見出し画像

【連載】狂骨紅籠 明治幻想奇譚 第十一話 棺の中身(全30000字)

1話目と目次

第十一話 棺の中身

「本当に困ってたんですよ。舶来物らしいけどね、気づくと中のものが湿気って腐ると苦情ばかりだ。でもお安く譲っていただいたものだから言い出しづらくってね」
 そう呟いたのは、水戸で伊左衛門が荷を売り渡した商家の番頭だ。
「そうなんですね、私どもは芦屋あしや殿から依頼され、具合の確認に伺いました」
「ありがたいことです」
 荷を改めるといえば、番頭は俺と鷹一郎を残して立ち去った。
 どうやら一式は貸家の設備として引き取られたものらしい。その長持は、蔵の暗がりに埃にまみれてひっそりと横たわっていた。パッと見た所は長持ちに見えなくはないが、よくよく見れば異なる。長持ちにしては形がおかしい。片側が高くやや湾曲に反り返った重そうな蓋が壁際に立てかけてあり、見下ろせば人が一人寝転べる大きさ。
 これは長持ちではなく、棺桶なのか。
 そう思うと途端に気色が悪くなってきた。触れたその中はしっとりと湿り、顔を近づければ僅かに嗅ぎ慣れた腐臭が漂う。
 俺の隣の髑髏は俺を引きずり込むわけではなく、ただ、隣に突っ立っている。そして確かに……棺を目の前にしてもこちらを害そうという気配は伝わらなかった。
「入って下さい」
「まじかよ」
「そうですよ。お仕事です」
 鷹一郎はさも当然のように首を傾げる。頭がおかしい。

 棺の前に行くと棺が開き至柩前柩忽自開
 二人で入ると蓋は閉じられ擁之同入隨即閉矣
 ついには棺の中で死んでしまいました生遂死於柩中

 ぞわりと首筋が震える。
 改めて眺める。目の前には底が見える綺麗な昏い箱。
 すでに蓋は開けられている。入れば……閉じ込められるのだろうか。
 すっかり冷たくなった背中にぺたぺたと紙が張られた。守りの札だ。鷹一郎の式神だ。
 覚悟を決めよう。ヘリを掴むとふわりとその内から風が吹き、見えぬ湿った腕に掴まれた、気がした。ごくりと唾を飲む。棺からぞろりと陰気がたち昇る。人一人分がゆったりと横たわれる、大きさ。
 自分から入るのは良くないのではないのだろうか。
「往生際が悪いですねぇ」
「仕方ねぇだろ。好きで食われるわけじゃねぇ」
「この後に及んで怖いのですか?」
 やれやれとため息をつく鷹一郎に苛立ちまぎれに、けれども恐る恐る冷たい棺に足から入り、横たわる。たふたふと底から沸き上がる湿気。
 麗卿は十二年の間ここに横たわり、それから。それからどうなったのだろう。瞿佑は道士に祓わせた。けれどもそれがなければ、どうなったのだろうか。
 拒絶した喬生は翌日死体となって見つかった。
 剪灯新話の他の話では一年暮らして成仏した女霊もいるという。
 怖いかどうかといえば、きっと、怖くは、ない。髑髏が俺を殺そうとしているのではないと知っている。けれども耐え難い濃厚な死の気配。ここで喬生は死んだ。そしてたくさんの人間が死んだ。それがわかる臭い。
 それで、この話は。俺の話はどこに向かう?

