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凡人がエリートを倒す瞬間を何度も見てきたら、そこに人生のバグ技があった

僕のnoteの中ではかなりの反響を頂きました、以下のnoteの続編です。



この続きのお話です。

上記のnoteでは、
「強烈にやりたいこと(Will)」を持つこと。」
が、重要だと結論づけました。


今回は、 「自分のやりたいことを定めないと、人生の難易度が跳ね上がる」 という話を、もう少し深めた視点から考察してみたいと思います。

結論から言うと、 やりたいことの軸は「自分の好きなこと」でいい。 いや、「好き」でなければならない、という構造的な理由についてです。

単なる精神論ではなく、僕がサラリーマンと経営者の両面から見てきた「社会の残酷なリアル」も含めてお話しします。





■ どの道を選んでも、人生は「修羅の道」である

まず、僕たちの人生における前提条件を整理しましょう。

人の言うことを聞くサラリーマン人生であろうが、 コスパ重視で生きようが、 自分で道を切り拓く起業家であろうが、 アスリートになろうが、画家になろうが。

はっきり言って、どの道も全部厳しいんです。


楽な道なんてない。 どれを選んでも、それぞれの地獄や苦労があります。

ですが、この絶対的な「厳しさ」を、唯一「厳しくない」と錯覚させてくれるライフハック的なバグ技のような魔法が存在します。

それが、「好きなことをやる」ということです。


これは一種の最強のライフハックです。 好きなことをやっていると、一般の人から見たら「しんどい」「大変だ」「ノルマだ」と感じるような重労働が、本人にとっては何の苦でもなくなるんです。 むしろ、休みの時間を使ってでも、勝手にやってしまう。

結果として、人の倍の労力や時間を投下できる。 だからこそ、人生という長期戦において「好き」というエネルギーを利用しない手はない、というのが僕の基本スタンスです。

僕はよく起業・アントレプレナーシップの講演もさせて頂いていますが、好きなことで起業することは強くお勧めしています。




■ 好きパワー活用の実践者


何を隠そう僕自身、この「好き」のエネルギーを利用して起業した人間の一人です。

少し、起業前の僕の悩みから話す必要があります。
僕のサラリーマン時代の話です。
その時期に、上司から過剰に精神論を押し付けられている時期がありました。上司の勘と経験に基づく感覚論の指摘ばかりで、本当に辛い時期でした。

その反動でしょうか、僕はあるタイミングから、物事を定量的に示せると、とても心がスッキリするという自分の性格に気づきました。
何気ない会話でも、「なんだかこういう気がする」という話があったら、家に帰って、定量的にその感覚が正しいか調べる、という日々がありました。

気づけば、土日の休みを使って、仕事に関連する経済的なことから、趣味の野球に関することまで、データを用いて調べて分析し、当時のブログにアップするということをやっていました。

当時は今ほどネットの情報量も多くなかったですが、ともかくネットや本を使って定量的にデータを調べる。
なぜこんなことをしていたかというと、やっぱり感覚だけの話がとても気持ち悪かったからです。一方で、データでスパッとわかると、とてもスッキリして快感だったのです。
その感覚は今でも覚えています。

「会社ではあの人が勘と経験からこう言っていたが、現実のデータではこうやったんやな」
そういうことを、わざわざ休みの日に可視化していたのですから、趣味と言えば趣味になっているような作業でした。

そんな僕が、起業すると決めて、気づけばデータサイエンスの仕事を始めていたのは、極めて自然なことだったかもしれません。


正直僕にとっては、土日を使って趣味的にやっていたことが、今はお金を貰えてやっているわけです。こんな有難い話はありません。



■ 「やりたくないこと」をやるリスクは、想像以上に高い

話を戻します。

では逆に、「やりたくないこと」をやっているとどうなるか?

シンプルに、おもろくないです。当たり前ですね。
さらに言うと、科学的に見て強烈なストレスがかかります。

産業医の先生の論文などでも報告されていますが、人間が何に一番ストレスを感じるかというと、仕事の量や質よりも、 「自分に決定権がないこと」 が支配的な要因だそうです。

自分で決められない状況。
他者からの評価に依存せざるを得ない状況。
これこそが、人間を最も疲弊させる要因なんです。

やりたくないことを仕事にすると、構造上どうしても「やらされ仕事」になります。
決定権が自分にない。そうなると、どんなに優秀な人でも、精神を摩耗していくことになります。



■ 起業して気づいた「社長」という生き物の正体

ここで少し視点を変えてみます。

僕は脱サラして起業し、10年以上が経ちました。 そこで、社会の構造における「ある真実」に気づいてしまいました。
これは、僕がずっと(当時働いていたような)一部上場企業の中だけで過ごしていたら、絶対に気づけなかったことです。


世の中の社長や経営者を見ていると、驚くべきことに気づきます。 彼らは、別に高学歴や能力が高いとは限らない、つまり優秀な人材とは限らないんです。

ものすごい学歴があるわけでもなく、特別な資格を持っているわけでもない。 さらに言えば、人格者であるかどうかも・・・たまに怪しい人がいます(笑)。
「この人、性格的にどうなん?」と思うような人でも、社長として君臨し、ものすごい成果を出していたりする。


