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【連載小説】企業のお医者さん 第6話 #創作大賞2024

6 契機
 郡山出張所開設に掛かる初期費用は織田が準備をしてくれた。
 久志が事務所として選んだのは雑居ビルの1室、5坪の小さな事務所だった。分不相応に大きな事務所を構えることをしたくなかった。出張所が「独立採算制」とされたこともあり、維持経費を抑える気持ちも働いていた。
 実務1年4ケ月で就任した出張所を助けてくれる人脈は全く無かった。まだ公認会計士の三次試験は合格していない。実務には自信があった久志も、一国一城の主として出張所の人事労務、資金繰りなどの経営、新規顧客獲得のための営業という、慣れない仕事には苦しい日々を過ごした。

 それでも郡山で家族と暮らしながら公認会計士試験に向けて研鑽をする日々は嬉しかった。久美を寝かしつけなくてはならないため、高校時代のように一晩中電気を点けて勉強することはできなかったが、寸暇を惜しんで試験に向けた努力を続けた。
 しかし郡山出張所長として2年の実績を重ねても合格には至らず、経営と生活は苦しいままであり、生きる難しさにも直面していた。

 そんな冬ある日、清水台にある郡山商工会議所では専務理事の大泉が顔を顰めていた。商工会議所監査の後任人事が難航していたのである。商工会議所の人事は政治的なバランスに配慮する必要があるが、拮抗する勢力がそれぞれに候補者の名を挙げており、どちらを選んでもその後の会議所運営に支障をきたすことが容易に想像できた。
(争いは避けたい。上手い落としどころを見つけられないものか)
後任候補者の名前を書いた紙を前にして、総務部長の本田を呼んだ。
「本田君は、どう思う」
本田は顔を顰めた。うかつな発言で後々批判を受けることは本意ではない。どちらの陣営からも恨みを買いたくない。
「どちらも選びにくいのでしたら、いっそ第三の候補はいかがでしょうか」
「そんな、宛てがあるのか」
大泉の目が大きく開いた。しかし本田は苦し紛れに出した言葉なので「宛てはない」。本田の胸が重苦しくなる。だが「無い」とは言えない圧も感じ苦い時間が流れた。本田の心が絞り出すようにある事務所の看板が心に浮べた。何人かの会員からその事務所の噂を聞いていたことも思い出した。
「税務署の近くに、織田公認会計士事務所 郡山出張所という事業所があります。公認会計士を当会議所の監査とする案はいかがでしょうか」
 正解かどうかは別として、とにかく解を示さなければならない。総務部長に昇進したばかりで大泉専務理事の不評を貰うのは嫌だった。
 大泉の目が鋭く光り、咎めるように本田に確認する。
「郡山には、公認会計士がいない筈だが」
福島市、いわき市には公認会計士がいると聞いていた。それなのに福島県の商都と称される郡山市に公認会計士が居ないことは、商工会議所の専務理事にとって喉に刺さった魚の骨のようなもので、常々に気になっていた。
「所長は現在、公認会計士補として実務を行いながら三次試験合格を目指しているそうです」
本田は会員から聞いていた、記憶の糸を必死で探りながら答えた。
「公認会計士補か、少し弱いな。しかし悪くないアイディアだ、その所長に会うか」
大泉が興味を示したことを受け、本田の顔に笑みが浮かぶ。
「それでは、専務の都合の良い時間に会議所に来るよう連絡します」
大泉は露骨に気色ばんだ。
「本田君、こちらからお願いに行くのに、呼びつけるのは失礼だろう。俺から会いに行く。所長のアポを取ってくれ。なるべく早く会いたい」
(わざわざ専務が行かれるのですか)という言葉を飲み込み、
「承知しました」
とだけ応えて自席に戻り、電話をした後、部下に少し指示を出し、すぐに大泉の元に戻ってきた。
「なるべく早くということでしたが、今から夕方までは、いつでも大丈夫とのことです」
「いいね、じゃぁ早速行ってみるか。本田君、場所は知っているのか」
 本田が答えずに後ろを振り返ると、部下の山崎が本田の傍に来て地図のコピーを1枚手渡した。本田は、地図に赤ペンで〇を書いて、大泉に渡した。
「事務所は、ここの1階になります」
この辺りの本田の動きは実に如才ない。
「すぐ近くだな。本田君一緒に行けるか。歩きでいいな」
「もちろんです。山崎君、織田事務所にこれから向かう旨を伝えておいて欲しい」
 二人はコートを羽織ると商工会議所会館を出て南に向かった。冬の風は冷たかった。

 商工会議所からの電話を受けた久志は戸惑いを隠せず、二人の従業員も不思議そうな表情を浮かべていた。
(商工会議所への勧誘だろうか。それにしては専務理事が来るというのは大げさな話だ。それとも何か苦情でもあったのか。経営に悪い影響が出なければよいが)
 悪い考えがポツポツと浮かんでは消えていく。程なくして玄関が開かれて男が二人入ってきた。
「失礼します、先ほどお電話した郡山商工会議所の本田と申します。山部所長はいらっしゃいますでしょうか」
久志は玄関先に向かい本田に応えた。
「山部です、御足労いただき恐縮です。狭いところですがどうぞ中にお入りください」
本田は軽く頭を下げ中に入ろうとしたが、後に立っていた大泉は入ろうとしなかった。
「いきなりで申し訳ないがトイレはどこかな。体が冷えてしまった」
久志はバツが悪い顔を浮かべて応えた。
「申し訳ありません。事務所にはトイレが無いので、西側にある公園のトイレを使わせていただいています」
 大泉は答えを聞くや否や駆け出すようにして事務所の外へと向かいながら、抱えていたコートを慌てて羽織った。
 残された久志と本田は、久志の机の前にある小さなテーブルの前へと進んだ。
(第6話 おわり)

第7話はこちらです。

第5話はこちらです。

第1話はこちらです。


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