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本雑綱目 94 内海孝 感染症の近代史

今回は内海孝『感染症の近代史』です。
山川出版日本史リブレット 96、ISBN-13 ‏ : 978-4634547087
NDC分類では498。自然科学>衛生学. 公衆衛生. 予防医学
前提知識必要度(幕末あたりの歴史):★☆☆☆☆

これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。時々恣意的に選んでいることもあります。

★図書分類順索引


1.読前印象:内海孝 感染症の近代史

 この日本史リブレットのシリーズはわりとテーマ特化で面白いことが書いてある。近代史というと日本で言えば明治大正あたりかな。表紙は広重の名所江戸百景の両国花火だから幕末あたりかもしれない。この時代で日本で猛威を振るった感染症はコレラ、疱瘡あたりで、特に外来のコレラは何度か十万人単位の死者を出したような……記憶。予防というと開港地で防疫所を作ったりしていたけれど、諸外国から反対があった話とかだろうか。うちの小説でもちょくちょく話題に出てるやつなので、めっちゃ興味ある感。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 前書きはなさそうなので目次。
 『花火と「手洗い」』、『近代先進国の産業革命と貿易活動』、『欧州「権益」体制と西洋医学の受容』、『転換期の西洋医学と日本人の「不潔」』、『新政府発足後の西洋経験と医療行政の設計』、『衛生政策と外来伝染病のコレラ情報』、『コレラ「衛生の警鐘」と伝染病対策』、『改正条約の実施と伝染病の国際関係』です。
 前半は西洋と本邦の対比があるので気になるものの、『近代先進国の産業革命と貿易活動』、『新政府発足後の西洋経験と医療行政の設計』、『衛生政策と外来伝染病のコレラ情報』、『コレラ「衛生の警鐘」と伝染病対策』を読みます。半分以上にわたるけど、ブックレットで総ページ数少ないし、興味があるところなので。
 いつも通り前段はまとめ、後段は感想・雑感。

3.中身

『近代先進国の産業革命と貿易活動』について

 ユーゴーはレ・ミゼラブルで産業革命期のチフス、肺結核、つぶはしか、ペスト、コレラだけでなく下水道をも複眼的に描き出した。また、汚水溝渠は10世紀もの間、梅毒の源であり続けた。コレラの流行を契機にパリの下水道が大改造されたが、臭気がコレラの原因と考えられたからである。同時期の1858年は、ロンドンでは大臭気年といわれた。テムズ川のあまりの臭気に裁判所や議会も活動を止めるほどで、下水道の建設が加速された。一方当時の日本では、堆肥は田舎に運ばれ排泄物の再利用がされていた。インドの風土病コレラはイギリスの植民地経営を契機に全世界に流行するが、世界の衛生行政を一気に向上させた。日本では開港当時、仏教伝来とともに伝わった疱瘡(天然痘)が流行し、様々な民間信仰があった。種痘法が江戸時代に伝わったのは1849年だが、当初は偏見が多く接種されなかった。その後蘭方医が種痘所を建築する。1958年、長崎にコレラが生じて以降、西日本で流行を繰り返し、原因は開国だとみる日本人によって外国人が敵視された。外国でも医師が毒を撒いたと川に投げ込まれ無秩序状態となっていたのに比べれば、日本の方が冷静だった。やがて汚染された水が原因とされ、ロンドンの上下水道整備に繋がる。
 日本の人糞堆肥は衛生環境を結果的に確保はしていたけれど、寄生虫の循環を止められなかったんだよね。確か昭和の中期くらいまで日本人の寄生虫罹患率は8割くらいだったような気はする、即死はしないけど。コレラについてはなんとなく日本の対策が遅れていたように思っていたが、世界同時多発的だったのは目からウロコだった。そうするとどこも手探りだったのだな。日本の流行は外国に比べればマシだったらしい。そして当時建築されたパリの新しい下水道が現在も残って老朽化してパリ五輪の嘔吐事件に繋がる……。コッホが結核菌を発見したのが1882年だから、それまでは大変な手探りなんだろうなと思う。

