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十日間の関係 第5話 4日目 どれとも違う白い空(非定型恋愛 前半全17話)前半連載中

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第5話 4日目 どれとも違う白い空

 また、目が覚めたら樺島の腕の中だった。そのことに覚えた酷い違和感は、背中に感じる温かさで混乱に変化した。何もされてない。それは理解する。言葉にするなら、添い寝。この行為になんの意味がある。けれど特に何もされないことがわかれば、警戒は少しばかり収まった。そう感じたのは今日が一段と冷え込んでいたかもしれない。冬は順調に忍び寄っている。
「おはよう、樹。もうちょっと寝る?」
 頭の後ろから聞こえる声に上半身を起こして時計を見れば、7時前だ。いつもだいたい同じ時間に目を覚ます。いつもの休日は二度寝したり起きたりと、その日の気分にまかせている。けれども布団の外はまだ少し寒い。
 きっと、もう少し寝ても何もされたりはしない。ただ、再びその腕の上に頭をのせるのは気が咎めた。
「二度寝しますけど、部屋から枕をとってきます。腕、痛くないですか?」
「このままがいい、嫌じゃなければ」
 嫌かといわれれば嫌じゃない。そう思っていると抱き寄せられ、頬にキスされて、顔を離す。その動きが自然なことが、気持ち悪い。
「あの、キスとかは前はされてません」
「え、そうだっけ」
 まただ。何故意外そうな顔をする。やっぱり記憶が曖昧なんだろうか。
「検査はしといたほうが」
「……これはきっと検査で何とかなるやつじゃないから」

 これ? 精神的なものということ?
「なんて言ったらいいのかよくわかんないけど、ちょっと記憶が混乱してるんだよ。しばらくしたら問題なくなると思う。僕ももう少し寝るよ。何もしないから」
 開かれた両腕。
 そんな関係じゃない。けれど、拒絶していいのかはよくわからなかった。これまで接していた樺島は誠実な人間だと思う。
 頭をのせて背を向ければ、樺島の顔は見えなくなる。接した体温が温かい。あの海から出てきたときとは大違いだ。そのことにホッとした。
 記憶が混乱してるのは間違いないんだろう。それがちょっとした違和感の原因かもしれない。でも本当に大丈夫かな。日常的なことなんて、忘れるものなのか。少しだけ心配になった。
 肩から反対側の手が回されて体が硬直する。それを感じて手は離れていった。抱きしめられるような関係じゃない。頭の下の樺島の腕の温かさを感じながら、ひょっとしたら樺島はゲイなんだろうかと思う。あるいは前にいた同居人ともこんなふうに一緒に寝ていたんだろうか。
 それはなんだか、イメージが違った。
 樺島は男女問わずに親しげだ。けど2年も一緒に住んでプライベートで親しい人というのは見たことがない。間近で見る樺島はまるで彫刻のように美しい。先ほどこちらを見ていた表情が思い浮ぶ。こんなふうに一緒に寝るなら、きっと恋に落ちても不思議じゃない。俺はそんなことにはならない。だからこそ、俺は樺島と住んでいる。恋愛はしない約束。絶妙に確保される距離感。互いに踏み込まないこと。それが俺たちの関係だったはずだ。
 そう考えれば、あまり樺島のことを知らないことに気がついた。
 俺たちは会話はするけれど、お互いのことを話したりはしない。それが俺と樺島との距離だと思っていた。

