チカにエサを与えないでください 第五話
四人目 チカを殺したのは中嶋ではない
最初は頭が追いつかなかった。アタシがスマホになるなんて。
中嶋さんは私が地下室へ閉じ込められたときに助けてくれた。あの時は助けてもらった嬉しさでよくわからなかった。なぜ自分が助けられたのか。それはスマホになって初めて分かった。中嶋さんはチカの想いを守りたかったんだ。そして中嶋さんはチカの思想に心酔していた。二人が恋愛関係になっていたことは本当に驚きだった。アタシはチカの知らない一面があることにしばらくショックを受けていた。アタシはチカの親友のつもりだった。でも、アタシの知らないチカが、このスマホの中にいた。
SNS清掃団の始まりは、チカが成田、柏木、中嶋を誘ったことから始まった。その時の録音データが中嶋さんのスマホに残っている。
録音データ
「言ってることがよくわからない。どういうこと?」
「だから、誹謗中傷の示談の条件として、誹謗中傷しませんかってことよ」
「なんだよそれ」
「ここで慰謝料貰って、あなたたちが私への誹謗中傷をやめたとしても、私への誹謗中傷は減らないの。私は誹謗中傷を根本から無くしたいの。ホワイトハッカーって知ってる? 企業を攻撃していたハッカーが、企業を守る側として働いている仕事。元ハッカーだからこそ、守る側に立つととても優秀なの」
「む、難しいことはよくわからないです」
「誹謗中傷のスペシャリストのあなたたちに、私を誹謗中傷から守ってもらいたいの」
「つ、つまりどういうことですか?」
「私を誹謗中傷してくる相手へ、誹謗中傷し返すの。そして誹謗中傷するゴミはゴミ箱へ消えてもらう。私はSNSが皆の楽しめる遊園地になって欲しい。そのためには掃除が必要。遊園地だって毎日掃除をするでしょ」
「あなた、面白いわね」
「笑いのセンスはないけど、危機管理のセンスはあるつもり。汚れきったSNS、私達で大掃除しない?」
音声はここまでだった。
アタシは信じられなかった。でもこの声はアタシの知っているチカだ。親より話した時間が長いチカの声だ。
ねえ、チカ。誹謗中傷に悩んでいたんだったら、アタシにも相談してくれればよかったのに。あなたがやっていたことは誹謗中傷している人と同じなんだよ。人が死ぬことだってあるんだよ。いや、実際に死んでるんだよ。だから、見返りにチカも殺されちゃったんだよ。そんなの自分のせいじゃん。
でも、SNS清掃団の活動は、成田と柏木の死で終わったけど。
【速報】タクシー車内で爆発、乗客1名死亡 運転手は無事 不可解な「多くの手」の目撃情報も
2025年10月19日 午後4時30分ごろ、東京都渋谷区の路上で走行中のタクシー車内で爆発が発生し、乗客1名が死亡した。運転手は爆発の直前に車外へ逃げ出しており、けがはなかった。警視庁によると、タクシーは現場付近で突然急停車し、直後に運転手が車外へ飛び出す様子が防犯カメラに捉えられていた。数分後、タクシーの後部座席付近から激しい爆発が発生。火の手が上がり、車両の大部分が炎に包まれた。現場に居合わせた通行人の証言によれば、爆発の直前、「車の中にたくさんの手のようなものが見えた」と話す声もあったという。これについて警察は、「現時点では未確認の情報」としつつも、目撃者からの証言の収集を進めている。爆発の原因については現在も捜査中で、警視庁と消防庁は連携し、車両の残骸や周辺の防犯カメラ映像をもとに詳しい状況の解明を進めている。亡くなった乗客の身元は現在確認中。警察は事件・事故の両面で慎重に捜査を進めている。
なお、運転手は「客が手に食べられていた」と供述しており、爆発する前に車内で何が起きていたかについて、詳しい状況についても事情聴取が行われている。この不可解な爆発事件は、現場周辺に大きな衝撃を与えている。
【続報】タクシー爆発事件と奇妙な関連性か 披露宴会場で「ケーキから無数の手」が。新郎が死亡。
