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ICUで見落としてはいけない苦痛

こんにちは、東京ベイ・浦安市川医療センター(TBMC) 集中治療部門のフェローです。

先日、回診でこんな話題が出ました。

人工呼吸器管理中の患者さんがいる。
鎮静薬や鎮痛薬が使われていて、表情は穏やか。
呼吸器との同調も悪くない。
バイタルサインも問題ない。

一見すると、痛みや呼吸苦はコントロールされているように見える。

では、その患者さんは苦痛を感じていないと言えるのだろうか。

これは、ICUではとても大事な問いである。



身体的苦痛を取ることは、まず大前提

痛みや苦しさを和らげることは非常に重要である。

人工呼吸器管理中の患者さんにとって、チューブの違和感、呼吸器との非同調、体位、処置、吸引など、身体的な苦痛につながる要素は無限にある。

だからこそ、鎮痛薬や鎮静薬を適切に使い、表情や呼吸様式、身体の動き、バイタルサインなどを見ながら、苦痛ができるだけ少なくなるように調整する。

ここを軽視する人はいませんよね。


苦しくなさそうと苦痛がないは同じではない

苦しくなさそうに見えることと、苦痛がないことは同じではない。

鎮静薬や鎮痛薬によって、表情や身体の動きとして現れる苦痛はなくなる。
呼吸数が落ち着き、顔をしかめることもなく、モニター上も問題ない。

これらは確かに大切な情報である。

しかし、それだけでこの人の苦痛は十分に扱われていると言い切れるのか??

ここは一度立ち止まって欲しい。
よーく考えよう。

もし人間が血液検査と画像検査とモニターに映る項目のみでできているなら、シンプルで良いんですけどね。
そうではない。

苦痛もそう。
目の前の本人の表情と、モニターに映るものだけが苦痛ではない。

苦痛には、身体的な痛みや呼吸苦だけでなく、心理的苦痛、社会的苦痛、そしてスピリチュアルペイン(spiritual pain)がある。
(そしてこれらをトータルペインと呼ぶ)


spiritual painとは何か

spiritual painという言葉は、わかりづらい…

これは、人間存在の根幹に関わる苦痛らしい。

意味、アイデンティティ、つながり、希望といった、人が人として生きる上で欠かせないものが脅かされる時に生じる。

具体例を挙げるとこんな感じである。

「自分は何を大切にして生きてきたのか」
「今の状態は、自分らしさとどうつながっているのか」
「この医療は、自分にとってどのような意味を持つのか」
「自分の尊厳は守られているのか」
「大切な人とのつながりが失われているのではないか」
「もう希望はないのではないか」

ICUでは、患者さん本人が意思を表出できないことが多々ある。
人工呼吸器が入っていたり、意識障害があったり、深く鎮静されていたりする。

その場合、本人に直接、今の治療をどう感じてます?と聞くことはできない。

そのため、我々医療者は、本人が語れない時に、本人に苦痛がないと妄想してはいけない。
常に、本人の苦痛を考えなければならない。

今、本人は本当に苦痛を感じていないのか?
本人の自律性や尊厳を無視していないか。


薬で落ち着いているからよいの??

