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ミステリー小説『誤認逮捕状』第四章 二十二

二十二
 留置場に戻ると、すぐに取調室に呼び出された。
 息つく暇もないとは、このことだ。
 今回は、佐岡も一緒だった。
「今日は、窃盗以外の事案についても取り調べを行います」
 厳粛な雰囲気を醸し出しながら、藤村が部屋の上を指さした。
「よって、この取り調べは録画と録音がなされます」
 以前は気づかなかったが、天井にドーム型の機器が設置されている。あれで取り調べを記録する、ということか。
 日付と現在時刻を口にしてから、藤村が取り調べを開始しますと宣言した。
「我々は、あなたの殺人容疑に結び付く、いくつかの重要な証拠をつかんでいます」
「……」
「遠山さんのスマホ、あなたのスマホ。美崎さんの証言、そして遠山さんの死に関連すると思われる証拠品もです」
「……証拠品?」
「はい。これまでにあなたは、窒素の窃盗及び遠山さんに盗品である窒素を勧めたこと、また意図的に遠山さんに近づいたことは認めました。しかし、遠山さんの殺害については否認している。そうですね?」
「はい。だってやっていませんから」
「もう一度、聞きます」
 机の上に、藤村が身を乗り出す。
「本当に、あなたは遠山さんを意図的に殺害しようとしませんでしたか?」
「……」
「どうですか?」
「……」
「これを聞いてください」
 おもむろにスマホを取り出すと、藤村が何やら操作した。
 

『一一九番です。火事ですか? 救急ですか?』
「早く! 早く来てください」

 

「これが何か、わかりますね?」
「はい」
「なんですか?」
「私が救急車を呼んだ時の音声です」
「そうです。遠山さんが倒れて、あなたは救急車を要請した。その時の通話記録です」
「これが何なんですか?」
「この通報を初めて聞いたときから、我々は違和感を覚えていました」
「違和感?」
「ええ。冒頭からです」
 再び、藤村が再生する。
 

『一一九番です。火事ですか? 救急ですか?』
「早く! 早く来てください」
『落ち着いてください。火事ですか? それとも救急ですか?』
「救急車をお願いします。 早く!」

 

「……別に、普通だと思いますが」
「冒頭、あなたは火事か救急かと聞かれているのに、それには答えていません」
「そりゃそうですよ。慌てているんですから」
「わざとらしいんですよ。わざと、慌てふためいているように聞こえます」
「そんなこと言われても」
 思わず、元哉は苦笑する。
「オペレーターの質問を聞き流すほど慌てた通報は、意外と少ないんです。スマホで一一九を押し、コール音が鳴り、相手が出る。そのほんの数秒でも、冷静さを取り戻せるからです」
「だからといって……」
「まして、質問は火事か救急かの二択で、火事でないことは明らかですからね」
 言い終えると、藤村が再びスマホを操作する。
 

『何か、目印になるものはありますか?』
「ないです、畑だけです」
『なにもないですか? 飲食店の看板など、なんでもいいんですが』
「近くにはないです。遠くにゴルフ場の灯りが見えるくらいです。打ちっぱなしの」
『ゴルフ場の名前は?』
「わかりません。でも打ちっぱなしの、チェーン店です。とにかく、早くしてください」

 