2025年10月19日午後4時30分ごろに東京都渋谷区で発生したタクシー車内の爆発事件に関し、警視庁は、近隣の披露宴会場で同日未明に起きた男性の死亡事件との関連性を捜査している。午後1時過ぎ、渋谷区内の結婚式場で行われていた挙式の披露宴の最中に発生。ウェディングケーキにナイフを入れた瞬間、ケーキの内部から無数の人間の手のようなものが飛び出し、新郎を襲った。複数の参列者が悲鳴を上げる中、新郎は床に引き倒され、駆けつけた救急隊によってその場で死亡が確認された。体中の肉がちぎられた遺体の死因は現在も調査中だが、現場には新郎の衣服は引きちぎられ、周囲に散らばったケーキの残骸、そして「人の肉で作られた料理のような物」が確認されたという。事件を目撃した参列者は、「ケーキの中から本物のような手が飛び出した。あれは幻覚ではない」と証言。現場の映像や写真も一部ネット上に拡散されており、その異様な状況に関心が高まっている。この事件の発生から数時間後、わずか数百メートル離れた場所で起きたタクシー車内の爆発事件では、運転手が「車内に異様な気配と“多数の手”を見た」と証言している。爆発の直前に車を飛び出して無事だったが、後部座席の乗客は爆発によって死亡した。亡くなった被害者はこの披露宴会場のスタッフであるという場もあり、警視庁は現在、「人間の手」のような存在が共通して目撃されている点に着目し、両事件の関連性を強く疑っている。異常な現象の背景には何があるのか、第三者の関与や未確認物質の存在も視野に入れた科学的な分析も始まっている。一連の事件に対し、専門家の間からは「これまでの常識では説明できない現象」との声も上がっており、事件の全容解明には時間がかかりそうだ。市民の間では不安が広がっており、警察は周辺住民に対し、現場周辺への不要不急の立ち入りを控えるよう呼びかけている。今後の続報に注目が集まっている。
中嶋さんは地下室で一人、表情を変えることなく柏木のニュース記事を読んでいた。あれから、もう一年前になる。あの事件は今でも都市伝説のように騒がれているが、警察は既に捜索を打ち切っている。披露宴で新郎を殺した犯人はタクシーの中で爆弾によって自殺した柏木であり、披露宴の招待客に幻覚を見せるために食事へ毒を盛ったと発表されている。これ以上世間を混乱させないためのものかもしれない。
でも、あれは自殺じゃない。柏木が爆発した理由を知っている。
中嶋さん、アタシはあなたの味方だ。あなたは捕まったアタシを助けてくれた。チカがあなたと付き合っていたという理由も少しわかる気がする。柏木と成田はチカが死んでからというものの、SNSの清掃という名目でどんどん暴走していた。だって成田は自分の毒親をターゲットにしてるし、柏木は自分を振った男を次々と復讐するかのように殺していた。チカが最初に言っていた目的はすでにどこかになくなっていた。そのことに中嶋さんは苛立っていた。チカもそんなまっすぐな中嶋さんに惹かれたのかもしれない。でも、アタシが知る限りチカには中島さんと付き合う前に恋人がいた。だから、中嶋さんとの事実に心底驚いた。でもその恋人を捨てて中嶋さんを選んだということなのだろう。アタシは恋人の事もよく知ってるから、アタシには言えなかったのかもしれない。でも、言って欲しかったな。親友でしょ、チカ。
ちなみに中嶋さんはこのスマホをたまにしか使わない。アタシは中嶋さんの家の中で一度も電源を入れられたことは無く、家に入る前に必ずシャットダウンされる。活動の終わったSNS清掃団専用のスマホだから、仕方がない。でももしかしたらチカとの思い出が詰まっているから、今の恋人にそれがバレないようにしているのかもしれない。用意周到な性格なんだろう。性格と言えば、
中嶋さんとチカの写真には全て加工されていた。それは中嶋さんの顔にスタンプがついていて、顔がわからなくなっていた。チカの写真が流出して問題にならないようにしてあるのだろう。
しばらくすると、玄関の方から音がした。足音が少しずつ大きくなる。そしてリビングのドアが開いた。入ってきたのは男性だった。その人物は小さな声で中嶋さんに問いかけた。
「中嶋さん、ですか?」
中嶋さんは頷いた。そして彼に向かって挨拶をした。
