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やがてフィジカルAIが現場を覆う。それでも匠の技は先を走り続ける

AI技術革新とともに、製造業の経営層から現場まで、様々な方と「フィジカルAIが来たら現場の暗黙知はどうなるのか」というテーマで議論する機会がとても増えました。この記事では、そこで見えてきたことと私なりの結論を整理します。

フィジカルAIが普及した未来の製造業において「匠の技」は残る、そして、そこに投資することこそが日本の未来を作る、というのが私の主張です。

貴山敬 (@tkiyama)


参考)フィジカルAIの現在地

フィジカルAIの市場の大きさや実現性、日本の勝ち筋などはこの2つの記事が詳しいです。本記事は、フィジカルAI全体の話ではなく「匠の技」がどうなるか、というテーマで深堀りします。

フィジカルAIの定義

フィジカルAIで現場の自動化が一気に進む、という話をよく聞きますが、定型作業で大ロットの製造自動化は実は数十年前からはじまっています。自動車工場のスポット溶接ロボットが登場したのはなんと1961年。こういう従来型の産業用ロボットと、いま話題のヒューマノイドを本記事では以下の通り区別します。

命令実行型(従来型の産業用ロボット)
人がプリセットした動作を、指示どおり正確に繰り返し実行するロボット。「正確な反復」に特化し、状況を自ら判断せず、作業を変えるときは人による再設定が必要。(例:パレタイザー、スポット溶接ロボット)

自律判断型(フィジカルAI)
センサーやカメラで現実世界を理解し、VLA(Vision-Language-Action)モデルによってAI自身が次の動作を判断して行動するロボット。環境の変化や未知の状況に対応できる「自律的な適応」が特徴。(例:ヒューマノイド)

本記事で「フィジカルAI」と呼ぶのは後者、主にヒューマノイドを指しています。

製造業を引っ張る経営層と現場リーダーがいま考えていること

弊社が提供するtebikiは現場の暗黙知を3次元(動画)で可視化するサービスなので、「暗黙知、匠の技、技能伝承、フィジカルAI」といったテーマで製造業の方々と議論することが多いのですが、現場リーダーも経営層も、立場は違えど出てくる意見はとても近いです。

  • ヒューマノイドの未来が近づいているのは間違いない。

  • とはいえフィジカルAIはまだ発展途上。人を置き換えるのは「少なくとも3年は無理」と考える人がほとんど。

  • 熟練作業者の匠の技を、ヒューマノイドは代替できない。

  • 一方で、高齢化で熟練作業者が、現場の暗黙知を抱えたまま一気に退職している。ヒューマノイドの未来が来るより先に、技能が消失してしまう。

「ヒューマノイドの未来は来る。でもまだ先。その未来が来る前に、足元で匠の技が消えかけている」。これがいまの現場のリアルな空気感です。

「暗黙知」の8割は、暗黙知じゃない

「匠の技の一部はヒューマノイドで代替できない」と考える人がほとんどで、私も同意します。ではこの「一部」とは何でしょうか。

匠の技を支える「暗黙知」とされるものの8割は、まだ可視化されてないだけで実は「形式知」です。これまで多くの方と議論してきましたが、私も含めてほぼ全員が「現場の暗黙知の8割は、実は暗黙知じゃない」という見解で驚くほど一致します。
この8割は、動画マニュアルなどで表現できるし、将来的にヒューマノイドも学習できるはず。代替できないのは、残りの2割。これこそが匠の技と呼ばれる真の暗黙知であり、企業が一番大切にすべき競争力の源泉です。

「真の暗黙知」をヒューマノイドが学習できない理由

現場の暗黙知は、身体の動かし方だけではありません。イレギュラーや緊急時の対応、新製品の立ち上げ時の勘どころなど、さまざまな判断を伴います。仮にヒューマノイドが、ヒトの脳、神経細胞、骨格と関節、そして作業スピードを、現場作業者の人件費レベルのコストで実現できたとしても、この判断を支える情報が渡せないのです。

