十日間の関係 第8話 5日目 5日前と違う人(前半全17話)前半連載中
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第8話 5日目 5日前と違う人
「……言いづらいなら無理に話さなくてもいいですよ」
樺島は迷うように視線を彷徨わせた。観察されているように感じる。なんとなく、その視線にお互いのちょうどいい距離感が侵食されている気がする。いつもは、そういつもの樺島の視線はとりたてて俺を眺めるということはなかった。樺島との距離感で、初めて不快感が沸き起こる。
「俺はいままでの関係が良いんです。重い話ならパスさせてください」
けれどこの話を聞かなければ、きっと樺島の言うように、この話もいつもの日常に紛れてしまうんだろうとも思う。きっと、そのうち、樺島と寝ることのない毎日に戻って。ふと、自分の手を見つめた。そういえば誰かの手を握ることができたのなんで、いつぶりだろう。
樺島の手は嫌じゃなかった。その温度も。
他人に体を触れられたくない。面倒な事態を引き起こすことが多いからだ。話をする分には何も問題ない。それは普通のことだし、空間が俺を守る。けれど他人に触れることは気が引けた。
人間関係が発展すること、変化すること。それが苦手だ。だからそんな可能性があるだいたいの出来事を忌避していた。例えばプライベートで誰かと何処かに出かけたり、手を繋いだり、キスをしたり、それからお互いに深い話をする。どう転んでもその話を受け止められない。結局、それらは経験上、良い結果を産まなかった。だからその先をあまり、聞きたくない。
けれど樺島の手のひらは温かかった。人間の手って温かいんだなとふと思いだして、これまでその温かさというもの自体を気持ち悪く感じていたことを思い知る。
樺島と手を繋がなくなる。それならそれで別にいい。けど、スキンシップは過剰でも、樺島の視線の温度は変化しなかった。今だってただ、俺が嫌かどうかを測っているだけ、に思える。だから樺島が何か重大なことを話したとしてもひょっとしたら、平気かもしれない。思い返しても樺島から何かを求められたことはない。今だって、聞きたくないと言えば話をしない、はずだ。
「わかった。じゃあ」
「でももし、先生が話したいなら聞きますよ」
聞くだけなら。きっとそれは嫌なことじゃない。なんとなくそう思った。樺島は相変わらずじっと俺を見つめ、そして話し始めた。
「僕は5日後に復調するけれど、多分また死ぬと思う」
そう思っていたはずなのに、その内容は理解できなかった。死ぬ?
それはもう遠ざかったことのはずだ。今日だって、いつも通り、きっと。
「な、なんで?」
「また、絵がかけなくなるから。5日前、樺島成彰は絵が描けなくなったから、死んだんだよ」
それはなんとなく、わかってた。けど描けるようになったんじゃないのか?
「……ちょっと、言ってることがわからないです。それは冗談か何か?」
樺島は真面目な顔で俺を見て、そして首を横にふる。確かに冗談を言っている空気じゃない。けど言ってることがメチャクチャだ。樺島が死ぬ。それは確かに5日前には有りえた。
もとに戻るということは、回復するという意味ではなく純粋に死ぬ前に戻る、ということなのか? 死に向かっていた樺島に戻るということ?
けれどもスランプは脱したのでは? 描けなくなったから死んだなら、また描けなくなれば死ぬ?
あの夜見たメモが急に思い浮かぶ。
急に空気が薄くなった気がした。上手く頭が働かない。まるで俺まであの日に戻ったかのように。
樺島は再び目を閉じて、何かを決断したように背筋をまっすぐ伸ばす。そういえば樺島はいつも猫背気味だったことを思い出す。樺島が目を開くと同時に、空気がすうと冷えていく気がした。俺を見つめる樺島の瞳は冷たくはなかったけれどどこか平板で、今、丁度5分前とも何かが決定的に違うように感じた。
「信じてもらえるかわかりませんが、私は樺島成彰ではありません。そして私は樺島成彰にとっての禁忌を犯しました」
突然の口調の変化に混乱する。
「私? 何。それは……どういう意味ですか?」
その声は淡々として、温度を持っていなかった。
「樺島成彰が5日前に海で溺れて死んだ時、つまり生命維持機能の喪失が確実になった時、私の意識は生まれました。樺島成彰はもともと精神に問題があり、その精神に何か問題が生じた場合は補助的な人格を作るよう、暗示が施されています」
「あ、暗示? なんの……冗談」
冗談の空気はまるでない。けど。ちょっと何を言っているのかわからない。その言葉の、日本語的な意味を必死で考える。
「えと、あなたは先生じゃ、ないんですか」
「今の私は厳密にはあなたの知る樺島成彰ではありません。樺島成彰の意識が途絶えた時、生まれた人格です。私は樺島成彰を再生しようとしました」
「先生、やはり一度病院で検査したほうが……」
「樺島成彰は認識と記憶がとても近い人間でした。私が初めてあなたに会った時、樺島成彰の記憶を探り、あなたをその認識の中で呼び慣れていた樹と呼びました」
呼び慣れていた? そんなはずはない。樺島に樹と呼ばれたことはない。
海。記憶が呼び起こされる。あの海で最初に樺島が発した言葉は確かに樹だった。
「改めて記憶を探してみましたが、樺島成彰が記憶の中であなたを樹と呼んだことはありませんでした。そして一緒に寝たり、キスしたことはありませんでした」
その樺島の口から溢れる音からは、どこか機械じみた単調さを感じる。
「それは、そうですが……さっきも言った通り嫌ではないですよ」
「もともと、樺島成彰を最適化するために一定の期間を設けてそれまでの記憶と行動を把握し、その精神を通常の状態に戻して日常を送れるようにする。私はそのためにいます」
「その……先生が何を言っているのかわかりません」
けれどもその違和感を思い出していた。これは海にいた時の樺島の話し方だ。あの時もこのように丁寧語だった。頭のどこかがチカチカする。
「つまり先生は、先生じゃ、ない?」
「厳密には樺島成彰ではありません。一時的に構築された補助人格です。しかし5日もすれば私の意識は消滅し、もとの樺島成彰に戻ります」
「意味がわからない。じゃああなたは誰なんです。先生の幽霊とか? そうか先生は多重人格とでも?」
樺島はゆるやかに首を振る。樺島とは違うプリセットされたような仕草で。
「先ほど申し上げた通り、私は一時的に生じた人格です」
荒唐無稽な話だ。だから樺島のこの話はきっとなにかのジョークだ。SFじみている。何かあった時に違う人格が、現れて? 樺島は少し、いや、随分変わっていたけれど、二重人格な感じはなかった。けど。樺島はこんなふうな冗談を言う人間じゃない。その話す内容はよくわからないが、確かにこれは樺島ではない。そう感じる。
「それじゃ……5日前から先生は先生じゃないってこと……ですか?」
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UPしたら貼り付けます。
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