玄関がきたない会社は、伸びない|元証券マンが現場で学んだ3M【後編】 :社長室と、急に変わる経営者の話
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証券の営業をしていた頃——もう、何年も前の話だ——私は、たくさんの会社の社長室に、通された。
なかでも、忘れられない1社がある。
前編で書いた、あの製造業の会社だ。
玄関で覚えた嫌な予感は、社長室で、確信に変わった。
社長室に通されると、社長は、上機嫌だった。
「まあ、座って。——おーい、お茶」
若くて綺麗な秘書の方が、お茶を運んできた。少し前まで、この会社に、こんな役職はなかったはずだ。
社長は、部屋の隅を指さして、笑った。「最近、ゴルフにハマっててね」。真新しいゴルフバッグが、立てかけてある。
応接の脇には、卓上のパター練習マット。打ったボールが、机の下に、転がったままだった。
壁際には、塗装だけは妙に丁寧な、作りかけのガンプラ。
机のパソコンには、株のチャートが、開きっぱなし。「これも、経済の勉強だよ」と、社長は言った。
そして、決算書は、机の端で、埃をかぶっていた。
私は、愛想笑いを返しながら、内心で、思っていた。
——ああ、この会社、危ないな、と。
あれから、十年以上が経つ。いま、私は、傾いた組織を立て直す仕事をしている。だからこそ、あのとき社長室で覚えた予感の“正体”が、見えてくる。
(前編で、証券時代の先輩に「まず玄関を見ろ」と教わった話を書いた。傘立て、挨拶、そして三つ目——「社長室に、仕事と関係のないものが、どれだけあるか」。今日は、その話の続き。)
会社が危ないとき、社長室は、玄関よりも、さらに正直だ。
物が、社長の“関心”を、白状する
社長室は、社長ひとりの場所だ。誰にも見られない前提だから、取り繕わない。関心が、いま、どこを向いているかが、そのまま並ぶ。
危ない会社の社長室のあるあるだけど、趣味の私物が、増えていく。
株のデイトレ画面。本業より、チャートに熱心だ。含み損は、見て見ぬふり。平積みのビジネス書は、付箋が貼ってあるのが最初の章だけで、あとは、まっさら。
来客ソファには、昼寝用のブランケット。午後は「立て込んでる」と言いながら、夢の中だ。
笑い話のようだが、笑えない。物が、正直に、白状している。「この社長の関心は、もう、事業には無い」と。
こわいのは、本人だけが、それに気づかないことだ。
倒産を長く見てきた人たちは、口をそろえる。傲慢は、好調なときほど、忍び寄る。しかも、本人だけが、気づかない、と。危ない社長には、こんな兆候もある、と言われる。
午前中に、出社しない。社員の面倒を、見ない。経営を、幹部に任せきりにする。——社長室のガンプラと、地続きの話だ。
こうした“ずさんな経営”
—専門家が「放漫経営」と呼ぶもの—が原因の倒産は、いま、この十年で、いちばん多い水準にある。
件数そのものは、倒産全体のごく一部だ。でも、静かに、増え続けている。

「急に変わる」のではない。止める人が、いなくなるのだ
先輩は、あの三つに、こう付け加えていた。
「本業に全力だった社長が、急に、若くて綺麗な秘書を雇い始めたら、危ない。チェックしておけ」
当時は、単純に「なるほど」と思った。でも、いろんな会社を見て、いまは分かる。
危ないのは、秘書ではない。判断の重心が、事業の合理から、見栄や私情へ、そっと移ること。そして、それを止める人が、いなくなっていることだ。
これは、根拠のない噂話じゃない。100年をこえる金融の現場が、代々受け継いできた“目利き”だ。統計の論文はない。
でも、何万社と貸し、潰れるのも見てきたプロの経験が、凝縮されている。(秘書がいても伸びる会社も、いなくても崩れる会社も、両方ある。)
数字も、それを裏づける。
経営者が過信ぎみの会社ほど、倒産しやすい、という研究がある。ただし、それが効くのは、「まわりの監視が弱い会社だけ」だった。問題は、自信そのものじゃない。止める仕組みが、無いことだ。
海の向こうにも、面白い研究がある。社長が賞をとって“スター経営者”になると、その後、注意が社外へ向かい、会社の成績は、静かに落ちていく。
「急に変わった」ように見えて、本当は、ゆっくりなのだ。関心が、一目盛りずつ、外へ、逸れていく。
だから、こうなる。社長室がゴルフバッグで埋まっても、「まあ、社長だから」で、誰も、何も言わない。
数字を見て、「それ、おかしくないですか」と言える人が、一人も、いなくなる。傾いていることに、誰も、気づかない。
止める仕組みは、たった五つ
では、どうすれば、その「おかしい」と言える人を、絶やさずに、おけるのか。
いまの私の仕事は、まさに、それだ。傾いた組織に、「おかしい」と言える状態を、作り直す。
大げさに聞こえるが、やることは、たった五つの、当たり前だけだ。
一、目標を、紙に書く。どこへ行くのかを、先に決める。
二、ルールを決めて、守る。挨拶や、時間から。規律は、組織の足腰だ。 三、数字を、決まった日に、決まった人と、見る。日報・週報・月報。——これが、いちばんの肝だ。見る人さえ、いれば、おかしいときに、気づける。
四、誰が、何をやるかを、決める。役割を、はっきりさせる。
五、事実で、評価する。「この仕事は、何ができたら“1”か」を、先に決める。主観で叱る理由が、消える。