『新政府発足後の西洋経験と医療行政の設計』について

 孝明天皇の崩御に際して親王に種痘が打たれた。この頃には宮中でも西洋医学への信頼が高まっていた。鳥羽伏見等で政府に従軍したウィリスが新設された医学校兼病院の教師となったが、体系的な教育より臨床に興味を寄せたため批判が集まる。これまで本邦では医学は蘭語で学んでいたが阿蘭陀の勢力が英米に比べ相対的に低減したことから、医学をどの国から学ぶかという問題が言語問題に繋がる。福沢諭吉は数少なく高価な蘭英辞書で英語を学んだ。長崎府医学校では井上馨の英断により、医学教育以前に理科教育を行うこととなり、ヘールツが招聘された。横浜ではプラントンが簡易便所の近くに浅い井戸があることから、臭気味覚等では検知されなくても汚染がある可能性を指摘した。給水についても川の水をろ過する水道計画が練られた。プラントンは当時多くの日本人が清掃を最善と思わない(手洗い拒否)こと、井戸に有機物が多く含まれているはずであることを踏まえて、伝染病が流行していないのは奇跡であると述べる。
 当時の日本人の清潔感について多くの誤解があるかもしれない。上下水道の機構が客観的に清潔を保っていただけで、そもそも当時の日本人庶民は半裸裸足の生活をし、手洗い等の習慣は根付かなかった。そういえば細菌が発見されるのはこの数十年後だけれど、当時の日本の医学認識では身中の虫(疳の虫とか腹の虫とか)が悪さをするというのが未だ一般的だった気はする。そう考えると細菌感染の防除の考え方は理解しやすいんじゃないかとは思うものの、やはり西洋全般は開国による超不況も相まって印象が悪かったのだろう。そういえば江戸末には顕微鏡が輸入されていたが、当初の微生物は確か虫の姿を取っていた(人の認識が視野をゆがめる)気がする。なんだかだいぶん忘れてる気がするからまた読もう。この辺の医学の接続もとても興味があるところで、『「腹の虫」の研究―日本の心身観をさぐる― (南山大学学術叢書) 』がおすすめだ。

『衛生政策と外来伝染病のコレラ情報』について

 福沢諭吉は1870年、水天宮の祭礼の帰宅直後に発熱した。高熱を冷やすには氷が必要だったが東京では氷店がなく、函館の囲い氷を横浜で購入し徹夜で運んだ。シモンズと早矢仕有的はやしゆうてきが治療にあたったが江戸にはシラミが多く、人混みにもまれて発疹チフスに伝染った可能性が高い。岩倉具視使節団に随行した長与専斎ながよせんさいは現地の医学教則、医師制度を調べるうち、欧米では伝染病予防は当然として貧民救済、土地清潔、上下水道の飲用排除、市街家屋の建築方式や薬品・占領・飲食物の用捨ようしゃ取締まで、人間生活の利害についての国家行政機関が関与していることに気が付く。当時東洋には健康保護の名称さえなかった。長与は旧交のある阿蘭陀で学び、文科省の医務局長に就任した。当時新政府は医学校兼病院、疱瘡対策等に漢方から西洋医学に転換しつつあったが民衆に浸透しておらず、国民健康保護を理解する者は上位者にもおらず、西洋といえばただ忌み嫌う者も多かった。医制略側を基礎として西洋歴訪の知見を踏まえて医制を上申し、三府から実施した。長与は医術開業試験と免許制度を作り、悪性流行病を指定しこの可能性がある場合は医務取締及び区戸長に届け出ることとした。台湾出兵では戦死より戦後の滞陣中にり患したマラリアによる病死が圧倒的に多かった。コレラ対策に消毒剤・石炭酸の輸入が急増したのは1877年以降である。
 ここに出てくる早矢仕有的ってハヤシライスで丸善の人だよな……。まじスパイ感ある。ところで欧州では日本よりコレラ禍が広がる、という以前に産業革命の人口増加で川に汚物が流れすぎて臭すぎたから下水整備が進んだという話はなんともいえないいたたまれなさ。コレラじゃなくてもチフスとか疫病流行りそう。ある意味環境が劣悪すぎれば整備が進むというものだろう。この医制改革は確か初年度あたりは申請すれば現在営業中の医者はスムーズに医師登録できたけど、時間がずれると試験が必要だったような。そして火葬(そういえば火葬土葬もこの頃政令がごちゃごちゃしてたな)に医師の死亡証明が必要な法制になったから比較的スムーズに西洋医が増えていった、記憶。

