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ミステリー小説『誤認逮捕状』第三章 十五

十五
 やることがないため、自然と取り調べを回想してしまう。
 刑事たちの目的は、自白を引き出す以外に、余罪の有無と、反省しているかどうかの確認であったろうと思われた。
 ということは、余罪がなく、また深い反省の意を表したことは、プラスに働くのではないか。
 釈放は近いかもしれない。
 ひとつ気になるのは、佐岡の追求だ。
 ブロックは偶然見つけた、という嘘を見抜かれた。
 遠山に窒素を勧めた、という認識も持たれた。
 今まで一切口を開かなかった中年刑事の、ここに来ての鋭い追求は、矢のように元哉に突き刺さっていた。
「面会だ」
 先ほどと同じ制服警官が、扉の前に立っていた。
「またですか?」
「出て」
 だが、向かった先は取調室ではなく、別の部屋だった。
 入室前に警官から、ボールペンとメモ用紙を手渡される。
「メモが必要な場合は、これを使って」
 そう告げられ、中に入るよう指示された。
 部屋の真ん中はアクリル板で仕切られており、向こう側には見知らぬ一人の女性が座っていた。
 ドアが閉められたところで、元哉は警官が「取り調べ」ではなく、「面会」と言っていたことに気が付く。
 いったい、誰だろう。
「寄居元哉さんですね?」
 優しく微笑みながら、女性が声をかけてくる。
「……はい」
「どうぞ、おかけになってください」
 言われた通り、椅子に腰かける。
「あの……。どちら様でしょうか?」
 座ってみて気が付いたが、アクリル板には穴が無数に空いていた。ただし、板は二重構造になっていて、穴同士が重ならないよう設計されている。
「はじめまして。弁護士の池守優美(いけもりゆうみ)と申します」
 女性は名刺を取り出すと、アクリル板越しに見せてきた。
「……弁護士?」
 逮捕されたとき、確かに藤村は弁護士を呼ぶ権利があると告げていた。
 だが手錠をかけられ、署に連行され、すぐに取り調べを受けていたのだ。
 弁護士を呼ぶ余裕など、なかった。
「実は、ある方から依頼を受けてここへ来ました」
「ある方?」
「安田葵さんです」
 意外な名前に、元哉は驚きを隠せなかった。
「安田が?」
「はい。寄居さんの部下だそうですね?」
「そうです」
「不思議に思われるのは当然です。あくまで、依頼人である安田さんから聞いた内容であるという前提で、私がここへ来た経緯を説明します」
 ゆったりとした口調で、池守が続ける。
「寄居さんがお勤めなのは、朝比奈工業株式会社で間違いありませんね?」
「はい」
「警察は、社長の朝比奈さんに、寄居さんの逮捕について連絡したようです」
 やはりそうだったか。
「それから、役員に石橋さんという方がいらっしゃいますよね?」
「います」
「朝比奈社長は警察から一報を受けた後、すぐに幹部会議を招集して伝達したそうです」
 池守の声は、相手に威圧感を与えない、柔らかいものだ。
「あなたの逮捕を聞いた石橋さんが、社員名簿からあなたのご両親の連絡先を調べて、連絡したそうです」
 父の耳にも入ったか。
 仕方あるまい。
「ただ、ご両親はともに大阪にいるうえ、お母様は特別養護老人ホームに入っており、お父様もすぐに埼玉に駆け付けられる状態ではない、とのことだったそうです」
 池守の説明通りだった。
 父は一人暮らしをしているが、足が悪く、今すぐに埼玉に来てほしいと言われても逡巡するだろう。
「その後、石橋さんは寄居さんの所属部署の社員にだけは、状況を伝えようと配慮なさったそうです。なんでも、新規のプロジェクトが始まったばかりで、あなたの不在はとても大きく響くからと」
 石橋の気遣いには、感謝しかなかった。
「こうして、あなたの逮捕が安田さんの耳にも入りました。安田さんは、あなたのご両親がすぐに駆け付けられないことを知り、うちの事務所に連絡をして弁護を依頼しました」
 ずれた眼鏡の位置を直して、池守が続ける。
「以上が経緯です。今後、私が正式に寄居さんの弁護を担当するかどうかは、あなたの意思次第です」
「……今後、ですか」
「ええ。今日はまず状況をうかがって、必要であれば初期対応を進めます。何かご不明な点があれば、遠慮なく聞いてください」
「経緯はよくわかりました。ただ、こんなこと言うのもなんですが……。弁護士の費用って高いんですよね?」
「費用については、安田さんが負担することになっています」
「え?」
「連絡をいただいた後、契約書を交わしました」
「……そこまで」
「寄居さんを弁護する可能性を踏まえて、三点、先にお伝えさせていただきたいことがあります」
「ちょっと待ってください」
