「やっと会えた」。なぜ僕は“突然”藤井風に恋に落ちたのか?
「どうして急に藤井風なんですか?」
と、質問されることが増えました。
トークイベントや、YouTubeのライブ配信でのチャットなどいろんな場所で聞かれるのですが、正直、聞きたくなる気持ちはわかります。自分でも「どうした?」って思う勢いだからです。
↑このイベントでもかなり藤井風について話しました(期間限定アーカイブ配信あり)
もちろん藤井風さんはデビュー当初から注目度が高かったですし、その後も「死ぬのがいいわ」がアニメタイアップなしで海外ヒットするなど、J-POPの中でも異例とも言える動きを見せていたのでマークはしていました。しかし、あくまでも「現象としての藤井風に注目していた」という感じでした。
それが9月にリリースされた 3rdアルバム「Prema」の前後から、藤井風関連の発信ギアが上がったのです。
一応、お断りしておくと、僕たちのYouTube「てけしゅん音楽情報」は「今の音楽がわかる」をテーマにしているチャンネル/音楽メディアですので、僕たち自身の好き嫌いで扱う作品を選んでいるというわけでは基本的にはありません(これはメディアなら当然のことです)。
しかしその上で、今の藤井風の重要度がとてつもなく高まっているのを感じると同時に、個人的にも非常に彼と彼の音楽に惹かれていることを自覚しているのが現在です。
では、どうしてこんなにも「藤井風に夢中」なのでしょうか?
筆者プロフィール:照沼健太
編集者・ライター・YouTuber。テレビ東京やNetflixのメディア運営、レディオヘッドら数々のアーティストのCD封入解説文、HIKAKIN、米津玄師、押井守、藤本タツキなどのクリエイターや多くのビジネスパーソンの取材を担当。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年9月時点でチャンネル登録者数約6万人)。
ハチ公前で待ち合わせるみたいに
まず、やはり「Hachikō」が強かったです。
コード進行ではなくループ主体のモダンな作りで、世界の現代のポップミュージック文法の“入口”としての手ざわりがある楽曲ですが、僕にとっては“藤井風への入口”となりました。
それまでの2枚のアルバムも、それ以降のシングルも聴いていましたし、良いのはわかっていました。でも、英語圏を中心とした 海外のポップミュージックに親しんできた僕にとっては、「Hachikō」以前の藤井風の楽曲が持つ豊かなコード進行や楽曲展開があまりにもJ-POP的に見えて、少し距離を感じてしまっていたのです。
しかし、その壁や距離を「Hachikō」は見事に溶かしてしまった。
そこから一歩、『Prema』本体に足を踏み入れると、待っていたのは藤井風が愛してきた70〜90年代のソウル/R&B/ヒップホップを、彼らしいコード感とハーモニーで語り直す、どこか懐かしくて、それでいて品のいいサウンドでした。
そう、「Hachikō」タイプのループ主体の音楽は1曲もなく、より古いタイプの洋楽を彷彿とさせる音楽が待っていたのです。
これ、僕にとって“再会”でした。
モダンな「Hachikō」で手を引かれ、気づけば昔から彼が大切にしてきた音楽の部屋にいた感じ。そこで鳴っているのは、今となっては世界基準で見れば「古い」と揶揄されることもある、“J-POP的”とも捉えられる豊かなコード進行。

