ライターがやるべきこと/やってはいけないこと
ことばで戦う仕事
今回は、作り手とライター(orジャーナリスト、編集者、批評家)の関わりについて話していきます。
僕たちてけしゅんの主な仕事は、最新の音楽情報を紹介したり、作家や作品について解説したり、作品について様々な切り口から論じたりすることです。
そうした仕事は、ジャーナリストと呼ばれたり、ライターと呼ばれたり、あるいは評論家や批評家と呼ばれたりします(呼称はその人次第のところがあって、僕は批評家を名乗ることが多いですが、てけくんは編集者と自分を規定することが多いです)。
そして、インタビューをしたり、作品を論じたりすることで、「作り手」や「作家」や「アーティスト」と呼ばれる人たちと必ずかかわることになります(便宜上ここでは「作り手」に表記を統一します)。
てけくんも先日書いた通り、僕たちは書く仕事と話す仕事を同じくらいやっていますが、いずれにせよ僕たちの仕事は「ことば」に関するものです。
ことばをどのように扱い、どのように書き、どのように話すか。
その技術と能力によって、収入を得ています。
ことばを生業とする僕たちの仕事は、「作り手」にことばをもって対峙しなくてはいけない。
僕たちは、ことばによって作家や作品を紹介し、解説し、批評します。
ことばで作り手に負けていたら、僕たちの仕事は務まりません。
(てけしゅんnoteでは編集者・ライターの技術や心得について日々発信しています。是非そちらも合わせてお読みください)
著者プロフィール:伏見瞬
批評家・音楽系YouTuber。東京生まれ。
音楽・映画・文学など、表現文化全般に関する執筆を様々なメディアでおこなう。2017~18年「第三期ゲンロン批評再生塾」で東浩紀審査賞を受賞。2018年から旅行誌を擬態する批評誌『LOCUST』編集長。2022年からトークイベント「歌舞伎町のフランクフルト学派」を批評家・西村紗知とともに主宰。会社勤めの兼業作家。
著書に『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(2021年、イースト・プレス)。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年2月末時点でチャンネル登録者数約5万人)
作り手のことばから距離を取る
僕が知る限り、作り手の人たちはあまり言語化をせずに作品を作っています。
彼らは想像以上に直感的に動いている。
それゆえに不安定なところもあり、他者の言葉を求めている作り手は多い。
僕が書いた批評文について、「自分の考えていることがはじめてわかった」「書いてもらって助かった」と本人から感謝されることもありました。
同時に、自分の作品や活動をロジカルに、整理して語れる作り手もいます。
なかには良い文章を書くことができる人もいる。
彼らは、自分で自分へ言葉を与えることができる分、ライターや批評家にとっては手ごわい相手です。
作り手自身のことばには説得力がこもっているけど、オウム返ししているだけでは面白くない。
僕らの存在意義もなくなってしまう。
工夫して、本人から出てこない言葉を紡いでいきます。
インタビューの場であれば、彼らが想定しないような質問を考えていきます。
どんなにその作り手の作品に愛着があっても、あるいは作り手本人への思いがあっても、仕事の場では距離を取らなければいけない。
彼らとは別の言葉を持てるだけの、距離を作らなければいけない。
そうした倫理が、僕らの仕事には必要です。
あるきっかけ
僕らの仕事の倫理について改めて考えたのには、あるきっかけがありました。
それがこちら。
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