【短編小説(SF)】終わりと最後、そして美しい花 6000字
[HL:風を吹かそう。終わりか、あるいは最後の風を]
終わりと最後は、少しだけニュアンスが違う。
「キトリ、本当に宜しいのですね」
「いいんだ。この世界は何ももたらさない。きっと、誰にも」
僕を抱きしめるカイユの腕は暖かい。肩口を通り過ぎるその呼吸は柔らかく、タイムのような薬っぽい香りがした。
「いいえ。私にキトリをくれた大切な世界です」
「カイユはいいの?」
「キトリがいない世界に意味はありません」
見上げたカイユは、いつもと同じように優しげに僕を見つめた。
いつもと同じ。
狂っているのは多分僕じゃなくて、カイユの方だ。狂ったカイユが狂った僕を作った。それはもう随分前のことだ。
随分昔の思い出が、僕の中でフラッシュバックする。これが走馬灯というものかもしれない。
僕にとって最初の日。
目を開ければ、僕を見つめる人間がいた。少し浅黒い肌に白く長い美しい髪、そして透き通った浅葱色の瞳は柔らかく光を反射している。
「おはよう、キトリ。私はカイユ、あなたの調整を司ります」
「カイユ?」
「そう。次の百年をよろしく」
カイユはそう告げて、柔らかく僕の頭を撫でた。
何もわからないまま起き上がろうとして思わずよろけると、カイユが僕の体を支える。
「初めて起き上がるのですから、気をつけてくださいね」
「……わかった」
おぼつかないままゆっくりと、足に力をいれる。体に問題はない。立ち上がる力も機能も備わっている。ただ、初めてだから少しバランスを崩してしまっただけ。
カイユから目を離して、僕は真っ白な卵型の部屋にいることに気がついた。ゆるやかなカーヴを描く直径3メートルほどの部屋の中央には僕が横たわっていた寝台が置かれ、ただ、僕とカイユだけがいた。
「あの、僕は一体……」
「あなたはキトリです。我らが王」
その言葉の意味も僕には全くわからなかった。けれど、その言葉はわかった。
「何故僕が王様なの?」
「それはあなたがキトリだからです。まずは食事にしましょう」
最初に飲んだスープはとても優しい味がした。
僕の最初の一日はそんなふうに始まった。
次の日から、教育が始まった。
それは全てについて。僕は王様だから、全てを知らなければならないらしい。カイユの説明はとてもわかりやすく、起きたばかりの僕の頭は冴えていて、カイユの話すこの世界の状況をスポンジが水を吸い取るように吸収できた。
すなわち。
この世界はかつて毒を撒きちらす隕石が落ち、生物のほぼ全てが死に絶えた。自然のままに放置すれば地球の自転の作用によってたちまち大気に毒が満ちてしまう。この世界のおおよそはすでに、そして現在も毒で満ち溢れ、本来なら生物が生きることは困難だ。
この小さな国はトラソルテオトルという機構でバランスを保ち、わずかな人間が生存していた。その毒に科学技術が打ち勝てた範囲でほそぼそと、絶妙な配分によってこの国が成り立っている。
この国の人間はギリギリを生き延びるため、それぞれ役割を担っている。糧を育てる者、それを運び分配する者、そして僕はこの世界の王で、この世界に毒が満ちないよう、世界を観測して調整する。
だから僕にだけ寿命がある。僕だけが生まれて、そして死ぬ。
「キトリ、我らの王。この繭で行える学習は一通り終了しました。次は世界を観測しましょう」
そのカイユの声に、僕の心は浮き立った。カイユと二人きりの生活は退屈ではなかったけれど、この白くて小さい繭の外には無限に世界が広がり、人々がいる。僕は既にそのことを知っていた。そして知識が深まるにつれて、この繭の外の新しい冒険は僕の中で輝かしいものに映った。
繭が開かれ、初めて目に入ったのはその青い空だった。空の青さは果てしなくどこまでも広がっている。思わず両腕を伸ばし、この国を駆け巡る空気を思い切り吸い込んだ。目に入る巨大なトラソルテオトルも空に向かって大きく枝葉を伸ばしていたから。このトラソルテオトルがこの国を清浄化している。
世界は正しく美しかった。そして正しく爛れていた。
トラソルテオトルの麓である中心部に整えられた街区と農場、辺縁にある自然地形のままに崩壊を繰り返す大地。世界の辺縁は目に見え、その外には何もない。宙がもたらした毒が全てを腐敗させるからだ。
「キトリ、この世界は守るに値しますか?」
「守る? 僕がそれを決めるの?」
「ええ。唯一にして未だ人たる王」
カイユは変わらず優しく僕に微笑む。けれどもその微笑みに、僕は返事ができなかった。だってまだ、僕はこの世界に触れたばかりだったから。
「わからない」
「ええ。もちろんです。では見て回りましょう。この世界を」
街や畑に、何人かの人間がいた。僕を見れば手を止め、頭を下げた。
「おはようございます、キトリ。王が健やかであられることをお祈りいたします」
