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民泊CMのキラキラに疲れた日に手に取った本『悲しいときこそ ごはんを食べる』

動画をみているときに挟まれる民泊のCM。あれ?なんだかチカチカする。

実家に帰るのが好きとか、動画で流れる民泊のCMみたいに親戚が集まってワイワイハッピーみたいな人ばかりがこの世界にいるんだ。道ですれ違う人、電車の席の迎え側にいる人、知らない人たち全員がそういう人に見える。

冷静に考えれば、家族に都合よく頼ったりというようなヘルシーな境界線を引いて付き合っている人も多いかもしれないと思えるのだけど、疲れすぎているとそういう冷静さがゼロになる。

ああ、だめだ自分の目の前の景色を変えないと!と思い、出かけて、一冊の本に目が留まった。「悲しいときこそ ごはんを食べる」。8人の書き手によるエッセイが綴られていた。

悲しいときって、誰かに受け入れてもらえないときもあるけれど、自分が受け入れたくないときもわたしは悲しい。そんなふうに思いながら手に取った。

わたしにとって読書は、自分が影響を与えずに人と接すること。だから、価値観が合わない人の文章を読んで具合が悪くなったりする。多くの人が面白いと思う文章もつまらないと思ったりする。だから、いつも読書はおそるおそる。嫌な気持ちになるかもしれないし、合わないものが続くと疲れて読書自体を遠ざけてしまう。

民泊のCMみたいな文章もある。「悲しいことがあったけど、実家でごはんを食べたら癒されました。みんなで食べるとおいしいね。」こういうことが書いてあったら今のわたしはもっと悲しくなっちゃう。

でも、この本の中に書いてあるエッセイは違った。みんなでごはんを食べても癒されない場合の様々な選択肢が存在していることに気づかせてくれる。物理的に誰かと食事していたとしても、ひとりでごはんを噛み締めている。

巻頭のエッセイを読んだとき、同じ体験をしたわけではないのに、「わたしはひとりではない」と思えた。

別の書き手は、自ら居場所を決めることができるという体験を書いてくれていた。

居場所が家族の人もいるかもしれないけれど、別にそうでなくていい。だって「場所」だもの。チェーンのコーヒー店でもいいし、誰もいない公園でもいいし、本の中だっていい。

ビルの一階にあるフリースペースのようなところで3遍くらい読んだあと、わたしはまた歩き出した。

電車に乗り込むとき「どうしてそんなこと言うの?もう連れていってあげないよ。」と不機嫌な男の子に不機嫌な女性が言っていた。

民泊のCMは、一瞬の輝きを切り取ったキラキラの加工品。



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この記事でご紹介したように、自分の心地よさを基準に良いものを発掘していくのが、わたしの「あたらしい生活展」です。

日常のきらめきと、生活を編集するヒントが見つかりますように。


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