 メモ帳に、日付と相手の氏名を書き込む。
 普段の会議から行っている習慣だ。
 そこで初めて気づいたが、相当に書きづらいボールペンだった。
 よく見ると、プラスチック製の丸いケースの先から、ほんのわずかに芯が出ているだけだった。少しでも傾斜をつけると、ケースが邪魔してペン先が紙に触れない。
「お願いします」
「ひとつ目は、今回の件について、警察の見解とか一般論ではなく、あなた自身がどう認識しているのかを、私に話してほしいということです」
 池守の言葉をメモしていく。
「二つ目は、そのうえで、寄居さんがどうしていきたいのかを、お話しください」
「……どうしたいか、というのは?」
「私の役割は、窃盗による刑事処分において不起訴、最低でも略式起訴を勝ち取ることと。そして早期の身柄釈放です。そうした私の弁護方針と、あなたの要望をすり合わせる必要があります」
 不起訴は、もちろん元哉も望むところだ。
 略式起訴がよくわからず質問すると、正式な裁判は行わず、書面の審理のみで罰金や刑罰の言い渡しを行うものだという。
「あなたの方針に、異論はありません」
 身柄の釈放についても言及してくれた池守に、元哉は頼もしさを感じた。
「三つ目は、情報の取り扱いです。寄居さんの話す内容について、私は守秘義務を負います。ただし、安田さんは依頼者ですので、事件の詳細には及ばない範囲で、基本的な事項は報告させていただきますが、よろしいでしょうか?」
 当然、異論はないと答えた。
「逆に、寄居さんのほうから、安田さんに伝えないでほしいという事項があれば、教えてください」
「……特にありません」
「わかりました」
 元哉は、改めて目の前の女性弁護士に目を向けてみた。
 ショートカットで、清潔感がある。
 年齢は四十前後か。
 眼鏡をかけた姿は知的な印象を与えるが、だからといって冷たい感じはなく、話していて安心感を覚えた。
「それでは、詳しくお話を聞かせてください。寄居さんの逮捕容疑は、窒素の窃盗ということですが、間違いありませんか?」
「間違いありません」
「どのような窃盗をしたのか、詳しく教えてください」
 二人の刑事の前で自白した内容を、正確に伝える。
「なぜ、警察はあなたに疑いの目を向けたのだと思いますか?」
「そもそもの発端は、私の友人が不慮の事故でなくなったことにあります」
「詳しく聞かせてください」
 またか。
 何度も話さねばならないことに、うんざりする気持ちが湧く。
 だが、池守は味方だ。
 不起訴や早期釈放を目指すうえで、頼らざるを得ないパートナーである。
「その前に、この面会に時間制限はありますか? 長くなりそうなので」
「いえ。ありません。その点はご心配なく」
「わかりました」
 刑事たちとの会話を、元哉は可能な限り正確に伝えた。
「ということは、警察は解剖結果の低酸素症に違和感を持ち、それで窒素吸引を疑ったんですね?」
「はい」
「確かに警察なら、朝比奈工業に窒素を使用する設備があることは、調べが付きます。それに友人であり、死亡時に一緒にいたあなたを経由して、遠山さんも窒素吸引をしたのだと疑うのは、自然な流れではあります」
 池守が、さらに元哉の話を復唱する。
「それに、オワダさんがあなたに従順だったのが、交通事故を警察と会社に知られたくないという背景があったから、というのも頷けます」
 元哉は、反省の弁を刑事の前で述べたことも付け加えた。
「わかりました。寄居さんは潔く罪を認めていらっしゃいますし、今回は初犯です。会社との示談を成立させ、不起訴及び身柄釈放を目指しましょう」
 池守の言葉をメモしていく。
 書きにくいペンのため、何度もやり直しが必要だった。
「何か、質問はありますか?」
 メモを終えた様子を見て、池守が尋ねてきた。
「事件についてではないのですが、いいですか?」
「どうぞ」
「なぜ安田が、先生を手配してくれたのかなと思いまして」
「私も、電話で依頼を受けただけなので、詳しくは聞いておりません。ただ彼女は、寄居さんをすごく尊敬しているような印象がありました。窃盗なんてするはずがないと、強く信じているのかもしれません」
 必死で弁護士事務所を調べる、安田の姿が浮かんだ。
「他には、ありますか?」
「いえ、ありません」
「では最後に確認ですが、あなたは私を弁護人として選任しますか? それとも、自分で他の弁護士を探されますか? 自分で探す場合、警察に言えば当番弁護士を呼ぶことも可能です」
 当番弁護士という見慣れぬ単語が出てきたが、元哉の心に迷いはなかった。
「あなたでお願いします」

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