 湿気。
 気づくとそれが俺を包み込んでいた。息が次第に苦しくなる。
 いつのまにかギギィと音がなり、重い蓋が閉じられた。
 真の闇が満ちていく。何もなく、ただ、闇。寒い、冷たい、苦しい。この中で、麗卿は十二年も居たのだな。この骨をも凍らせるようにシンと冷たい箱の外で出会った喬生は、人肌はどれほど温かかっただろう。糞野郎であったとしても、縋らずにはいられない。
 ぽぅと赤い灯が灯る。
 それがゆらゆら近づいてくる。
 牡丹灯籠、それだけが闇の中で芒と光っている。手を伸ばせばすぐ左右と背に棺の板目がある筈なのに、それはもはや何処にも感じられない。ただ、無限に広がる宙空の冷たい闇に不確かに浮遊するような気持ち悪い感覚と、足元からゆるりと昇ってくる何者かの気配。それから甘く腐った香り。追うように湿っていく俺の着物。ぞぞりと骨が俺に触れる感触。圧迫。

 ひた、ひた。
 ……だんな、さま、ぁ……
 どこに、どこにいらっしゃった、の……

 最初は耳を澄ませてようやく聞き取れたのに、ずっと聞いていたからかすっかり判別がつく。いや、違う。麗卿は旦那様に会いたい、どこにいるのかしか話していなかった。だからわかりにくいその言葉に俺の耳が慣れたのだ。狂おしいほどの渇望、狂気、愛。
 こんなに近いのに俺の居場所がわからない。いや、もう、わかるはずだ。俺が閉じ込められているのは麗卿の内側なのだから。
 この漆黒は麗卿の異界。麗卿のあの世。どこまでも広がる外の世界と隔絶されたたった二立法メートル程度の狭き世界。だから俺自身がどこにいるかはわからずとも俺をすっかり包み込んでいることはわかっているはずだ。
 猛る動悸を抑えて息を整えると、ふと牡丹の香りが漂った。首筋に回される冷たい腕。唇に触れる湿り。
 狭いその内側に麗卿の気配が満ちる。この内側全てが霊卿。

 ここに、おられるのですねぇ……
 ……ずいぶんおさがし、もうしあげましたぁ

 その声音はふるふると骨を通して俺に響き、頭の中で言葉になる。
 この世の中に、この黄泉に、たった2人しかいないと思わせるような凄まじい孤独感と、それから二人でいられるという少しの安堵感と喜びがないまぜになった、反響する湿った音。これでは二度と離さぬと思うはずだ。

 麗卿に抵抗してはならない。
 麗卿を否定してはならない。麗卿はただ喬生を好いていて、一緒にいたいだけなのだから。
 俺からは麗卿に呼びかけても反応してもならない。俺を俺と認識すれば、麗卿は俺が喬生でないことに気がついてしまう。
 ここは麗卿の夢の中だ。不確かで夢のように全てが曖昧なその世界で俺は麗卿に食われる。それが俺の仕事。ふわりと上がる湿度。俺をねとりと圧迫して絡みつくのは女の腕か肋骨か。
 浅く息が絡まる音を聴きながら時間の経過をただ待つ。ただ。
 哀れな麗卿に自ら触っては、いけない。声をあげても、いけない。ふりほどいても、拒絶しても。
 それはとてもいじましく、頭の一つでも撫でてやりたくなるような、孤独を埋める時間を静かに耐える。すでに恐ろしさは感じなかった。一人ではなく、二人。
 その時間は随分と長く、最後にようやく女が大きく息を吐き、俺を締め上げるかいなの力が僅かに緩んだその瞬間だ。
 真っ暗な闇に僅かに閃光が浮かぶ。
 俺に張り付いていたたくさんの人形ひとがたの紙がはらりと解け、淡い光を放ちながら浮遊して狭い棺の外縁に向かって散り、この世界の境界のである四角を浮き彫りにする。
 思い出した。ここは無限の闇ではなく、せいぜい人一人が入れるだけの狭い棺なのだ。そう思った瞬間幾枚かの紙が楔のように蓋を押し上げ、唱え続けていたであろうその低く澄んだ音を棺の中に呼び込んだ。

次話

#妖怪 #陰陽師 #明治時代 #生贄 #あやかし #ホラー小説 #牡丹灯籠



いいなと思ったら応援しよう!