「はじめまして。赤坂のバーで働いていて、パワハラな店長で心が折れそうだから店長を社会的に抹殺させたいバーテンさんですね」
中嶋さんはハキハキと男に向かって話した。清掃団の時のしゃべり方は、演技だったかのように。その男は少し驚いた表情をした。
「すでに僕の事を調査済ってことですか?」
「当然です。仲間になる可能性がある方は、徹底的に調査しないといけませんからね」
中嶋さんと男は軽い自己紹介をした後に、当たり障りもない話を数分繰り返した。そして男の方が本題へ切り込んだ。
「ところで、合法的に誹謗中傷をやれるというのはどういうことですか?」
「ターゲットの調査から、こちらの身分を全て隠す方法、そして確実に相手を消耗させてダメージを与えるやり方。全て伝授します」
アタシは中嶋さんの考えている事がわからなくなっていた。もうチカも成田も柏木も、全員死んだ。これ以上、何もすることはないはずだ。しかし中嶋さんは彼に話し始めた。元々ここに三人の仲間がいたこと。ここで起きたことのほとんどを彼に話した。ただ全員の名前は出さなかった。そして彼らが最期にどうなったかだけは触れなかった。
「今は、お一人なんですか?」
「他のメンバーは、足を洗いました。最初は誹謗中傷をしていた人が逆に誹謗中傷されて、病んだり亡くなったりするのを喜んでいました。しかし自分の手で人の命を奪うという行為が少しずつ心にダメージを受けていたのかもしれません。死刑執行のボタンを押す人が三人に分かれているのと同じ事ですかね」
彼は中嶋の話を興味深そうに聞いていた。
「抜けた人はは捕まってないんですか?」
「ええ。当然です。絶対に捕まりません」
中島さんの言葉を聞いて、男は嬉しそうにニヤついた。捕まらないのは当然だろう。全員、この世にいないのだから。
中嶋さんは地下室への階段を指さした。
「詳しいことは地下室で話しましょうか」
中嶋さんと男は、地下室へ降りていった。男は用心深い性格なのか、中嶋さんのあとからついてきている。
地下室はきれいに片付いていた。ソファの横にドミノが並べられている。あの時、アタシが倒したはずなのだが、もとに戻っているようだ。祠と言っていたから、封印のために誰かが並べたのかもしれない。その周囲には何匹かのイモムシが這っている。ドミノを倒しそうなギリギリのところを、何匹も。
中嶋さんはソファに座ると、彼を横へ座るように誘った。直後、中嶋さんは立ち上がってお腹をさすった。
「なんだかお腹すきません?」
中嶋さんは一階から鞄を取ってくると、中から肉巻きおにぎりを取りだした。
「どうです、お近づきのしるしに」
男は中嶋さんから肉巻きおにぎりを受け取ると、どうしていいかわからない表情をした。おにぎりには口をつけることなく、男は中嶋さんに質問をはじめた。
「内容はわかったんですが、ターゲットはどうやって決めるのですか?」
「最初は『みなさんエサの時間です』というメールでターゲットの情報がメールで届いていたんです。僕たちはエサメって呼んでました」
「誰がそのメールを?」
「ある人から届いていました」
中嶋さんは首を振った。
「SNSをきれいにしたい、そう考えていた人でした。でも誹謗中傷で亡くなりました。許せません」
男は中嶋さんの言葉に強くうなずいた。
「実は僕も誹謗中傷されています。でもSNSで間違ったことを言う人に、おかしいと言っているだけなのに。死ねや殺すなどの誹謗中傷が毎日山のように届きます。僕も誹謗中傷をこの世から無くしたい。だから協力します」
「ありがとうございます。世の中にはこんなひどいことがまだ数えきれないほどある」
中嶋さんはアタシのAIアプリに、〈誹謗中傷で起きた事件を教えて〉と問いかけた。するとAIはネットから調べてきて整理したことを、さも自分が知っているかのように流暢に語り始めた。
一、田中弁護士ネットリンチ事件
概要:ある弁護士(田中氏)がインターネット上の誹謗中傷に法的対応を行ったところ、一部の掲示板ユーザーらが「ネットの自由を脅かす存在」として逆恨み。SNSでも晒し行為や嫌がらせが何年にもわたり続いた。
