ミステリー小説『誤認逮捕状』第四章 二十三
二十三
ビニール袋の存在が、元哉の胸に暗闇をもたらした。
いったい、あれがどれだけの証拠能力を有するのだろうか。
とにかく、池守に相談するしかない。
冷たい壁にもたれながら、元哉は何度も声に出して弁護士に伝える練習をした。
池守から聞かれるであろう質問も、事前にシミュレーションする。
何度も繰り返しているうちに、声がかかった。
「面会だ」
すがるような思いで面会室に入る。
すると元哉より先に、池守が話を切り出した。
「美崎さんに会ってきました」
「どうでしたか?」
「あなたのことを、とにかく心配していました」
「メッセージのやり取りについては?」
「それが、警察に証言した通りだそうです」
「……本当ですか?」
思わず、顔をしかめた。
「美崎さんいわく、ラインではなくシグナルというアプリを使っていたそうですね。事前に設定した時間で、自動消去されるとか」
「そうです」
「寄居さんのメッセージを見る前に自動消去されてしまったのではないか、とも聞いてみました。ただ、それはあり得ないとのことでした」
「じゃ、一体あれはなんだったんだ」
「それから、もうひとつの確認事項についてですが……」
追加で元哉が依頼したものだ。
「どうでした?」
「美崎さんは、タバコを吸っていないと思います」
「えっ」
しかし、彼女はメッセージで喫煙を認めたではないか。
「先生は、どうやってそれを確認したのですか?」
「お伝えしたように直接質問することはできませんでしたので、私なりの方法で確認しました。誤魔化している風には見えませんでしたね」
「じゃ先生の推測にすぎないってことですか?」
「そうとも言えます。でも、だいたいわかるものです」
元哉は頭を抱えた。
「ところで、警察の取り調べで進展はありましたか?」
顔をあげて、池守と向き合う。
「それが今朝の取り調べで、警察は、私が遠山を殺した証拠を見つけたと言いました」
「証拠?」
「はい」
ビニール袋について、元哉は練習通りに弁護士に話した。
「寄居さんは、どう答えましたか?」
「……黙秘しました」
じっと元哉を見つめた後、池守が静かに口を開く。
「寄居さん」
「はい」
「弁護士として、私はあなたが話すことはすべて事実である、という前提で動きます。身柄釈放のために全力も尽くします。でも私の知らない事実があるとすれば、弁護活動に支障をきたします」
いつになく真剣な顔つきで、池守が続ける。
「確かに、私にも話したくないことがあるのかもしれません。それでも、やはり全てを話してもらった方が、寄居さんにとってプラスになると思います」
「……」
「私はあなたの味方ですし、新しい契約の中には当然ながら守秘義務も含まれています」
「……はい」
「警察が示した証拠について、あなたは今、どう思っていらっしゃいますか?」
「……」
「遠山さんは事故死だと、あなたは言いました。今でもそう思っていますか?」
元哉は、うなだれた。
ただ、脳はフル回転していた。
「では、こうしましょう」
一向に答えない元哉を見かねたのか、池守が提案した。
「遠山さんの死因に関して話したくないことがあるのであれば、私に説明する必要はありません。代わりに、ケース別に対応を決めましょう」
「……ケース別?」
「はい。あなたは、遠山さんを殺していない。それが、私が聞いている内容です。この場合、あなたは警察に対してあくまで無実だと訴え続けるのです」
一呼吸おいて、池守が口を開く。
「今の時代、もうないとは思いますが、警察が脅したり威圧したりして、あなたに自白させようとするかもしれません。でも、あくまでやっていない、の一点張りでいいです。相手に気を遣う必要はありません」
噛み砕いた、丁寧な説明が続く。
「次に、万が一にでも寄居さん自身が手を下したのなら、それは正直に警察に話すべきです。警察が証拠を発見したとあれば、黙秘し続けると、あなたが殺人犯であるという前提で捜査は進行していきます」
「殺人犯……」