匠の技は、無数のデータソースの上に成り立っています。組織のパワーバランス、組織カルチャー、現場の人たちの感情、さらに、長年の失敗事例、手触り、匂い、音。こういった、本人ですら言語化も数値化もできない情報を手技にのせたもの。それが「匠の技」の正体です。

特に組織力学やカルチャー、感情は、人間関係の中にしか存在しないデータソースです。センサーを増やしても取得できない。まずここが決定的に難しい。

そして、LLMが賢くなったのはインターネット規模の言語データがすでに存在したからですが、フィジカルな作業にはそれがありません。行動データは現実世界で一台ずつ人手で集めるしかなく、収集コストが桁違いに高い。製造現場の不良率の単位は%ではなくPPMです。100万分の1の単位で発生する不良パターンはロングテールに拡がり、集めても集めても網羅できません。

人間が無意識にやる簡単なことほど機械には難しいという、ロボット工学で昔から知られる「モラベックのパラドックス」がまさに匠の技に当てはまるのです。

AIがどれだけ進化しても、匠の技には追いつけない

ここまで読んで、「今できないだけで、あと10年もたてばAIが進化して学習できるようになるのでは」という反論が頭に浮かんだ人も多いかと思いますが、私の答えはノーです。いまの2割をAIがいつか学習できたとしても、そのときには人間が「新しい2割」を生み出しているはずです。

人間は、身体的な痛みや好奇心、キャリアアップの野心、ときに非合理な判断から、新しい仮説を立てます。それを現場で検証し、新しいやり方を発見する。つまり、真の暗黙知は「固定された2割」ではなく、人間が現場で試行錯誤しながら生まれ続ける動的なものです。

AIが後ろから2割を追いかけている間に、人間はその先で次の2割を作っている。しかも新しく生み出された2割は、まだ教師データが存在しない分布外(out-of-distribution)のデータです。だからAIは、構造的に匠の技の一歩後ろを走り続けることになるのです。

来たるべき未来に備えて、現場が今やるべきこと

やるべきことは3つあります。1つ目と2つ目は「8割をフィジカルAIに渡す守りの打ち手」、3つ目が「2割を人間に残す攻めの打ち手」です。

① 暗黙知のデジタル化

暗黙知と呼ばれるものの大部分(=8割)を可視化し、技能伝承できるようにする。まずは目の前に迫っている定年退職とともに匠の技が消滅するのを防ぐのが先。これは未来への投資というより、足元の出血を止める話です。

② 現場をAI-Readyに

ロボットを置くだけではフィジカルAIは動きません。正しく機能させるには、ロボットへの指示、判断のもとになる情報、動いた結果、そのすべてをデジタル化する必要があります。作業標準、生産計画、製造記録、設備稼働、品質結果、、、これらをデジタル化してデータ連携しないと、ヒューマノイドは実力を発揮できません。「現場のAI-Ready」とは、現場そのものをロボットが読める状態にしておくことです。

③ ヒトからヒトへ技能伝承する場を残す

AIが普及すると、8割の現場ノウハウは均一化し、そこでは競争力の差がつかなくなります。AI活用しないと置いていかれるだけですが、競争の勝利を約束してはくれません。差がつくのは、残りの2割の匠の技です。「真の暗黙知」を失わず、伝承し、さらに発展させられるか。新しい暗黙知が生まれて受け継がれる場を意図して残す必要があります。放っておくと、自動化の波にのまれて真っ先に消えてしまうのです。

さいごに

日本の製造業は、生産人口の減少と低い生産性という根本課題に直面しています。フィジカルAIはこの課題への強力な武器になる。それは間違いありません。

でも、武器を持っただけでは勝てない。人間にしか生み出せない匠の技を、どれだけ厚く長く大切に育てられるか。そこに、これからの日本の現場の未来がかかっていると思うのです。


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