『コレラ「衛生の警鐘」と伝染病対策』について

 1873年内務省が新設され、産業育成、医学教育を除く医療行政の事務が行われた。長与は健康や保健の文字は面白くないので、荘子にある衛生という言葉を用いて衛生局を作る。養生が個人の体に対するものとすれば、衛生は個人を超えて社会全体を視野にいれた言葉として生じた。内務省は天然痘予防規則を布達し種痘を義務化した。衛生局では庶務。製表、売薬、種痘、出納の五課が置かれた。長与はフィラデルフィア万博に出張し、外貨獲得の内地産業の育成路線を模索した。1877年、厦門でコレラが流行し、厦門からの船舶についての警告が出された。英国公使パークスは外務卿寺島に、アジアコレラであれば1日で死亡するが、これでなければ人心が驚きよくないと、政府に慎重な対応を求めた。当時西南戦争中で大久保はおらず、長与は船舶検査・避病院設置について外務省に照会したが、船舶検査についてイギリス公使に拒まれるうちにコレラは長崎に入り横浜に伝わる。対日貿易国として最も大きいイギリスは権益が実施されれば最も不利益を被る立場にあった。
 衛生・健康という概念は確かに日本にはこれまでなかったんだろうし、それをなじみの深い荘子から取ろうというのは頭をひねったなと思う。イギリスの傍若無人ぶりすごい度が最近心の中で跳ね上がってる。日本はかろうじて条約を締結したけれど、その不平等な内容は植民地の搾取とさほど変わらず、ただ日本には内戦の余力がまだあって内戦と搾取の物凄い綱渡りをしつつ武力による植民地支配は免れたのだろう。奥羽越列藩同盟もフランスが武器供与したりと各国のよい狩り場だったんだなというところで、昔からあの辺戦時死者が少ないなとは思っていたのは巧妙な経済的舵取りだったらどうしよう的なif歴史を作ってみると面白いかもしれないと思いつつ、正直幕末の戦争は信者が多いから書きたくないやつ。

まとめ

 結局全部読んじゃったので、感想は上記項目外を含んでるかもしれません。
 全体的に、あまりメインには書いていないけれど欧米の傍若無人ぶりが行間から滲んでいる。コレラを押し切って入港して日本にばらまいたくせに、日本で独自流行しはじめると固有病になったといいのけるイギリス様は今の感覚からすると横暴のように見えるけれど、おそらく彼らにとって主観的には日本は共同植民地で、しかも勝手にインフラを自己投下するしお金を借りて狂った利息を払ってくれるよいカモだったんだろうなと思う。日本人の清潔感については僕も勘違いしていたところもあったので、とても参考になりました。さっき横浜疾病史買ってきたから参考に読んでみようと。それにしてもよく日本は植民地から抜けたなって感じ。不平等条約を解消することになったバーター要因(解消したほうが得になると思わないと、きっと解消されないと思う)について知りたくなってきました。
 小説に使えるかというと、明治で医療を書くなら読んでおいてもいいかもだけど、基本的に外国視点の話に見えるので、日本人主人公だと資料としては足りないだろうと思う。まあブックレットだしね。ところでこの本は章ごとに時系列が多少ずれているのと、平たく事実を書き連ねているので、自分で使うには年表を独自で作った方がよいだろう。

4.結び

 この間の戊辰戦争のブックレットもそうだけど、わりと尖った特集しているのがあるので初手にはいいなと思い始めてきた。でも短くて興味があるからといって全部読んじゃうと時間を食ってしまって本末転倒な気はする。このコーナーはあくまで蔵書の中身は悪の為のものなので。そろそろ一旦明治抜けたいなと思いつつ、蔵書の1/5が日本史だよなと思いつつ、ガラガラポン。
 次回は平川祐弘『西洋人の神道観 富士山に日本人の霊性を見たハーンとクローデル』です。
 ではまた明日! 多分!

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