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【中学受験】私立中学校で身につけた「自分の時間の使い方」という「取捨選択」


子どもは、私立中学校に入学して、そこで初めて「内職」というものを覚えた。

授業のコマの中には「宗教」の時間があり、子どもたちにとっては、どうしても「退屈で、成績にも直結しない、無駄に感じる時間」だった。

講堂に集まるその時間になると
みんなそれぞれ、覚えたいことを書き込んだ小さな紙切れをポケットに忍ばせて行く。

壇上では、大人が宗教について熱心に語っている。

しかしその前で、子どもたちは視線だけを時々上に向けながら、実際には自分の暗記に必死になっている。

やがて学校側も、生徒たちが講堂で宗教の話を聞かずに「内職」をしていることに気づく。

すると今度は、講堂に入る前に、生徒の持ち物やポケットの中を検査するようになった。

「覚えたいことを持ち込ませない」という形で、時間の過ごし方を学校側がコントロールしようとしている。

それでも、子どもは中学1年生の頃から、「内職」をすることを当たり前のこととして受け止めていた。



「内職って何?」公立高校で気づいたギャップ


子どもはその後、公立高校に進学した。

友達との会話の中で、何気なく尋ねたという。

子ども 「◯◯の授業の時に内職する?」

すると返ってきた言葉は、子どもには予想外の一言だった。

友達 「内職って何?」

その瞬間、子どもは、自分が「時間の使い方」をかなり早い段階から意識してきたことに気づいた。

中学1年生のときからすでに

「今、自分にとって必要なことは何か」
「この時間をそのまま受け取るのか、別のことに充てるのか」

私立中学校で身についた「時間の取捨選択」


与えられた時間をそのまま受け身で過ごすのか。
それとも、自分に必要な学びのために少しだけ工夫をして使い直すのか。

この二択を子どもはすでに中学時代にしていた。
「内職」は、大人から見ると規律違反に見えるかもしれない。

でも、子どもにとっては
「自分の優先順位に沿って、時間を再配分する」最初の練習だった。

その授業が自分の学びに直結しないと感じた
今やらねば後で戻らない内容が他にあった
その時間は、講堂で聞いてもすぐに忘れると感じた

こうした判断は学校の許可とは別に子どもの中で繰り返され続けていた。



その感覚は、後の人生にもじわじわ影響する

この「内職」状態で身についた感覚は、中学や高校を過ぎても、その後の勉強や仕事の仕方にもじわじわと影響していく。

どのタスクを先にやるか
どの時間は「聞くだけ」でいいか
どの時間は「自分のために使う」か

こうした判断の基盤として「内職」が持っていたのは、
子ども自信の学び・生活のリズムを自分なりに調整する力だった。



「うちの子は、学校の時間をどう感じているか」を問い直す


もし
「うちの子は、学校の時間をどう感じているんだろう?」
「本当に必要なことに時間を使えているんだろうか?」
と感じることがあれば、その視点を共有してみるのは、意外と大切な会話になる。

学校の時間はすべてが「そのまま受け取るべき」ものではない。

一方で「内職」だけが正しい答えでもない。

どこまでを学校に預けるか
どこからを自分でコントロールするか

このラインを、親子で一緒に試行錯誤していくことがは、結果として、「自律的な学び方」「時間の使い方」につながっていく。




子どもが「時間の使い方」や「取捨選択」を身につけていくエピソードをいくつか書いています。
今回の「内職」の話と一緒に読んでいただくと子どもさんの「学校の時間の意味」や「子どもの選択」の見え方が少し変わってくるかもしれません。



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太楼@偏差値45から医学部・難関大へ導く伴走 最後までお読みいただきありがとうございます。