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第2回丸山健二塾30分無料体験講座に参加しました

 先日、芥川賞作家・丸山健二先生の主催するいぬわし書房のnoteで「第2回丸山健二塾30分無料体験講座、開催します」という記事を見つけました(現在は募集終了)。

いぬわし書房「第2回丸山健二塾30分無料体験講座、開催します」(2026/3/18)
https://note.com/maruyama_kenji/n/n6fe5feb8c5bb

 個人の現状のレベルに合わせて、文章を上手くする訓練方法やコツを丸山先生が伝授し、事前提出した文章を添削してくださるということだったので、応募してみました。もちろん、30分の無料講座だけでとことんできるとは思っていませんでしたが、何かヒントや触りだけでもつかめればと思いました。結局、先生の文学観や執筆方針が興味深くて添削よりもそちらの話が長くなり、だいぶ時間をオーバーしてしまいました。

 丸山先生の執筆方針・塾の指導方針を聞いて一番驚愕したのは、プロットもあらすじも作らないほうがいいということでした。文章に集中して最初の文章を次の文章にひたすら繋げていくと、潜在意識の中のささいな記憶の断片(ピース)が繋げられ、いつの間にか物語ができているそうです。仮に頭の中にある物語を作ろうとすると、作為的になってどこかにあるようなありきたりの物語になってしまうそうです。

 ライトノベルで言えば、まさに金太郎飴のようなテンプレ作品もそうかもしれません。でも、あれはあれでわざとどこかにあるような話にしている面があると思います。むしろそういう話を好む読者にハズレのない安心感を与え、長文の説明を嫌う読者に長々とした舞台背景の説明をしなくてよくなります。例えば、トラックのライトが目の前に迫ってはねられて目覚めると「異世界に転生した!」とすぐに現状を把握することもそうです。でも私はいつも心の中で「そんなにすぐに分かるのはおかしい」と突っ込んではいます。

 歴史・時代小説も、プロットや登場人物の設定なしには書けないと思います。主人公が架空の人物であろうと、実在の人物であろうと、その作品の舞台となった時代と場所と齟齬のある描写が出てくれば、その辺りの歴史に詳しい読者に違和感を与えてしまいます。

 私は、プロットをかっちり書かずに(「書けずに」とも言います)頭の中にある構想を大体のあらすじの形でまず書いてそれに従って本文を書いていくので、途中でどんどん元の構想から外れていくことが多いです。ですが、大まかでも構想なしでは何も書き始められません。なので、あらすじすら考えずに文章だけを繋げていって物語ができるなんて、もう才能じゃないかと思いました。

 もちろん、これはライトノベルとは全く違う書き方です。いぬわし書房の編集長さんもそうおっしゃっていました。ライトノベルでは、売れるか売れないかで決まるシビアな世界なので、求められているテーマを書けるように最初から結末までプロットを決めて登場人物も作り込まなければなりません。

 そういう観点から編集長さんは『エンタメ小説家の失敗学~「売れなければ終わり」の修羅の道』(光文社新書、2023年)を薦めてくれました。著者の平山瑞穂氏は、第16回日本ファンタジーノベル大賞(2004年)で大賞をとってデビューされた方ですが、(主にエンタメ文芸もしくはライトノベルの)小説家志望の方々の教訓とすべく、出版不況が悪化するにつれて本を出せなくなった失敗の原因をつまびらかにしてくれています。
 私はまだ触りしか読んでいませんが、純文学では売れるか売れないかは必ずしも第一義的な問題ではなく、文学的に価値が高ければ、たとえ本が売れなくても本を出し続けることができるというのが印象的でした。同様に、いぬわし書房の編集長さんも純文学にはお金の力学が働きにくいとおっしゃっていました。ということは、出版社は他のジャンルの利益を純文学に当てても芸術を応援するのでしょうか。でもそれも出版不況が続くとどうなるのかなと心配になりました。

 ただ、純文学とライトノベルの共通事項も見つけられました。ライトノベルでは人物設定や、異世界ものなら世界観も説明的な文章で書かなくてはいけないといぬわし書房の編集長さんはお考えでした。それに対し、純文学の世界ではそのやり方は御法度で、風景でその人の心情を描写したり、行動でその人の性格を表したりするそうです。
 ですが人物や世界観を長々と説明するのは、ライトノベルでも勧められていません。昨今は、漫画でさえ文章を読むのが億劫と言われるらしいので、なるべく地の文で長く説明せずに会話や登場人物の行動にそのような設定を散りばめないと、読者が途中で読むのをやめる可能性が高くなると聞いたことがあります。講座の時にはそこまで話せませんでしたが、時間があればその辺のお話ももっとしたかったです。

