ミステリー小説『誤認逮捕状』第三章 二十
二十
池守との面談を終えたその日のうちに、再び取調室へと呼ばれた。
だが佐岡の姿はなく、藤村一人だけだった。
「今、何時ですか? 部屋に時計がないから、わからなくて」
別にありがたくもないが、目の前の若い刑事とはすっかり顔なじみになってしまった。
「午後五時前です」
硬い表情を崩さぬまま、藤村が答える。
「もうそんな時間か」
弁護士との面会が、確か昼食後すぐだった。
「今日、美崎さんに会ってきました」
「え?」
「お話をお伺いに」
「群馬の太田市まで行ったんですか?」
「そうです」
藤村は、今朝も元哉の事情聴取をしていた。
太田市は、車で往復二時間半はかかる。
「ところで、あなたはまた嘘を付いていましたね」
「……何のことですか?」
「美崎さんとの連絡ですよ」
「それが、何か?」
「彼女は、遠山さん死亡の前後、あなたとは連絡を取っていないと言っていました」
「そんな馬鹿な。彼女が、そう言っていたんですか?」
ゆっくり、しかし強く頷く藤村の姿に、元哉は困惑した。
嘘の情報で、こちらを試しているのではないだろうか。
「だとしたら、何かの間違いです。確実に、やり取りをしていましたから」
「どんなやり取りですか?」
自信満々に聞いてくる藤村の口調に、どうやら彼女は本当にそう証言したようだと元哉は悟った。
「今朝も話したように、返信が素っ気ないから、印象に残っているやり取りがないんですよ」
「それも、美崎さんに伝えましたよ。そうしたら彼女は、そもそもあなたからメッセージを受け取っていないと」
「はあ?」
「もっというと、美崎さんからあなたにメッセージを送っても、返信がなかったとのことです」
「あり得ない」
大きく首を左右に振って、元哉は続ける。
「そんなこと、あり得ないです。むしろ、ここ数日のやり取りは、すべて私から送ったものです。向こうから、メッセージが来なかったから」
「おかしいですね。では、彼女の方が嘘をついているのでしょうか?」
「私にはわかりません。でも、メッセージのやり取りをしていたのは事実です。絶対に嘘ではありません」
強い口調で訴えたのが奏功したのか、藤村は態度を軟化させた。
「我々は、継続してあなたのスマホを解析しています。消去された履歴が復元できれば、どちらが正しいのか、はっきりするでしょう」
続けて、藤村は別の話題を持ち出した。
「ところで、一年前に美崎さんとお付き合いを始めた時点で、あなたは彼女がまだ戸籍上は離婚していなかったことを、知っていましたか?」
質問の意図を、元哉は測りかねた。
「……いいえ。知りませんでした」
「では、お付き合いを始めてから知ったのですね?」
「そうです」
「付き合って、どれくらいで知りましたか?」
「さあ。明確には覚えていません」
「直後でしたか?」
少し間を置いて、元哉は答える。
「いえ、直後ではないですね。彼女は彼女で、実は離婚していないと打ち明けることで、私に嫌われるのではないかと心配していたようですから」
「具体的に、どれくらいで告げられたのか。思い出せませんか?」
この若い刑事は、彼女に会ってきたのだ。
詳しいことは、向こうから聞き出しているのではないのか。
猜疑の目を向けつつ、元哉は口を開く。
「思い出せないです」
藤村が質問を変える。
「後悔しませんでしたか?」
「何をですか?」
「もし離婚していないことを事前に知っていたのなら、お付き合いしなかったのではと思いましてね」
「そうですかね」
「あまりいい言い方ではないですが、相手がまだ婚姻状態にあると知っていて、それでもお付き合いをする人って、あまりいないと思いまして」
「それは、人によるんじゃないですか」
「あなたはどうでしたか?」
「少なくとも、私は気になりませんでした」