歪んだ正義感:「表現の自由を守る」「検閲に抵抗する」などの名目で攻撃を正当化。
被害:本人や家族への脅迫、私生活の暴露、殺害予告など。
二、山本ユリカ大麻疑惑騒動
概要:人気インフルエンサーの山本ユリカに対し、「大麻を使用している」とする真偽不明の情報がSNSで拡散。証拠のないまま「制裁」を加える動きが広がった。
歪んだ正義感:「有名人は模範であるべき」という価値観の過剰適用。
被害:名誉毀損、スポンサー契約の打ち切り、精神的苦痛。
三、海外の群衆事故とSNSによる加害者探し
概要:ある都市で発生した群衆が雪崩のように倒れたことで圧死した事故の後、SNSで「誰が押したか」といった犯人探しが過熱。顔写真や名前を無断で晒すなど、誤った私刑が横行。
歪んだ正義感:「真実を明らかにする」「犠牲者のため」とする過剰な追及。
被害:誤認された一般市民への中傷・嫌がらせ。
四、地震時の避難民ペット放棄バッシング事件
概要:ある大規模地震が発生した際に、避難所にペットを連れて行けなかった住民がいたことがSNSで問題視され、「動物虐待だ」と個人攻撃を受けた。
歪んだ正義感:「動物の命を守る」という目的が行き過ぎ、事情を無視した断罪に。
被害:ペットを泣く泣く置いていった避難住民が誹謗中傷を受け、二次被害に苦しむ。
五、アルバイト悪ふざけ動画と過剰制裁事件
概要:飲食店の若者が厨房などでふざける様子をSNSに投稿したところ炎上。過剰な情報拡散により、加害者の家族や学校まで攻撃対象に。
歪んだ正義感:「企業の信頼を守る」「社会常識を正す」とする過剰な道徳警察的行動。
被害:未成年者の将来破壊、精神的ダメージ、社会的孤立。ある家族は離婚して、家族崩壊した。
六、駅での痴漢誤認・私刑拡散事件
概要:ある駅で痴漢が発生した際、現場にいた無関係な男性が「犯人らしき人物」として顔写真を無断で撮影されSNSに投稿される。実際には無関係だった。
歪んだ正義感:「性犯罪を許すな」という正義感が誤認と暴走を招く。
被害:誤認された人物が職を失い、社会的信用を損なう。
七、人気インフルエンサーのアンチ撲滅運動による暴走
概要:ある女性インフルエンサーが「腕がぷよぷよ」という言葉と共に細い腕の写真を投稿したことで、彼女がルッキズムで人を判断すると拡散され、誹謗中傷が始まる。
歪んだ正義感:「劣等感」という感情が集団私刑に変質。
被害:インフルエンサーが命に係わるほどの中傷を受けてアカウントを削除。
いかがでしょうか? 他に聞きたいことがあれば遠慮なくお知らせください。
AIは喋り終わると、次の指示を待った。中嶋さんはAIを無視してハンカチを取り出した。
「法律は私たちを守ってくれない。完全に世界はクソだらけです。こんな世界は一緒にキレイキレイしませんか?」
そして中嶋さんはハンカチでソファについていた汚れを拭いた。そして男に笑顔を見せた。
男は感情を顔に出すことなく頷いた。そして電子タバコを取り出すと、「吸ってもいいですか」といい、火をつけた。化学薬品の匂いがする煙を吐くと、初恋にときめく少女のような笑顔を見せた。
「なんだか安心しました。私と同じ考えの方がいると知って」
中嶋さんは頷いた。
「よかったです、今日お呼びして」
アタシは、なぜ中嶋さんがこの男を誘ったのか、ずっと考えていた。
男は電子タバコの吸い殻を、持ってきたペットボトルのコーヒーの中に入れた。
「推定無罪なんて、おかしいんですよ。あきらかに罪を犯しているってわかるやつは、証拠なんかいらないんですよ。国が犯罪者を飼っていると言ってもおかしくないです」
「本当ですよね。今までご自分で私刑とかなさってるんですか?」
「いえ。私はまだそこまでの勇気がなくて。ただ、私がこいつはおかしいと思った人は全力で追い込みます」
「お、追い込む?」
「おそらく皆さんと同じです。時間が余りまくった老人の程度の低い誹謗中傷じゃなくて、間接的にターゲットを追い込むような方法です。そういう意味では、何人か掃除させていただきました」