 それからしばらくして、甘くて香ばしい香りで目が覚めた。リビングに向かえば樺島がパンケーキを焼いている。
「おはよう、樹。2枚でいい?」
「はい。今日もタイミングがいいですね」
「なんとなく、そろそろ起きる気がして」
 その顔色は明るい。パンケーキがふわりと宙を舞うの視界におさめ、戸棚からメープルシロップと、冷蔵庫からジャムを出す。
 そういえば、海にいくんだった。一昨日の暗い夜と、それから一年と少し前の太陽が燦燦と輝く青い海が思い浮ぶ。その色は両極端だ。
「そういえば、一緒にどこかにいくのも珍しいですよ」
「……そうだっけ」
「そう。半年ぶりかな。前は掃除機が壊れたからホームセンターに買い物に行って、その前は……1年少し前に海に行ったときですね。先生が突然サーフィン行きたいって言い出して」
「遊園地とか映画とかは」
「俺とは行ったことはないですよ」
 そうだったかなという小さな呟きが聞こえた。
 誰かと混同している? その誰かとは、一緒に寝てキスをする関係だったんだろうか。
 樺島は個展を開いているときやなにかの企画があって外出する時以外、だいたい家に引きこもって絵を描いている。日常の買い物もほとんどが宅配ですましている。まるでなるべく人に会わないようにしているように。

「そういや樹は前から僕のことを先生って呼んでたっけ」
「はい。先生は俺を浅井君って呼んでました」
 綺麗に焼かれたホットケーキが乗った皿がテーブルに置かれる。焼き加減もいつもの樺島と変わらない。
「そう……だったかな。浅井君に戻したほうが良い?」
「どちらでも。ひょっとして、先生って呼ばれたくなかったりしました?」
 そう指摘されたことはないけれど。
「いや、もともと先生ならそれでも。成彰なりあきでもいいよ」
「それは流石に不遜すぎる気がします」
「何で?」
 何でって。家主だし、年上だし、画家の先生だし。でも特にそれが理由だと決めたことはない。
「なんとなく」

 車の助手席に樺島が座る。
 シートを少し倒して外を眺める姿は気だるくどこか退廃的で、それだけでやっぱり、なんだか絵になるなと思う。
 少しだけ見上げれば白い薄曇りの空。日が高く昇ってもさほど暖かくはならなかった。夏の日差しの温かさは随分前に過ぎ去った。
 エアコンをつけて軽く暖を取り、ラジオをつけて空気の密度を上げてようやく、車は滑らかに進みだす。すべての物事には温かさが必要だ。
 国道をずっと東に向かえばやがて海が見えてくる。淡い灰色の雲が白い空に棚引いている。これまで樺島とみたどちらの空とも違う。

 何故海に入ったのか。
 聞きたかったけれど、やはり聞いて良いことかはわからなかった。
「同じところでいいですか?」
「うん」
 同じところがどこかはきっと、確かめなくてもわかる。
 3日前と同じ駐車場に駐めて外に出る。寒くてジャケットの前を閉める。海から吹く風が冷たい。白くくすんだ空に接続する暗い紺色の海はなんだか冷たく空々しい。
「どんなものを落としたんです?」
「メモかな」
「メモ……海に落としたのなら絶望的だと思います」
「やっぱりそうだよね」
 樺島は海に向かって足を進める姿に鼓動が早まる。足取りはしっかりとしている。波打ち際にしゃがみ込み、水に触れた。
「入りたいとか言わないですよね?」
「ちょっとね。……ああ、冗談だよ。少しだけ前の気持ちが残ってただけ」
「入らないでください」
「うん。心配かけたいわけじゃないから」
 ちゃぷちゃぷと引いては寄せる波が樺島の指先に触れて離れるのをしばらく眺める。この人は一体今、何を考えているのだろう。よくわからない。潮風が樺島の少し巻いた髪をふわふわと揺らす。
「靴下の代えを持ってくればよかった」
 10分もそうしていれば、緩急をつけて寄せてくる波がスニーカーの内側まで染みたらしい。
「後でコンビニに寄りましょう」
「ありがとう。見つからなさそうだ。靴下を買って、倉庫街の方にでもいこうか」
 樺島は立ち上がって伸びをする。4日前と違ってしっかりと立っている。そのことに少し、ホッとした。少しずつ、もとに戻っている気がしたから。
「買いたいものでも?」
「特に無いけど、まあいいじゃん」

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