「ありがとう。あの、あなたは」
「私は『葉野菜を作る者』です」
葉野菜を作る者はニコリと微笑んだ。見渡すと、キャベツやレタスといった葉野菜が畝に綺麗に植えられ、順番に成長していた。
「お仕事は大変でしょうか?」
「それほどでもありません。トラソルテオトルによって野菜は健やかに成長しますから」
僕は順番に国民全てに挨拶をした。国民といっても100人しかいないから、僕の冒険は思ったより早く終了してしまった。そのことが少しだけ残念だった。
「キトリ、彼らは幸福です」
「そうだね。そんなふうに見える」
それは正しく僕が抱いた感想だった。
人々は自らの名前と仕事を明確に答え、そしてそれを完遂することに誇りを抱いている。その笑顔はだれもが輝かしい。
僕は繭の中にいたとき、カイユから人々が幸せだと聞いて疑問を持っていた。
何故ならカイユたち僕以外の人間には寿命がない。もともとは命に終わりのある人々だったけれど、技術の進歩により寿命を克服していた。だから、年齢にすればそれぞれすでに、数千年は生きている。
カイユはそれぞれの人間はずっと同じ仕事を続けているという。だから何千年も同じ仕事をして、飽きたりは、嫌になったりはしないのだろうかと。
「キトリ、この国にも最初は混乱がありました。けれどもトラソルテオトルで生き延びることができる人数は100名が上限なのです。ですからその中で、我々は仕事を分けることにしました。いずれも大切な、欠かせない仕事です。それをみな、知っています」
それは、そうなのだろう。
毒によって人の生活圏は大幅に狭まり、生存可能な人数は限られた。以降、この国の人口はきっかり100人で、増えも減りもしない。
学習した中でも知ったことだけれど、人が生きていくためにはたくさんの仕事をこなさなければならない。特にこのトラソルテオトルを恒常的に運用していくためには、それを管理する役目や、それを補助する役目、そしてそれを運用する人が生活していくための物資を製造する役目など、多くの仕事をこなさなければならない。なにせ100人しかいないのだから。
「カイユ、仕事を交換したりはしなかったの?」
「もちろんそのような話も出ました。けれども我々は少ないのです。1つの仕事が頓挫してしまえば、全てが止まってしまう。ですから万一が起こらぬよう、自らの仕事を熟練することを選択しました」
確かにそれが、最も効率的なのだろう。そして人々はそれに納得し、だからこそ誇りを抱いている。先程まで挨拶をしていた人々の顔にも暗さや憂いは感じられなかった。
そうして仕事が欠けることがないよう、人々は死ぬのを辞めたのだ。
そうしてトラソルテオトルを扱う王だけは過去の僕のDNAから繰り返し促成され、100年ごとに交代する。
「キトリ、この世界は守るに値しますか?」
「……値するかなんて、僕にはわからないよ」
少なくとも、彼らは現在幸福に見えた。彼らは死なない。変わることはない。だからきっと、これからも幸せなのだろう。ずっと。それは本当に、そう思えた。
けれどもふわりと心の奥底から浮かびあがったアブクは僕の口でパチリと弾け、カイユの瞳がわずかに陰っているのを気づかせた。
「カイユは?」
「何でしょう」
「カイユは仕事に満足しているの?」
「もちろんです。私は常に王の傍らで王のお世話をするのですから」
その瞳は正しく喜びに満ちていた。それは、きっと間違いなかった。
「キトリはこの世界を理解しましたか」
「わからない。でも多分、これ以上は変わらないと思う」
世界は輝かしく美しい。人々は幸福に仕事をこなしている。そしてそれは永遠に続いていく。その中で風を吹かせるのが僕の仕事だ。
「わかりました。ではトラソルテオトルへ」
「うん」
その時、僕は何を考えていたのだろうか。きっと本当に、納得していた。それで良いと思っていた。そしてそれは今も変わらない。
この国の根幹をなすトラソルテオトルの根本には、半ば朽ちた僕が膝を抱えて蹲っていた。
目の前の僕が意識を閉じたのと同時に、次の王、つまり僕が目が覚めるようにプログラムされている。カイユは前の僕を丁寧に抱き抱え、かわりにそこに僕が収まる。ここに入るのは初めてのはずなのに、何故だかとても懐かしい。きっと何千年も交代で入っていた僕の意識が未だここに留まっているのだろう。
「当代のキトリはトラソルテオトルとなることを了承しますか」
「うん」
「自動制御を解除します」
僕の認証で機構はふわりと起動し、僕の意識はこの小さな世界と接続する。次に接続が切れるのは僕が死ぬ時だ。死という概念はすでにこの世界にはない。死ぬのが僕だけだから。
カイユに聞いても死というものの認識は既に困難なようだった。僕が死んでも、新しい僕が起きる。ただそこに一瞬だけ断続が発生するだけで、僕の死も永遠に組み込まれ、全てがつつがなく繰り返される。