「すごい、どんな人がいたんですか」
「そうですね。ネットでイキってる起業家とか、思想の偏った思想家とか。反ワクチン系とかスピ系は簡単でしたね。あと個人的にイラッときたので料理系のおしゃれインフルエンサーもちょろっと。簡単でしたよ、命を消すのって」
アタシは気持ち悪くなった。誹謗中傷で人を殺した経験を、今まで食べたことのあるラーメンみたいな扱いで喋るこの男に。そして、今のこの男の言葉を聞いてわかったことがある。中嶋さん、もしかしてチカを殺したのはこの男ですか。
中嶋さんは鞄からごま油とコチュジャンを取り出した。
「なんですか、焼肉でもするんですか?」
「焼肉もいいですけどね、僕は生肉が好きなんですよ」
「もしかして、それはユッケの準備?」
「正解です。どうですか? 一緒に」
「うわー、大好きなんです、生肉。牛のユッケが食べられなくなったし」
男は嬉しそうに立ち上がった。その拍子に足がドミノに触れてしまった。すぐに軽快な音とともにドミノが倒れていった。
「あ、すみません」
「気にしなくていいですよ、あとで並べておきますから。それより、用意するんでお待ちください」
「何肉なんですか? 楽しみです。いただきます」
中嶋さんは男が発した言葉を聞いて、口角を少し上げた。さっき中嶋さんが立った時に、アタシはソファに残されていた。画面にメッセージを一つ残して。
アタシは全身の毛穴から水を放出しているような感覚に陥った。スマホだから毛穴はないけど。とにかくそれくらいの全身からの放出感に襲われた。同時にアタシの液晶から細い手が飛び出した。獲物を狙う蛇のようにするどい速さで男の脇腹に食らいついた。彼は痛みをこらえて慌ててソファから立ち上がろうとした。しかし彼の両足首が別の手によって掴まれていた。前に踏み出せなかった男は、バランスを崩してソファの前に倒れた。ソファの側面には、#チカ という文字が大量に書かれていた。そして全てのチカの文字から手が飛び出して、男を襲い始めた。身動きが取れない男は、こんにゃくを手でちぎるかのように次々と体の肉を指で削り取られていった。イモムシたちも加勢するかのように男へ自分の体を刺しはじめた。
中嶋さんは一心不乱に男の体を食べようとついばみつづける大量の手に向かって語りかけた。
「ねえ、チカ。僕は後悔している。初めから君を止めておけば、こんなことにはならなかったはずだ。君が殺されることも無かったのかもしれない。でも君とこうして会えるのが僕は嬉しいよ。手だけとは言え、君を蘇生させてくれたこの地下室にも感謝しなきゃ。おかしな地下室だよね。食べて、蘇生させる地下室。どういう仕組みなのか全くわからない。でも、そのおかげで君と再び会えた」
アタシのメモリーに記録されているのは、全てが中嶋さんとチカの幸せな時間だ。もう取り戻せない、二人の笑顔がデータ容量ギリギリまで詰まっている。このスマホには君の人生のかけがえのない宝物が詰まっている。チカは誹謗中傷する人全てを憎んでいたんだ。だから、これはチカと中嶋さんの最後の清掃だ。そして、チカの無念を晴らせる時なのだ。
ありがとう中島さん。
中嶋さんは、地下室を名残惜しそうに眺めた。さっきまで人間だった肉の塊にのそばに近寄った。そして血が付着したナイフを取り出すと、中嶋の手に握らせて、そのまま元の袋へしまい込んだ。
中嶋さんは散乱しているドミノを掴んで、肉塊の横に並べ始めた。
「さっき【簡単でしたよ、命を消すのって】って言ってくれて、驚いたわ。オレの兄貴は簡単でしたか。そんなに消しゴムみたいでしたか。でも、まさか弟があんたの住所を特定して隣に住むとは思ってなかったんじゃないですか? 簡単ですもんね。オレはね、どうやってこいつを処分してやろうと思ってました。郵便受けに入ってた内容証明を見たときは最高でしたね。【面白い示談しませんか?】って。行くしかないでしょ。あんたの代わりに。ここであったこと全部、あんたのせいにできるって最高なんだけど。あんたは自決したサイコパスとして未来永劫名前が残るね。あんたの家族は一生表に出られないよ。あんたの娘十三歳だったっけ。これから青春なのになぁ」