「鎮静薬も鎮痛薬も使っていて、本人は苦しくなさそうに見える。だから今のままでよいのではないか」
たまにそう言う人がいます。

この考え方は、身体的苦痛を大切にしているという意味ではまあ正しい。

ただ、その視点から本人の価値観や尊厳を見るということが欠落している。

本人はどのような人だったのか。
何を大切にしていたのか。
どのような状態を受け入れられると考えていたのか。
どのような医療を望んでいたのか。

こうしたことを考えないまま、「表情は穏やかだから今のままで大丈夫」と判断してしまうと、身体的苦痛だけを見て、全人的な苦痛の一部を見落としているのである。


例えば、人工呼吸器管理が本人の価値観とずれているかもしれない場面

例えば、80歳の男性を考えてみる。

進行したCOPDと心不全があり、急性増悪でICUに入室した。人工呼吸器管理となり、2週間が経過している。

鎮静薬と鎮痛薬が使われていて、表情は穏やかに見える。呼吸器との同調も悪くない。バイタルサインも安定している。

一見すると、痛みや呼吸苦はコントロールされているように見える。

しかし、離脱の見込みは極めて低く、今後は気管切開と長期人工呼吸器管理が必要になる可能性が高い。

意識はあるものの、鎮静の影響もあり、自分の状況を十分に理解して意思を表出することは難しい。安全確保のために身体拘束され、身体の自由も制限されている。

この患者さんについて家族と話すと、以前から「機械につながれて長く過ごすことは望まない」と繰り返し話していたことがわかった。

自分で歩き、庭の手入れをし、孫と散歩することを大切にしていた。「自分の足で歩けなくなったら、それは自分らしい生活ではない」と語っていたという。

この時、この患者さんの苦痛とは何だろうか。

身体的な痛みや呼吸苦は、鎮静薬や鎮痛薬によってある程度コントロールされているように見えるかもしれない。

しかし、それだけではない。

自分で呼吸することができない。自由に動くことができない。話すことができない。自分の状況を十分に理解し、自分の意思を伝えることが難しい。そして、その状態が、本人が以前から最も避けたいと話していた状態に近い。

これは、単なる身体的苦痛の問題ではない。

自律性に関わる苦痛であり、尊厳に関わる苦痛であり、本人の「自分らしさ」に関わる苦痛である。

さらに、「この医療は自分にとってどのような意味があるのか」「自分が大切にしてきた生き方と、今の状態はどのようにつながっているのか」「大切な家族とのつながりが失われているのではないか」「もう希望はないのではないか」という、spiritual painにも関わってくる。

ここで医療者が見落としやすいのは、表情が穏やかで、モニター上も安定していることが、患者さんの価値観に沿った医療が提供されていることを意味するわけではない、という点である。

表情が穏やかであることは、身体的苦痛が管理されていることを示しているかもしれない。

しかし、それは「本人にとって苦痛がない」こととは違う。

この患者さんにとって、「息苦しくなさそうに見えること」と「本人の価値観に沿った医療が行われていること」は、まったく別の問題である。

それどころか、鎮静により自分の意思を表出できないまま、最も恐れていた状態に置かれていることこそが、最大の苦痛かもしれない。

鎮静や人工呼吸器管理によって身体的苦痛が見えにくくなっているからこそ、医療者は自律性、尊厳、spiritual painに目を向ける必要がある。


おわりに

今のところ、目に見える痛みや辛さはなさそうです。

この観察は大切である。

でも、身体的苦痛が和らいでいても、全人的苦痛がすべて消えているとは限らない。

本人が言葉を発することができないので、その人の価値観や尊厳について、家族やチームと一緒に考えないといけない。

患者さんの尊厳を守るということは、ICUにおける緩和ケアの最も大切な役割なのである。

苦痛を、モニターに映るものだけに限定しないこと、
その人が大切にしていることに思いを馳せること。

ICUでも全人的に患者さんを見られると良い。

それではまた、ICUの片隅でお会いしましょう。


当院では、救急集中治療家の専攻医、ICUフェロー、そしてICUの看護師を募集しています。
一緒に働ける方、ぜひ見学にお越しください!!


参考文献

Marshall MF, Davis FD, Fogelman PA, Oczkowski S, Reid JC, Arellano D, Aslakson RA, Campbell J, Courtright K, Egressy K, Epstein E, Green E, Hua M, John PR, Kross EK, Martin ND, Melo BA, Muehlschlegel S, Perez-Protto S, Roberts B, Shalev D, Wescoe Singley J, Strickland SL, Korzick KA. Society of Critical Care Medicine Clinical Practice Guidelines on Adult End-of-Life Care in the ICU. Crit Care Med. 2025 Dec 1;53(12):e2734-e2746. doi: 10.1097/CCM.0000000000006856. Epub 2025 Dec 2. PMID: 41342842.