若いだけに、藤村との会話では、これまでにも何度かジェネレーションギャップを感じていた。
「真剣なお付き合いを始めた相手が、実はまだ離婚していなかった。その事実をすぐに受け入れられましたか?」
「そりゃ、最初はびっくりしましたよ。でも、だからといって交際をやめるという決断にはなりませんでした。そのうち、正式に離婚してくれたらいいなと」
「それだけ、美崎さんのことを思っているということですか?」
「……まあ、そういうことになります」
「そして交際が進むうちに、二人は結婚したいと思うようになった?」
「……」
なるほど、そういうことか。
彼女との結婚願望が強いという証言を引き出し、遠山殺害の動機にする狙いだろう。
「どうですかね。互いにちゃんと確認しあったわけじゃないので。なんとも」
「美崎さんとの結婚を、考えなかったのですか?」
「そういう気持ちがあったことは、否定しません。でも、だから私が遠山を殺したというのは見当違いですよ」
「それは、こちらで捜査します」
すぐさま、藤村が冷たく言い放つ。
「あなたは、美崎さんの夫であることを知らずに、行きつけの居酒屋で遠山さんと知り合った。そうおっしゃいましたね?」
「……ええ」
「これまでにも、あなたの証言にはいくつか虚偽が散見されました。本当は、これも嘘なんじゃないですか?」
「……いいえ」
「あくまで、偶然だと言い張りますか?」
「……はい」
「寄居さん、それはね、いくらなんでも無理がありますよ」
あきれたという表情で、藤村が続ける。
「いいですか。あなたは美崎さんを好きになり、交際を始めた。その彼女には離婚したくてもできない夫がいた。そんな夫と、あなたは居酒屋で偶然に出会ったと言っている」
「……そうです」
「実際は、自分から意図的に近づいたんじゃないですか?」
「……」
「どうですか?」
「……」
「いいでしょう。実はね、我々はすでに居酒屋の女将さんにも話を聞いているんです」
鬼の首を取ったかのように、藤村が新情報をちらつかせる。
「あなたが居酒屋幸ちゃんに通いだした時期と、美崎さんと付き合い始めた時期を重ね合わせてみました。そうすると、あなたは事前に遠山さんと美崎さんの関係を知っていた可能性が、十分にあるんですよ」
女将の顔が浮かんだ。
典型的な、人の不幸を酒のあてにするタイプの人間で、元哉は好きになれなかった。
有名人の不倫や薬物のニュースも大好きで、ワイドショーさながら、客と会話するのだ。
それだけにとどまらず、客や近隣住民の噂話も、店の中でよくしていた。
「もう一度、聞きます。あなたは偶然を装って遠山さんに近づいた。違いますか?」
「……」
「寄居さん。何回も言っていますが、虚偽の証言はあなた自身を追い詰めることになりますよ。供述は記録に残りますし、事実と異なることを言えば、後にあなたに不利に働くことだってあり得ます」
「……」
「どうですか?」
「……はい。意図的に遠山に近づきました」
深くため息をつき、藤村が続ける。
「やはり。目的は?」
「……」
「何のために近づいたんですか?」
「彼女と離婚するよう、説得するためです」
「その割には、遠山さんと飲み友達になっていますね。なぜですか?」
顔をあげた元哉は、藤村に視線を向けた。
「説得に応じなかったんですよ、遠山が。何度か話しましたが、聞く耳持たずという感じで」
「それで?」
「作戦を変えたんです。説得に応じないなら、逆に仲良くなって、遠山に認めてもらおうと」
「なるほど。それで、あの居酒屋で何度も飲むようになった?」
「ええ」
「しかしながら、いつまでたっても遠山さんは離婚する気配を見せなかった。だから、あなたは……」
「それは違います」
即座に、藤村の言葉を遮る。
「あれは事故です。私は殺してなどいません」
ゆっくり椅子から立ち上がると、藤村が言い放った。
「取り調べは、以上です」