これ、一体どういうことやねん? と思いませんか。

ずっと真面目に勉強して、いい大学に入って、コツコツ努力してきた人からすれば、納得がいかないかもしれません。

でも、僕なりの答えが出ました。 彼ら(経営者)にあって、優秀なエリートにないもの。

それは、 「これがやりたい!」という強烈なパッション(情熱) です。


「こういう世界を作りたい!」
「このサービスを広めたい!」
「社会のここがおかしいから変えたい!」

そういう「やりたいこと」が明確にあるんです。
いえ、明確どころか、経営者の彼ら・彼女らには、異常なほど、そういう情熱があるのです。もう、病的なぐらいです。


そして、ここからが重要なんですが、

彼らはその「やりたいこと」を実現するために、能力の高い人にお金を払って、来てもらっているんです。

非常にシンプル化し過ぎた話だというのは、僕もわかっています。その点はご容赦ください。
でもこれが、経営者と採用の観点で見た時の、社会の縮図です。

「俺はこれがやりたい。自分には能力がない。だから、能力が高い君たち、手伝ってくれ。その代わりお金は払う」

この構造で世の中は回っています。 つまり、「能力」よりも「やりたいこと(意志)」の方が、階層構造の上に来てしまうんです。

もう一度、言います。

仕事の意思決定の構造上、「能力」よりも「やりたいこと(意志)」の方が上に来るのです。




■ 「優秀な能力」が「ただの換金装置」になる悲劇

ここで、先ほどのストレスの話に戻ります。

たとえどれだけ能力が高くても、高学歴でスキルがあっても、 自分自身に「やりたいこと」や「決定権」がなければ、 結局は、「やりたいことがある人(社長など)」の手足となって動くしかないのです。


これは、責任がなくて楽な生き方に見えるかもしれません。 しかし、本質的には 「他人のやりたいことを手伝う人生」 です。


自分の意に沿わない方向へ進んでも、文句は言えません。 従わなければ怒られるし、給料を減らされるかもしれない。


これって、自分の高い能力を、単にキャッシュ(現金)に換金しているだけの作業になってしまっていませんか? 学生時代にあれだけ苦労して培った能力を、ただの換金装置として使って一生を終える。

僕は、それを「寂しいな」「もったいないな」と思ってしまうんです。




■ 「声が大きい」ことの本当の意味

よく会議などで「声が大きい人の意見が通る」と批判的に言われることがありますよね。
でも、僕はこれ、ある意味で正しいと思っているんです。(あくまで、ある意味で、です)


物理的な声の大きさではなく、

「これがやりたいんや!」という情熱(パッション)の大きさ。

仕事において、これに勝る推進力はありません。 学歴や資格なんて関係ない。

「情熱がある」ということは、その仕事を「自分事化」できているということです。

自分事化できている人は、放っておいても最短経路で成果に向かおうとするし、多くの場合は規律(ディシプリン)を守るし、プロフェッショナルであろうとします。 なぜなら、やりたいから。 そこに、余計なストレスはありません。


逆に、どれだけ優秀でも、自分事化できていない「冷めた集団」は、 情熱を持った「何者でもない一人」に負けることがあるんです。

だから、凡人がエリートを倒してしまうのです。

いえ、ほとんどのエリートは、熱狂的な凡人と戦おうともせずに、好んでそのフォロワーになっているような構図すら見かけます。

これが、「好きは努力に勝る」の正体であり、 ドジャースの大谷選手のような人が最強である理由です。 彼は、誰よりも野球が好きで、誰よりも自分事として取り組んでいるから、努力を努力と思わずに突き抜けられる。大谷選手自身もそのように発言されています。



■ 結論:自分に「決定権」を取り戻せ

だからこそ、僕は言いたいんです。

「やりたいこと」を定めてください。
自分の人生の舵は、自分で取ってください。

少なくとも、自分の子どもたちにはそのことを声を大にして伝えていきたいです(また、大きな声出してもうてる)。


「責任を取るのが怖い」と言う人もいます。 でも、僕の感覚では、自分で決定権を持たず、他人の船に乗って、どこに連れて行かれるか分からない状態で生殺与奪の権を握られている方が、よほどリスクが高いと感じます。


自分で決めて、自分でやる。
もし失敗しても、それは自分の責任。
そう思える方が、精神衛生上も健全だし、結果として仕事のパフォーマンスも上がり、給料も上がり、健康的で長生きできるはずです。


トップに貼り付けた僕の前回のnoteでも論じましたが、中学受験がどうとか、どの受験ルートが得とか、どの会社やキャリアが損だとか、得だとか、住むのはどこが良いとか・・・本当に枝葉にすぎないと思うのです。
僕がこのnoteで書いてきたような"やりたいこと中心"の価値観で生きていると、そういった社会からの見られ方や損得論は遥かに凌駕した場所から、意思決定ができると思うのです。僕の実体験からそう感じています。

自分の「好き」という感情に、もっと素直になっていい。 それが、この厳しい世界を生き抜くための、最も合理的で、最も強力な武器になるのだと思うのです。





今日も読んで頂いて有難う御座いました😃


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中川達生/AI開発のROX CEO 最後までお読みいただき有難う御座います! サポート頂ければ嬉しいです😃 クリエイターとしての創作活動と、「自宅でなぜ靴下が片方無くなることがあるのか?」という研究費用に使わせて頂きます!