 音声を止めて、藤村が口を開く。
「何か、言いたいことはありませんか?」
「は?」
「今の部分で、何か言いたいことは?」
「……別に」
「この会話は、覚えていますか?」
「もちろんです。僕の声ですし」
「そうですか」
「……」
 少しの間が空く。
「この中で、あなたが言及したゴルフ場ですけどね」
「……はい」
「打ちっぱなしのゴルフ場、確かにあります。名前はゴルフメイト。全国にチェーン展開しています」
 いつも、通退勤時に遠くで目にする場所だ。
「ただですね、寄居さん。この音声の中には、決定的な矛盾があるんですよ」
「どういうことですか?」
「本当にあなたは、ゴルフ場の明かりを見たのですか?」
「……はい」
「間違いありませんか?」
「はい。見ました。だから、そう伝えたんです」
 若い刑事は息をひとつ吐くと、姿勢を正す。
「実際に店舗に確認しましたが、あの日、あの時刻に、灯りが見えるはずがないんです」
「えっ?」
「あなたが通報した時刻に、灯りが見えたということはあり得ません」
「なぜですか?」
「強風により、あの日は夕方の五時で臨時閉店したからです」
 すべての物音が、一瞬にして消え去った感覚を覚えた。
「寄居さんはゴルフをやらないようなので、ご存じないようですね。打ちっぱなしは、強風で営業停止になることがあるんです」
「……」
「この日の日高市は、夕方から夜にかけて非常に強い風が吹いていたんですよ。どうですか? 本当はゴルフ場の灯りは見なかったのではないですか?」
 真空の中で、藤村の声だけが耳に届いているようだった。
「見ていないけど、日々の通退勤で夜の遅い時間でも、ゴルフ場の照明が付いていることを知っていた。だから見てもいないものを、とっさに答えてしまった。違いますか?」
 両足が、貧乏ゆすりを始めた。
「寄居さん?」
「……」
 テーブルの上で、藤村が両手を組みなおす。
「続けます。あの夜、遠山さんと散歩に出かけた際、あなたはトートバッグを使用したと言いましたね?」
「……はい」
「それも嘘ですね?」
「……本当です」
「だとしたら、おかしいんですよ」
「何がですか?」
「家宅捜索の際、我々は窒素の缶だけでなく、あのトートバッグも押収して調べました。しかしですね」
 ゆっくりと藤村が口を開く。
「バッグに付いているべきあるものが、付着してなかったんです」
 元哉の足がピタリと止まった。
「……何ですか?」
「土です、畑の」
「土?」
「ええ。あの夜、あれだけ強い風が吹いていた。だとしたら、バッグに畑の土が付着するはずなんです。それなのに、鑑識の調べでは見つからなかった」
 猛獣のような鋭い目つきで、佐岡が元哉を睨みつけていた。
「つまり、あの日、あなたはトートバッグを使っていない。では、どうやって窒素缶を運んだのか? まさか手づかみで、ということはないでしょう。不便ですからね」
「……」
「ところで、遠山さんの死因については覚えていますか?」
「はい」
「何でした?」
「窒息です」
「そうです。吐瀉物が気管に詰まっての誤嚥性窒息でした。ちなみに、窒息の原因は吐瀉物のみで、他の物質は検出されていません。ここで、遠山さんの死が他殺だったと仮定してみましょう。となると、第三者が故意に窒息を引き起こしたということになります」
 藤村の語り口調に、熱が帯びる。
「当時、遠山さんは酩酊しており、そのうえ窒素を吸引して嘔吐した。その吐瀉物を口の中に戻して窒息を引き起こすには、吐いたものを一旦、どこかで受けておかなければなりません」
 嘔吐物の嫌な臭いが、元哉の脳裏によみがえる。
「それをどうやったのか。散歩で外出するのに、まさか洗面器やバケツを持っていくことはできません。怪しまれますからね。しかし、現場では地面に吐き出された吐瀉物をすくった形跡はありませんでした。もしそうしたなら、遠山さんの気管に詰まった吐瀉物に土や砂が混ざるはずですが、検出されませんでした」
「……」
「あなたは、トートバッグを使ったと嘘をついた。ということは、そこにこそ遠山さん殺害の秘密があるに違いないと、我々は考えました」
 パズルのピースをはめていくように、藤村がひとつずつ推理を組み立てていく。
