「やろうとしてもできない」は体の設計だった。
――低出力モードの創作実験・予告編
(※クリームパン回収予定)
私は長いこと、「やろうとしてもできない自分」を怠け者だと思っていた。
パソコンを開けない。
構造が組めない。
文章が立ち上がらない。
やる気はあるのに、起動しない。
これは意思の弱さだ、と。
けれど最近、身体の設計を少し見直す出来事があった。
婦人科で診てもらい、
子宮筋腫は豆粒サイズ。
わずかに内膜症傾向あり。
しばらく生理を止めて、エネルギーを回復させることにした。
ここから整えて、また走る。
その選択をしたとき、ひとつ腑に落ちた。
もしかして私はずっと、
“低出力モード”を敵にしていたのではないか?
人間の身体には、おそらく二つのモードがある。
高出力モードと、低出力モード。
高出力時には、
思考は滑らかに連結し、外界タスクを次々処理できる。
だが低出力時には、
判断力が落ち、行動開始に強い抵抗が生じる。
検索窓ばかり開いてしまう。
私はこれを怠慢だと思っていた。
しかしもし、
低出力モードがエネルギーの再配分だとしたら?
身体が「外向きの生産」を止め、
内側の処理を最優先にしているとしたら?
妊娠は、その強制OS変更イベントの代表例だ。
出産もそうだ。
子育てはさらに激しい。
内部タスク優先。
外部生産性は後回し。
それでも私たちは、
高出力基準で自分を裁く。
だがそれは、
設計を無視した評価かもしれない。
だから私は、
できなさを責めるのではなく、観察することにした。
低出力モード下で、
創作OSはどう振る舞うのか。
身体の仕様変更イベントの中で、
思考はどのように形を変えるのか。
まずはエネルギーをチャージする。
そして整えた上で、実験を始める。
これは、その予告編である。
まずはエネルギーをチャージする。
そのために、やることはとても地味だ。
ごはんをしっかり食べる。
休息を取る。
ちゃんと寝る。
特別なことはしない。
削らない。
追い込まない。
焦らない。
だらけているわけではない。
これは準備だ。
高出力を前提にした生活をいったん止め、
身体の優先順位に従う。
整えることもまた、戦略である。
そのうえで、実験を始める。
整える期間は、甘いものを選ばない。
血糖値を乱高下させないことも、戦略の一部だ。
……と、いまは言える。
だが思い出す。
つわり期、私はクリームパンを主食にしていた。
タンパク質は受け付けない。
匂いのあるものは論外。
唯一、安全だったのが、あの甘くて柔らかい塊だった。
あれは怠慢ではない。
生存優先モードだった。
身体はそのとき、最適解を選んでいた。
設計は、状況によって変わる。
だから私は、これからも観察する。
低出力モードの中で、創作はどう変わるのかを。
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