順番と連動が、重要だ。
派手な精神論は、ひとつもない。ぜんぶ、目標と、規律と、数字と、役割と、評価の話だ。
この仕組みがあれば、社長がゴルフバッグを撫でていても、誰かが言える。「社長、決算書、埃かぶってますよ」と。——それが、止める仕組みだ。
ただし、例外もある。仕組みが、ちゃんと効いている場合だ。
たとえば、社長は高齢で、役割はもう会長に移っている。
次期社長が、バリバリ機能していて、いまの“社長”は、お飾りに近い。
——そういう会社なら、社長室が趣味で埋まっていても、話は別だ。それは、止める仕組みが、ちゃんと働いている、という証拠だからだ。
だから、こわいのは、社長室の物そのものじゃない。それを、止める人が、いるかどうか、なのだ。
見えないもの—時間と、注意
社長室に出るのは、物だけじゃない。時間と、注意も、同じように逸れていく。
「SNSに熱心な社長は危ない」と、よく聞く。半分は正しく、半分は言い過ぎだ。会社を分かりやすく伝えれば、採用や投資に効く。
だが、発信そのものが目的になり、本業が疎かになるなら、話は別だ。問題は、量じゃない。注意が、どこへ向くか、だ。
偉そうに書いたが、私も、人のことは言えない。
コロナで、家にこもった時期。長年やってきたゲームの、新作が出た。気づけば、何十時間も、溶けていた。
仕事の合間に遊んだんじゃない。仕事のほうが、ゲームの合間に、なっていた。
注意は、放っておけば、いちばん楽しいほうへ、流れる。経営者だから特別、なんてことはない。社長室のゴルフバッグは、明日の、私の机の上かもしれない。
3Mが、一本の線になる
ここで、私の3Mが、一本の線になる。
マナー(細部=玄関)が乱れ、マネジメント(仕組み=社長室)が緩み、最後に、マネー(数字)に出る。外から、奥へ。
目に見えるものから、見えないものへ。順番に、蝕んでいく。
いちばん怖いのは、その途中だ。
ある研究者が、優れた会社の転落を、五つの段階に分けている。そのうち、いちばん危ないのは、第三段階だという。
理由は、「外の数字が、まだ良い」から。内側はもう病んでいるのに、売上は、まだ出ている。だから、玄関が乱れ、社長室がゴルフバッグで埋まっても、「うちは大丈夫」と思ってしまう。
数字は、いちばん最後に出る。気づいたときには、たいてい、手遅れだ。だから私は、数字より先に、細部を見る。玄関と、社長室を。そのほうが、ずっと早く、正直に、教えてくれる。
断っておく。悪役は、いない。誰だって、放っておけば、楽なほうへ流れる。私も、そうだ。人が悪いのではなく、止める仕組みがなければ、当たり前は、静かに、下がっていく。それだけのことだ。

明日から、私がやっていること
私は、会社を訪ねると、いまも社長室を見る。仕事の道具と、私物の、どっちが多いか。決算書に、埃がかぶっていないか。
そして、たまに、自分の机も、他人の目で見る。私物が、増えていないか。数字から、逃げていないか。
たぶん、いちばん怖いのは、他人の社長室じゃない。自分の机だ。
それでも、当たり前が、いちばん難しい
3Mは、どれも、特別なことじゃない。玄関を、整える。判断を、私情に寄せない。時間と注意を、本業に、置く。
当たり前を、当たり前に、続けられるか。たぶん、それだけだ。そして、それが、いちばん、難しい。
重い話を書いたので、締めに、ラーメンが食べたくなった。今日は、難波千日前の、金龍ラーメン。
酒を飲んだあとの、締めの金龍は、一段と、うまい。あの赤い店構えに、吸い込まれていく。
昔は、六百円で、ライスもキムチも、食べ放題だった。お金のない月末に、何度も、助けてもらった。それが、気づけば、八百円になっている。時代の流れを、感じる。
でも、値段は上がっても、変わらないものもある。あの、締めの一杯みたいに。会社も、そうありたい。
当たり前を、同じ味で、出し続ける。規律を守ることは、変わらない味を守る老舗の暖簾(のれん)に似ている
前編と後編、長い話に、最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。あなたの机の上が、今日も、ちゃんと、仕事仕様でありますように。
出典(本文の数字の根拠)
窓際コンサルうえすぎ(師匠) https://note.com/area1250
「放漫経営」が原因の倒産が、この十年で最多(194件・4年連続増):帝国データバンク「倒産集計 2025年度報」
経営者の過信は倒産確率を高める。ただし効くのは、監視の弱い企業のみ:Leng, Ozkan, Ozkan & Trzeciakiewicz(2021)European Journal of Finance
受賞後の“スター経営者”は、その後の業績が落ち、社外活動が増える:Malmendier & Tate「Superstar CEOs」Quarterly Journal of Economics(2009)
衰退の第3段階が最も危ない(外の数字は、まだ良い):ジム・コリンズ『How the Mighty Fall(邦題:ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階)』
経営者の慢心・傲慢と倒産の関係:八起会(倒産110番・野口誠一)/日経トップリーダー
