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あけぬ夜はなし 第3話 金の工面(明治ファ全19話50000字)連載中

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3.金の工面

「どうした、ぼうとして」
 青山の声に、陽二郎は回想を打ち切った。すでに昨日分の帳簿の確認を終えた青山のやや切れ長の左目が、じっと陽二郎を眺めていた。
「……果たして見請けなど叶うのかと思いまして」
 青山は眉をひそめる。
「そんな弱気でどうする。俺はお前の熱意を前提に金を出したんだよ」
「いえ、けれどもどうにも、見果てぬほど遠いように思われて」
「夢とは掴み取るものだ。もとよりお前の試みは見果てぬ金を積み上げる作業に違いない。それは知ってのことだろう? よもや諦めるつもじゃないだろうな」
 間髪おかず首を横に振る。
「夕霧を諦めるつもりなど毛頭ありません。……諦め切れるものなら、どれほどよいでしょう」
「なら、良い」
 青山は話は終わったとでもいうように、パタリと帳簿を閉じた。
 陽二郎は噂を思い出す。青山自身も遊女に惚れている。新地で一二を争う紫檀楼したんろうの高嶺の花、玉藻たまも花魁。その身請けには夕霧とは比べ物にならない莫大な金子が必要だろう。とても通常の仕事では、話を出すのもおこがましい金額。だから青山は投資という仕事をしているのだろうか。

 青山が陽二郎に破格の金を貸し付けた理由は二つある。一つは帽子屋が儲かる見込みがあるからだ。
 明治四年に散髪脱刀令、同六年に絵姿入りで大礼服制の改正が公布されてより、日の本の正式は洋装着帽となった。それを受けて大量の山高帽が輸入され、大流行した。けれど未だ帽子屋は少なく、高い輸入品か質の悪い安価品ばかりであった。
 馬具屋の二男に生まれた陽二郎は革の扱いに慣れ、また受注生産オーダーメイドで顧客に合う帽子をあつらえる腕とセンスがあった。珈琲店で往来を眺めるうち、日本人の頭は左右に長く西欧人の頭は前後に長いことに気づいたのだ。それ以降、それぞれの人間の頭の形にスマァトに合わせるものだから、日本人にも似合う帽子店として陽二郎の店は繁盛している。

 もう一つの理由は陽二郎に金を稼ぐ明確で強固な意志があることだ。つまり陽二郎には石に齧り付いてでも儲けを出すという気迫があった。
 陽二郎は夕霧の身請金を何としても工面しなければならない。
 けれど身請けにかかる金は莫大だ。果てしない。陽二郎はそれがいつになったとしても、諦めるつもりはさらさらなかった。それほど夕霧に惚れ抜いていた。
 実際のところ、白河屋の黒字は累積し、売上は上々である。けれどもそれは上々に過ぎない。新興店舗としては破格の売上であるけれども、それはただの破格に過ぎない。陽二郎は、その先行きに壁を感じていた。
 登るなだらかな丘の向こうに霧に覆われた遥かな山がそびえ立つ。その全容も定かではない。たどり着きたいと思えども、ままならない。陽二郎はどうやって身請け金を貯めるか、その方法に行き詰まっていた。
 青山が柔らかな光の差し込む杢調の店内を見渡せば、番頭が心配げに陽二郎を見つめていた。
「青山様。白河はそれはもう根を詰めております。多少休みを取られてはといつも申し上げるのですが」
 青山は眇めて陽二郎を見上げた。
「白河君、体調は?」
「問題はございません」
「倒れれば店が回らず、目標は遠ざかるだろう。留意することだ」
 頷く陽二郎を番頭はやはり心配そうに見つめ、それ以上口は開かなかった。

 緊縮に緊縮を重ねればより早く貯められるかもしれない。けれどそもそも、毎晩の廓通いで金がなくなる。夕霧は格子女郎だ。陽二郎が買わなければ他の男が買うかもしれない。そうである以上、陽二郎に通いをやめるつもりはなかった。
 いっそ夕霧の年季明けを待つほうが、そんなことも頭によぎる。女郎として10年勤め上げれば、開放される決まりだから。けれど誰にでも買われる女郎という身分に夕霧を置くこと自体が、嫌で仕方がない。
「ところで今日は商談を持ってきた。神津警察の制服を一新する計画がある。お前、制帽を作らないか」
「制帽、でしょうか」
 青山は白河屋の出資者であり、共同経営者だ。定期的に帳簿を確認し、さまざまな提案をしていく。必ずしも従う必要はないが、多くの場合にその指摘は有用だ。陽二郎の瞳に光が灯る。
「ああ。山辺やまべ洋装店が制服を作るから、お前は制帽を作れ。だいたいの参加者は制帽も制服も同じ業者が作るようだが、分けても支障はあるまい。お前は山辺とも親しいのだろう?」

 山辺宇吉うきちは陽二郎と同年輩で、陽二郎より少し前に青山の手引でこの新興区に洋装店を構えた男だ。同じ商店会に所属しているが、誰とも親しくしていないように見えた。その宇吉と親しいかと言われると困惑が勝つ。
「さほど親しいわけでは……」
「採用されれば一度に何百という注文が入るぞ。加えて毎年一定数がな。官が相手だから値引きの必要もあるまい。お前の身請けも少しは現実味を帯びるだろう」
 陽二郎は青山が説明する利益に目を見張った。霧が晴れた心持ちだ。
 現実味どころではない。陽二郎が頭の中で軽く試算をしてみても、その仕事がもたらす金は莫大だ。その金であれば、夕霧を見受けできるかもしれない。その期待に陽二郎の胸は高まった。けれども同時に夕霧の儚げな表情が胸に浮かぶ。
 青山の引き合わせで改めて顔を合わせた宇吉は商店会で会うのとは異なり、陽二郎の目には思いのほか情熱的な人間に映った。自身より制服採用に向けての気概が漲っていると感じるほどだ。聞けば宇吉の思い人も遊女なのだそうだ。何としても選ばれて、見請金を貯めるのだと息巻いていた。
 それが陽二郎にはなにやらやけに、眩しく思えた。

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