けれど、藤井風とNewJeansのプロデューサー250は、そこに現代のポップ音楽にも通じる意匠をまとわせ、ノスタルジアと未来を同時に感じさせてくれたのです。
先日、 米津玄師さんにインタビューした際にとても印象的だったのは、彼は宮崎駿監督との仕事で燃え尽きにも近い状況になった後、自身のモードを子供の頃の音楽体験や音楽を作り始めた頃の気持ちに求め、新たな原点回帰とも言える動きを見せていたことです。
状況と音楽性は違いがありますが、藤井風と米津玄師のこの動きには不思議なシンクロを感じずにはいられません。
きっと彼らは今の音楽の中で、かつての自分と再会できているのではないかとも思います。
米津玄師も藤井風もXGもNumber_iも、みんな「宇宙の彼方/別の次元/向こう側」について歌っている2025年。
— 照沼健太|てけしゅん音楽情報 (@TeKe0824) September 22, 2025
かつての「ここではないどこか」という消極じゃなく、明確に「次」を見ている感じがある。
「どこに行こうハチ公」だって、どこにだって行けるわけで。 pic.twitter.com/ms4RpMttDT
それは彼らの音楽を聴いている僕も同じ。「Hachikō」のMVで“白い藤井風と黒い藤井風”が抱き合う場面。忠犬ハチ公の物語を下敷きにした再会シーンですが、あの場面を今観ると、涙が出そうになってしまいます。
僕もかつての自分、そして藤井風に出会えた感覚があるからです。
「やっと会えたね」という感覚

「Hachikō」は、現実世界では叶わなかった"再会"を描いた曲です。
その物語が、僕自身のリスナー体験とも重なりました。
藤井風は本作のインタビューにおいて「コード進行」への愛をたびたび語り、先述の米津玄師は「頭拍から逃げない」ことを最新のテーマとして掲げています。どちらも世界基準のポップ音楽からすると、どこかしら"避けるべきもの"として扱われている要素です。 さらには僕自身もその意識を持っていました。
しかし、J-POPの最前線にして頂点にいる二人はそこに今向かい合っている。 おそらく彼ら自身にその意識はないと思いますが、これは間違いなくポップミュージックの世界における最も先駆的で、最も私的な態度ではないかと思います。
「Hachikō」を入り口として、僕は『Prema』の中で忘れていた何かと再会し、さらにはどこか素通りしていた藤井風の1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』と2nd『LOVE ALL SERVE ALL』を改めて聴き直すことになりました。
すると、まるで感覚が開ける感覚。というか、コード進行と楽曲展開をそれだけで避けていた自分のクローズドなマインドに気付かされる感覚がありました。
「超いい」。
「Hachikō」は藤井風のディスコグラフィーにおける未来『Prema』に対してはもちろん、過去である『HELP EVER HURT NEVER』と『LOVE ALL SERVE ALL』への再会の入り口にもなっていたわけです。
僕が「恋」に落ちた決定打

もう一つ、どうしても言及したいのが“視覚”です。
金髪の衝撃。「満ちてゆく」のアー写も凄まじく良かったのですが、なんといっても『Prema』のジャケットのアイコニックさ。
ブロンドの陰影に、英語詞と「Hachikō」の硬質なビートの輪郭が合わさった瞬間、藤井風というアーティストの“像”が、はっきりとピントが合うような感覚がありました。
「恋に落ちた」と書くと照れますが、これが一番正確。
先ほども書いたように、白と黒の藤井風が抱き合うあの瞬間を観るだけで、最近はもう少し泣きそうになります。
『Prema』は、彼自身の燃え尽きからの再生であり、僕みたいな洋楽リスナーの“再会の記録”でもあるのかもしれません。
……実際、僕以外にも藤井風にハマっている例を結構見かけます。
(照沼健太)
結構パーソナルな内容なのでメンバー限定にしようと思って書きましたが、全文無料公開にします。良かったらこのnoteやXのフォロー、YouTubeのチャンネル登録などお願いします🙏
「どうして急に #藤井風 なんですか?」
— 照沼健太|てけしゅん音楽情報 (@TeKe0824) September 29, 2025
と質問されることが多いし、自分でも聞かれて当然だと思うので、それについて書いてみました。
パーソナルな藤井風(&#米津玄師)語りですが、本質的な気もします。
「やっと会えた」。なぜ僕は“突然”藤井風に恋に落ちたのか?https://t.co/qcbrpsM6hJ pic.twitter.com/OzWw0jkpfz
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