中嶋さんは鞄から一枚の写真を取り出した。彼と似た顔の男がもう一人映っている。公園で二人一斉にすべり台を降りる兄弟だ。
そして写真をしまうと、チカが食い荒らしている肉の塊に満面の笑みを向けた。
「ありがとうな、ホンモノの中嶋さん」
中島さんは偽物だった。
しばらくその理由を考えていた。
あなたはチカと同じだったんだ。誹謗中傷をしていた人をこの世から消すつもりだったんだ。偽中嶋さんは誹謗中傷する人たち、全てに刑を与えようとしたんだね。チカのため、そして自分の兄弟のため、これからの未来を生きる人のため、世界を少しでもきれいにしようとしてくれたんだね。チカの想いを、行動に移してくれたんだね。
チカはこれで満足してくれるかな。いや、満足はしないかもしれないけど、あなたの恋人が仇をうってくれたから嬉しいかな。偽中嶋さん、チカを殺した犯人を見つけてくれてありがとう。親友の恋人が、こんな素敵な人で良かった。アタシは偽中嶋さんのやっていることを全て肯定する。
そして偽中島さんが慣れた手つきでドミノを並べ終わった頃、大量のチカに手による本物の中嶋の私刑が終わった。
再び並んだドミノの先頭をイモムシがチョンと押した。まるでなにかから逃げているかのように、ドミノは倒れていく。ドミノの音が、この悲劇の幕を引く音のように部屋に響いていた。
これで全てが終わる、はずだった。
偽中嶋さんは、ソファに置かれていたアタシを取り上げるとSNSを開いて、見知らぬ女のアカウントを開いた。動画のサムネイルには、お腹の大きい女性と、その夫らしい男性が写っていた。偽中嶋さんは動画を笑顔で見始めた。
アカウント名:十月十日後に天使が舞い降りる新米夫婦Vlog
男は女の腹を優しくさする。そして女へ呟く。
「むにゅんって動いたね」
「蹴ったりするって聞くけど、ヨガやってるのかな」
「さっそくお母さんの趣味を真似してるのかな」
カメラはカレンダーへ移動した。23日に赤い丸がついている。
「あと五日。楽しみね」
男は大きく頷いた。一瞬口元が見えた。そして男は鼻歌を歌い始めた。
♪
鳩にはエサをあげないで
地蔵にカサをあげないで
ましてや大トロお供えしないで
「なに? その歌」
「昔知り合いから教えてもらったんだ」
「変な歌」
「なんか元気が出るんだよね」
「そうだ、この子の名前はどうする?」
「女の子だから、ママから一文字とってレイカなんてどうだ?」
「ママなんて言われるの少し恥ずかしいな。レイカか。羽根島レイカ。可愛い。ありがとう。パ、パ」
停止
顔は写っていないが、その男の風貌には見覚えがある。いや、目の前にいる人物を間違えるはずがない。更に一瞬映った女性の顔を見て愕然とした。
まったく理解できなかった。いや、偽中嶋が羽根島という名前なのはわかった。それ以外がまったく理解できない。羽根島には彼女がいると言っていた。チカが死んだ後に他の女性と付き合うことに関しては、責めるつもりはない。でも、なぜ。なぜ、その相手がねもっちなの――
頭の中が混乱してきた。
そもそも、なぜチカは羽根島とつきあい始めたのだろうか。チカがその前につきあっていたのは、ねもっちだ。田名千佳、根元知佳、アタシの、三人の親友。チカという同じ名前の二人がいて混乱するからと、呼び名をじゃんけんで決めた。勝ったのが千佳で、負けたのが知佳だ。そしてそれぞれをチカ、ねもっちと呼ぶようになった。高校三年生の時、チカとねもっちの二人が恋人としてつきあうと言い出して心底驚いた。多様性の時代と言われても、アタシの心が時代に追いついていなかった。
だから、羽根島がチカと付き合っていると知って、やっとチカが正常に戻ったのかと思っていた。いや、正常というのは正しくないかな。多数派って言えばいいのかもしれない。
そもそも、なぜ羽根島はチカが飢えていた時に、助けてあげなかったのか。恋人なのに。羽根島は心理学を勉強していると言ってたのに。最悪、洗脳をしてででもチカを改心させられなかったのか?