「そうです。遠山さんが亡くなられたのは、もちろんお気の毒です。ただ、美崎さんとの関係などにおいて、完全に同情できない過去が見受けられることも事実です」
元哉の鼓動が激しくなる。
「もしも裁判になった場合、そういった人間関係も含めて総合的に判断されます。あなたの利益を最大化するために、執行猶予を取りにいくことになるでしょう」
執行猶予という単語が、元哉の耳朶にこびりついた。
「それから、遠山さんの死がグレーゾーンであるケースです。たとえば、あなたも関与しているけれども、やむを得ぬ出来事だったとか、不運が重なったとか。その場合は、自分の無実を主張しつつも、不可抗力であったことを訴えてください」
左胸を手でさすり、元哉は緊張を抑え込む。
「それから、警察の言うことが絶対とも限りません。警察はあくまで推理や証拠、証言に則って話します。完全無欠ではない場合もあります」
「……警察の話に、欠点があるということですか?」
「あくまで可能性の話です。寄居さんが警察の話を聞いて違うと思うことがあれば、臆することなく反論すべきです。捜査における矛盾を正すべきは、警察のほうですから」
「……わかりました」
元哉がメモを終えるのを待って、池守が話題を変える。
「ところで、安田さんに旧契約の合意解消の件で連絡しました」
「はい」
「安田さんは、契約を解消する必要はないと言いました」
「え?」
「窃盗以外の弁護が必要なら、現状の契約のままで拡張すればいいと」
「そ、そうなんですか?」
「はい。ただし、寄居さんと合意した内容がありましたので、安田さんを説得して新契約に切り替えました」
「……そうだったんですね」
「寄居さん。なぜ彼女がそこまでしてでも、あなたを助けようとするのか。ご存知ですか?」
心なしか、池守の顔に怒りの表情が浮かんでいるように見えた。
「今回、電話ではありましたが安田さんからいろいろお話を伺いました。私は弁護士であり、必要以上に依頼人のプライベートに踏み込むつもりはありません。ただ……」
珍しく、言い淀んでから続けた。
「あなたは、彼女の希望である海外駐在が実現したら、向こうで一緒に暮らそうと提案したそうですね」
「……はい」
あれは確か、逮捕前日のウェブ会議の最後に話したものだ。
「それです、彼女が必死であなたを助けようとしている理由は。しかも、安くない弁護士費用を自腹で払ってまで、手を差し伸べています」
いつの間にか、池守の口調は弁護士から一人の女性のものに変わっていた。
「でもあなたは、美崎さんと交際関係にあるのですよね? だからこそ警察は、あなたが遠山さんを殺害したのではないかと疑っている。そういう相手がいながら、なぜ安田さんに、駐在が実現したら向こうで一緒に暮らそうなどと告げたんですか?」
「それは……」
「改めて言いますが、私はあくまで弁護士です。刑事事件への対応が役割であって、あなたのプライバシーに踏み込むつもりはありません」
柔和な池守の顔が、非難に満ちたものになっていた。
「ただ、信頼関係は欠かせません。このような話を聞いてしまうと、弁護士とクライアントという関係を超えて、果たして人間として信頼に足る人物なのだろうかと疑問視せざるを得ません」
「……すいません。軽率な発言でした」
内心、余計なお世話だと苛立ちつつ、元哉は謝罪の言葉を口にした。
「安田さんが、あまりにも純粋にあなたの言葉を信じているようだったので、一言お伝えしたかった次第です。こちらこそ、出過ぎた真似をしてしまい、失礼いたしました」
「いえ」
「もっとも、安田さんと話していると、どうやらあなたと美崎さんの関係に気が付いているように思えます」
「そうなんですか?」
「あくまで、私の勘です。具体的に美崎さんの名前が、安田さんの口から出てきたわけではありませんので」
「そうですか」
「寄居さん。本当にもう何もないですか? 何か隠していることがあれば、すべて話してください。それは何より、あなたをここから出すためです」
元哉の頭に、一台の天秤が浮かんだ。
どちらに比重が置かれるのか、見定めるように揺れている。
「……ありません」
「わかりました。では、これで」