 丸山先生の作品を読んで他の小説との違いが分かっていれば、先生の執筆方針が理解しやすくなるので、先生の作品を読んだことがあるか、どんな感想を持ったかと聞かれたましたが、情けないことに頭が真っ白になってしまって上手く答えられませんでした。
 少しリベンジとして書かせていただくと、1966年の第56回芥川賞受賞作の『夏の流れ』は、死刑囚の看守をしている主人公や同僚、後輩の日常を淡々と描くことで、その仕事に対する苦悩が浮かび上がってきます。生に最期まで執着し、死に恐怖する死刑囚の非日常とそんな仕事をしなければならない看守の仕事風景、普通の人々の日常の対比が非日常性を際立たせています。最後はオチがあるわけではなく、余韻があるというか、読者に後のことを考えさせる結末になっていると感じました。
 死刑囚や刑務所の中の様子がリアルに描かれているので、取材したのか気になってお聞きしたところ、お父さんが死刑囚の看守をしている友人のお宅へしょっちゅう遊びに行っていたので、話に聞いていたそうです。

 こんな風に前半は丸山先生の文学観や塾の指導方針を説明していただきましたが、後半はいよいよ添削の時間となり、私は手に汗を握りました。添削していただく文章として、カクヨムで公開している『新月の夜はナイトメア』を私は出しました:

https://kakuyomu.jp/works/822139844373022696

 冒頭からこんな感じにバッサリと変えられていきました:

目をつぶって歩くも同然、そんな真っ暗な夜。
私の夢の中を風のごとく疾走する女の子。
彼女は白いむく犬の背中にしがみついている。
もしかすると、彼女は幼かりし日の私であるのかもしれない。

『新月の夜はナイトメア』添削後

 元の文章は:

真っ暗な夜、大きくて真っ白な犬に乗って疾走する女の子――時々見る夢の中の青月せいげつ自身の姿は、十二歳の今よりもずっと小さい。

『新月の夜はナイトメア』添削前

 皆さんはどう感じられるでしょうか?
 改めて添削前後の文章を比較すると、私の文章のほうがやたら説明的な修飾語がついていて長いように感じます。

 こういう風に丸山先生は私の文章をバッサリ書き換えていったわけですが、私の物語を無視して最初の文に着目して文を繋げていったそうです。でも添削後の文章も内容的に元の文章から大きくずれていないので、純粋なピースの繋がりを実践されたわけではないでしょうが、ライブでいい例を見させていただきました。実際に塾に入ると、こんな感じで一字一句見てくださるそうです。

 丸山先生から、タイトルにはセンスがあると言われ、とても嬉しくなりました。センスから言えば十分に文学の道へ進められる才能があるともおっしゃってくださいました。その一方でこのままのイメージで何度応募しても採用されないだろう、今のままの腕では編集者に文句を一言も言わせないような作品を書けないとも言われました。厳しいご指摘ですが、これが現実と受け止めています。

 ここまで添削が進んだ時点で私は「私」が出て来たことが気になって1人称について質問してしまいました。そこから人称問題の話が広がっていったので、添削はここまでとなりました。もうちょっと黙っていればもう少し添削を見られたかなと後悔しなくもなかったですが、人称の話も興味深かったので、それはそれでよい結果でした。

 私はいつも人称問題に頭を悩ませますが、1人称を持ってくると1番リアリティがあるから、丸山先生は1人称をお勧めするそうです。
 実はライトノベルでも1人称のほうが読者の共感を得られやすいので、1人称を勧められていますが、私は群像劇を書くのが好きなので、「自分」の知らないことを書けない1人称は使いづらいと思っていました。丸山先生によれば、それは間違った観念であり、文章力次第で「自分」の世界から自由に飛び出していけるとのことです。私には到底できそうもありません。

 面白く書こうとすると、たいてい失敗するので、自分が朝起きて夜寝るまでの単調な話でいいから、いい文章で描けと丸山先生はおっしゃりました。群像劇は難しいので、普通の文章で書くと失敗していることが多いそうです。自分の中のイメージを完璧に文章化できたと自分では思っていても、そこまでは遠く及ばないのが普通で、どんなにすごい人でもイメージを100%全部文章に変換できないからとのことです。

 最後に執筆の際に絶対やっていけないことを2点教えてくださいました:
(1)説明的な会話は実際の会話にはあり得ないので避ける。
(2)単調で工夫のない地の文にしない。

 説明的な会話と単調な地の文が日本文学で当然だった(もしくは現在進行形)ため、『夏の流れ』の芥川賞受賞当時、ストーリーに直接関係しない「暑いね」のような、生きた会話が新鮮に受け止められたそうです。
 また、言葉は二次元のものだから、作品を読んだ時に三次元の世界に錯覚されるような文章力が必要ですが、平坦な地の文では二次元の世界のままになってしまうのが(2)の教訓の理由だそうです。

 芥川賞作家の目指す新しい純文学とアマチュアWeb小説家の私の書く異世界恋愛(+α)では、当然のことながらアプローチがかなり違いましたが、自分の創作活動に生かせる点もあり、お話を聞けてとても勉強になりました。あっという間に時間が過ぎて30分を大分超過したのに質問に答えていただきました。ありがとうございました。

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