「バッグの代わりに使用したもの。それは、吐瀉物を一旦、受け止めておけるものに違いなく、かつ散歩中に持ち歩いても不自然ではないものです。もうおわかりですね?」
 のぞき込むように、藤村が視線を向けてきた。
「我々はそれを、あなたのアパートで発見したんですよ。逮捕の二日前の火曜日、あなたの自宅で話を聞いた時です」
「え?」
 思わず元哉は顔をあげた。
「そういえば、あなたを逮捕した直後のことです。アパートの駐車場で、私と挨拶を交わした中年女性がいたのに気付きましたか?」
「……はい」
「あなたとは、すれ違った時にだけ挨拶を交わす程度の関係だそうですね。でも、あなたに対する印象はよかったそうですよ。他の住人は、ろくに挨拶もしないと」
「それが、なにか?」
「先週の火曜日、我々が階段の脇であなたの帰宅を待っていると、あの女性が声をかけてきたんです。『どちらさまですか』と。警察とはいわずに、県の職員ですと答えました。会話はそれだけです。ただその時、女性がつぶやいたんです。『こんなところにゴミが落ちている』と」
「ゴミ?」
「ええ。我々は気付いていませんでした。階段の脇の、暗い部分にへばりついていたので。女性が拾おうとするのを制止して、我々が回収のうえ鑑識に送りました」
 全身から汗が噴き出す。
「どうですか?」
「……」
「あなたは一体、何を使ったのか?」
 スマホを操作した藤村が、画面を見せてきた。
「これですね?」
 そこには、薄汚れてくしゃくしゃになった、ビニール袋が映っていた。
「スーパーレイシアのビニール袋です。あなたは、これに窒素缶を入れて自宅から出た。さらには吐瀉物を一時的に受けておくのにも使用した。そうですね?」
 体が硬直して動けない。
「このビニール袋の鑑定結果が、昨日もたらされました。予想通り、あなたの指紋以外に遠山さんのDNAが見つかりました。また袋の表側からは、畑の土も検出されました」
「……」
「あの夜、北西から南東の方角に強い風が吹いていました。遠山さんが倒れた位置から南東の方向には、あなたのアパートがあります。飛ばされたんですよ、風で」
「……ちょっと待ってください」
「なんですか?」
「思い出しました。あの日は確かにトートバッグではなく、スーパーの袋を使いました。で、あいつが吐きそうってなったから、慌ててその袋を使ったんです。それは認めます」
「認めるんですね?」
「はい。でも嘘ではなく勘違いでした。それに……」
「何ですか?」
「刑事さんが言ったようなことはしてません。吐いたものをあいつの口に戻して窒息させたなんて。それは、言いがかりです」
「では、聞きます。吐瀉物を受け止めた後、あなたは袋をどうしましたか?」
「……」
「寄居さん?」
「……えっと、ちょっと待ってください」
 貧乏ゆすりが再開される。
「確か、その場に置いたままだったと思います」
「袋を、ですか?」
「そうです」
「吐瀉物が入ったままで?」
「はい」
「あのね、寄居さん」
 若い刑事が、呆れたという表情に呼びかける。
「いくら強風とはいえ、吐瀉物が入ったビニール袋が、アパートまで飛んでいくと思いますか?」
「……こぼれたんじゃないですか。袋からこぼれて、軽くなったんですよ」
「それはないです。だとすれば、現場検証で痕跡が見つかるはずですから」
「何日間かかけて、少しずつこぼれて、徐々に飛ばされていったのかもしれないじゃないですか」
「寄居さん。警察を甘く見ない方がいいですよ。遠山さんが倒れた場所だけでなく、広く周辺に渡って入念に調べましたから」
「……」
「もう、認めたらどうですか?」
 とどめを刺すように、藤村が語気を強める。
「寄居さん。あなたは、遠山さんを窒息させましたね?」
「……」
「どうなんですか?」
「……黙秘します」
 元哉の回答に、藤村の顔がゆがんだ。
「私には、あいつを殺す動機がありません」
「動機は、あなたが美崎さんとの再婚を望んだから……」
「違います」
 元哉は、藤村の言葉を遮った。
「では、なんですか?」
「だから、ないって言ってるじゃないですか」
 椅子が動く音がして、佐岡が立ち上がった。
「行くぞ」
 藤村を連れて退室していった。

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