気がついていなかった。よく考えたら羽根島とチカの関係にはおかしな点がたくさんある。整理して考えなくてはいけない。なぜチカはねもっちと別れて羽根島と付き合い始めたのか。そして、なぜ羽根島はチカが死んだ後にねもっちと付き合い始めたのか。
アタシは考えていた。
わからない。羽根島の考えていることが。
羽根島はアタシの大事な親友カップルを破局させ、その両方と付き合っている。目的は、いったい何なのだ。
アタシの頭の中にいくつもの【もし】が浮かんだ。
もし、本物の中嶋はチカを殺してないと仮定したら。
もし、人を殺しても罪を誰かに押しつけることができるとしたら。
もし、恋人が邪魔になったら。
アタシが殺される前にスマホから教えてもらったメッセージを思い出した。
ち
か
を
こ
ろ
し
た
は
ん
に
ん
が
わ
か
っ
た
の
な
ま
え
は
ね
そうか。【名前はね】って問いかけて終わったのかと思ってた。違ったのね。【名前】【羽根】でしょ。羽根島の羽根なんでしょ。
あんたが、殺したんだ。
あんたなんなのよ、アタシの親友になんてことしてんのよ! アタシの親友を殺した男がアタシの親友と結婚するって、どんな顔したらいいのよ!
「おい、チカ!」
男を食べている手たちの動きが止まり、手のひらが一斉に羽根島の方へ向いた。
「へえ、耳がないのに、僕の言葉がわかったんだ」
手は一瞬動きを止めると、その直後に羽根島へ向かって襲ってきた。しかし彼はジャケットを脱いでかざした。
「チカ、君はジャケットのポケットに手を入れながら歩くのが大好きだったよね」
部屋に蠢いていた大量のチカの手は、なにかに導かれるように羽根島のジャケットのポケットへ吸い込まれていった。
「チカ。僕も誹謗中傷する全ての人間が憎いんだ。誹謗中傷も誹謗中傷を利用する人も」
そして乱暴にジャケットをソファへ投げ捨てた。
羽根島は鞄から小さな破片を取り出し、鳩に餌をまくかのように床にまいた。すると、どこからともなく集まってくる鳩のように、どこへ隠れていたのかわからなかった大量の肌色のイモムシたちが這い出してきた。そしてイモムシたちは破片を食べようとしていた。よく見るとイモムシたちは破片を食べているんじゃなかった。自分の先端部に破片を名残惜しそうにこすりつけていた。破片の一つが羽根島の足元に転がっていた。それは、指から剥いだ人間の爪だった。
そしてソファの上にアタシを放り投げた。その後、飲みかけの酒瓶やスナック菓子を乱雑に床へ置いた。酒瓶を手にすると、アタシや本当の中嶋へ中身をかけた。羽根島が持っているのはウォッカの瓶だ。ビニール袋から取り出した吸い殻を辺りにまき散らした。
アタシはさすがにバカじゃない。このあと、地下室で起きる事は容易に想像がついた。
お願い。
せめて火を点ける前にアタシの電源を切って。なんなら今すぐ初期化して。こんなに悔しい思いは一秒でも早く忘れたい。
チカの仇を打てないまま死んでいくのは辛すぎる。目の前に犯人がいるのに。スマホになってから、ずっと目の前にいたのに。
アタシの希望も虚しく、吸いかけのタバコが引火し、ソファが燃え始めた。ガソリンや灯油と違い、ソファから床、壁とゆるやかに火が広がっていく。酔っ払った際のたばこの不審火で燃えてしまったという事を演出するためだろう。そしてSNS清掃団や指切り犯は、全て中嶋という男が責任を負うことになる。
火だ。
まるで焚き火を見ているような気分だ。これがキャンプファイヤーならどんなに良かったか。