ぱきりぱきりと僕の中に世界の情報が入り込む。
この小さな世界の運行、組成、毒の侵食状況、風の動き。トラソルテオトルはこの巨大なビオトープの空調で、風を吹かせて隕石の毒を吹きちらし、その内側に入らないようにする。地球の運動に基づく地殻や地磁気の変動、季節による風の転向、そういったこの国以外の外的要因によってこの世界に毒が入らないよう、注意深く風を調整する。
僕はトラソルテオトルに入る前に見た人々の姿を思い出しながら過ごした。
僕はトラソルテオトルから出ることができない。だから僕と話すのは、僕の世話をするカイユだけだ。動けない僕に食事を運び、体を拭き、話をする。時間だけは膨大で、カイユと様々な話をして、一緒に図書データを閲覧した。
この国の全ては王のために動いている。カイユたちは光合成でエネルギーを得て、わずかにハーブを嗜む程度で、この国で育てられる糧は全て王が食べ、この国で作られる物資はすべて王の生活に費やされる。つまりこの国の作用は全て王の生存のために運航されている。
ありあまるほどの膨大な時間。
僕はトラソルテオトルから動けない。だからトラソルテオトルが保管する様々な記録を閲覧した。
過去の記録と照らし合わせれば、当初のカイユが正常であるという前提にたてば、カイユは既に静かに狂っていた。ほんの少しずつ、1年が1秒ずつずれていくように何かが少しずつ変化していた。
たくさんの国民と異なるこのカイユの変化はきっと、僕のせいだ。DNAを複製したとしても、キトリの精神というものは、きっとそれぞれの僕によって都度異なる。その小さな変化の発生と消失が、小さなシャボン玉がたくさんぶつかって酸素を動かすように、連鎖的にカイユの何かを変化させていったのだろう。
「キトリは王の仕事をどう思いますか」
カイユはよく、僕にそう尋ねる。いつも通り微笑みながら、僕の頭をなでる。僕にとってカイユはかけがえがない存在だった。カイユにとって今の僕は、これまでたくさんいた僕と同じようなものだろう。ただ、その仕事として僕の世話をして、僕を慈しみ、そして僕を喪失する。それが繰り返される定め。
「僕が風を動かさなければ皆死んでしまう、カイユも」
「それは必要な行いでしょうか」
永遠に。
カイユの瞳は何かを僕に伝えることはない。それはカイユの仕事ではなくて、僕の仕事だから。王だけが100年に一度刷新され、正常性と意味と価値を判断する。そのために僕は死んで、そして生まれる。
このたった100人の国では奇妙な共依存が生じていた。王が死ねば毒が吹き込み皆が死ぬ。1人でも欠ければ王は生きていくことができない。
過去の記録で、カイユはこれまで過去の王にこれほど世界の価値を問うことはなかった。きっと小さなアブクが積み重なって、一定を超えたのだろう。
「カイユ。カイユはどうしたい?」
「王の仰せのままに」
時間が先に進むように、終わりのない世界も結局は終わりに導かれているのだろう。つまりこの世界の終わりを柔らかに僕に告げたのはカイユだ。
僕の中で99年の時が経過した。
「当代のキトリは次代を生成されますか」
その日のカイユもいつもと変わらず僕に微笑んだ。
100年毎の問いかけ。僕の最後に次の僕を作るか、あるいは。
キトリは、王は100年世界を見続けて、そのたった1つを判断する。それだけが僕の本当の仕事だ。
「終わりにする」
「キトリ、本当に宜しいのですね」
「うん。カイユ。僕と一緒に終わらせよう」
「仰せのとおりに、王よ」
カイユは常と何も変わらず、僕を抱きしめた。その腕は僅かに震えていた、気がする。
きっと国民の中で反対する者もいないだろう。
何も齎さない静かで喜びにあふれた世界。
きっとみんな、既に死んでいたんだ。最初に死を諦めた時に。この固定された世界はきっと最初からみんな生きてなんていなくて、きっと人々の幸福を願った誰かの幻想のように風だけが吹いていた。
最後の日、トラソルテオトルはその全ての力を込めてたくさんの花を咲かせ、風にその花弁を乗せた。この木が花を咲かせた記録はない。きっといずれ訪れる最後の為に、誰かがこんなふうに設定したのだろう。僕からはもう見えないけれど、カイユを除いた99人の国民はきっと今頃全員その仕事の手を止めて空を見上げ、この花が世界を満たすのを眺めているだろう。そしてまもなく毒がこの世界を覆いつくす。
Fin
-ユフの方舟シリーズ紹介
西暦2182年。ユフという名の小さな隕石が落下し、地球に毒が振りまかれた。そこから世界の様相は大きく変わった。だからユフが落下してきた年はユフ歴0年と呼ばれている。
その大きすぎる変革に人々は様々な方法で対処しようとしていた。
これはその中のある国のお話。
前日譚
