでしょうか」

 そんなの待っていたら、夕那は腐り果ててしまう。

「犯人は近くにいるかもしれませんから、気をつけてくださいね」

 そして警察は部屋の外へ出ていった。僕は納得がいかず、警察を追いかけた。警察は乗ってきた白い原チャリにまたがって、ヘルメットを被ろうとする所だった。

「もっと、なんとかなりませんか」

 警察は一枚のチラシを取り出した。そして無理やり僕に握らせると、もう二度とこないといいたげなエンジン音を鳴らしながら走り去った。僕は走り去る警察の後ろ姿を見つめながら、渡されたチラシを見た。

 【高九羅商事:特殊清掃。孤独死、自殺などの遺体処理承ります】

 チラシをグチャグチャに丸めて、そこら辺に思いきり投げ捨てた。ちょうどチラシを捨てた辺りに死んだミミズに群がる蟻の行列がみえた。行列の途中を僕は力強く踏んだ。踏まれず生き残った蟻は、刃物を持った不審者から逃げ回る幼稚園児のように一目散に逃げ回った。

 ゾンビが人を殺しても罪に問われない。逆に人間がゾンビを殺しても罪には問われない。人間がアリの行列を踏んだのと何も変わらないように。このクソみたいな世界では。

――襲ってきた犯人は見つかったんですか?

 あいつらしかないと確信していました。そして夕那が動かなくなって一時間くらい過ぎた後、駅に向かいました。

 駅では今日もゾンビ法案廃止に向けた活動家が大声をあげていた。映画に出てくる醜悪なゾンビの姿に総理大臣の顔写真を貼り付けている。僕はそきつらに向かってまっすぐ歩いていった。そして一番背の高い男に訊ねた。

「ゾンビいるところ知ってるか?」
「俺達がか?知ってるわけないだろ」
「あんたらゾンビを狙ってるんだからそういうネットワークあるだろ?教えてくれよ」
「なんでだよ」
「ゾンビになりたいんだ」

 彼らはゾンビを存否と書く。存在を否定するという意味だそうだ。恐らく彼らが支持する存否消滅政党は、政治家が高齢化して世代交代を狙っていたにも関わらずゾンビ化して政治家を続ける事が一番嫌なのだろう。

 男は僕に凄んできた。しかし今の僕に理性は無かった。気がつくと僕は男の胸ぐらを掴んでいた。すると周りにいた男の賛同者らしき人が僕を囲んだ。夕那の時と一緒だ。夕那はこんな男達に囲まれてさぞかし怖かったに違いない。しかもあの時の唇の跡。あれは殴られた跡だ。恐らくあの時に夕那がゾンビである事に気づかれたのだろう。

「ゾンビの居場所な、知ってるけど言わねえよ」
「やっぱり知ってるんだな。教えろよ!」

 背の高い男は僕の顔を見てニヤリと笑った。

「代わりにな、ゾンビの殺し方教えてやるよ。あいつらは右手と右足を破壊するんだ。そうすれば歩けなくなるし這いずり回ることもできない。最後に頭を破壊するだけだ」

 男の一人が長い棒のようなものを振り上げた。それはまるでゴルフクラブのようなものだった。旗がついて偽装されているが、あれは間違いなく攻撃に使用しているに違いない。

「ゾンビになる前に味わってみるか?」

 やっぱり、こいつらだ。こいつらが夕那を殺したんだ。

 僕は長い棒が振り下ろされる前に男の顔に拳をぶち込んだ。人を殴ったのは人生で初めてだ。人を殴るとこんなに拳が痛いだなんて知らなかった。三発ほど殴った辺りで僕の指は腫れていた。しかしすぐに周りの男達にのぼりの棒で押さえつけられ、旗を顔に被された。そして僕は動けなくなった。覆いかぶされたのぼりの布から光が差し込む。ふとパンダの絵が布に描かれている事に気がついた。どこかで見た気がするが、そんな事はどうでも良かった。

 今日は人生で初めてのことが何度も起きた。人に殴られた事、人を殴った事、そして警察に連れていかれた事。もうそろそろ人生初めてにマヒしてもいい頃だ。

 交番の椅子に座り、先ほど家に来た警察官から説教された。先ほどはやる気がなかった警官だが、血相を変えて僕に向かって正義感を振りかざしている。僕が活動家の男を睨み続けると、態度がこれ以上悪いと警察から帰らせないと警告された。仕方なく、形式的な謝罪をした。しかし、心の中では頬が腫れ上がった背の高い男に舌を出していた。

 そして夕那が殺されて半月が経った。

#創作大賞2024
#ホラー小説部門


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