熱いという感情はないが、自分の周囲が少しずつ燃えていくのは、あまりいい気持ちがしない。棺桶に詰められて火葬場に入ったらこんな感じになるんだろう。そういえば、人間のアタシは火葬されたのだろうか。火葬場で燃やされる経験は死なないとできないから、貴重な体験かもしれない。
羽根島は火が消えないことを確認すると、地下室から出ていった。チカに食い殺された本物の中嶋とジャケットに吸い込まれたチカとアタシの三人しかここにはいない。あとは大量の指もいる。うち二人は人ですらないけど、指は何人分なのかわからない。火の勢いが強くなり、アタシを守っていた保護カバーもぐにゃりとゆがみ始めている。温度センサは測定可動域を超えてしまった。ドラマでよく見るみたいに、ガソリンをまいて一気に燃やしてくれ。
アタシは少しずつゆっくりと、意識はあるのに動けないまま最期を迎える。人間ならドラマチックな走馬灯を見るのかもしれない。アタシは残念ながらストレージに記憶された全てのデータを片っ端から振り返ることくらいしかできない。情緒もへったくれもない。へったくれがあったら少しくらいアタシの死に際が素敵になるのだろうか。この際、情緒は諦めるから人生の最期のくらいへったくれに恵まれたかったなぁ。あーあ、病院のベッドで寝たきりになりながら、涙交じりの家族に囲まれつつ、へったくれたっかたなぁ。
というか、へったくれってなによ。
死ぬ間際にも、こんなくだらないことを考える暇があるなんて、最悪の死に際だ。
なんでこんなことになったのだろう。
アタシはチカの死んだ理由が知りたかっただけだ。
知らなかったことをたくさん知った。
でも知ったからといって、気持ちが晴れることは無かった。
チカ、アタシはあなたのことなんにも知らなかったみたい。
ねもっち、なんで付き合ってるのかわからないけど、そいつ最悪だから。今すぐ逃げて。
これが真相なのか、アタシの妄想なのか。二人に直接聞きたかった。
いや、真相なんて、親友の秘密なんて、へったくれなんて、知らない方がいいのかもしれない。
連続指切り強盗事件、ついに凶器発見か。
日本中を恐怖に陥れてきた連続指切り強盗事件において、捜査本部は19日未明、事件現場の一つである崎河市内の空き地から、事件に使用されたとみられる凶器を発見したと発表した。凶器は刃渡り約15センチのナイフで、微量の血痕が付着しており、現在DNA鑑定が急がれている。
この連続強盗事件は、一昨年12月以降、県内で計5件発生、県外では20件以上発生していた。いずれの事件でも被害者の指が切断されるという残忍な手口が共通しており、地域住民に大きな不安を与えていた。特に、犯人が金銭は一切取らずに被害者への精神的苦痛を与えることを目的としている可能性も指摘され、その異常性が強調されてきた。
捜査関係者によると、凶器が発見されたのは、昨年3月に発生した4件目の事件現場から約500メートル離れた場所。事件発生当時、現場周辺は徹底的な捜索が行われたが、当時は発見に至らなかったという。今回の発見は、近隣住民からの「不審な物を埋めている男を見た」という情報提供がきっかけとなった。
発見されたナイフは、柄の部分に指紋のような痕跡が残されており、鑑定作業が進められている。もし指紋が検出されれば、犯人特定への大きな手がかりとなることは確実だ。また、付着していた血痕が被害者のものと一致すれば、このナイフが犯行に使用された物であるとの確証が得られる。
捜査本部は、これまで以上に情報提供を呼びかけるとともに、周辺住民への聞き込みを強化。事件の早期解決に向けて全力を挙げるとの姿勢を示している。
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