あけぬ夜はなし 第1話 序 泡沫(明治ファ全19話50000字)完結
[HL:主さん、わっちは主さんをお慕いしておりんす。けれど]
次作アンケートで特にご希望ありませんので、明治時代のホラーみのある恋愛を持ってきました。前の食レポの旅は明るすぎたので、静かに底なし沼に埋まってくような薄暗いやつです。時代柄不適切な表現がありますが、ご了承ください。細かい考証は適当です。基本的なところでは異種婚姻譚なので、苦手ジャンルの人は駄目だと思います。
12話目はR12程度にグロと認識。
あらすじ
明治十五年。
陽二郎は幽凪屋の女郎夕霧に一目惚れをした。けれど幽凪屋にいるのはおよそ人に見えぬ女郎ばかりで化物楼と呼ばれている。そのなかで美しい夕霧はひときわ輝いて見えた。
会うごとに思いが募り、陽二郎は夕霧を唯一の女と定めていつしか身請けを志す。商売を始め、夕霧が喜ぶと思ってそれを口に出した時、予想外にも夕霧はその申し出に難色を示す。
第一話 序 泡沫
「主さん、どうされなんし?」
闇の中から艷やかな声が空気を震わせた。
「いつも朝になる」
「そうおすな」
「いつか身請けしてやると言ったが、いつになるかわからない」
言葉の前半に込めた陽二郎の決意は変わらない。けれども後半の不確かさは最近とみに、黒雲のようにその心に重く堆積している。まるで、藻掻くようだ。毎夜、毎晩。
「主さん、わっちはかまいんせん。また来てくんなんし」
対する夕霧の声は、わずかな安堵を滲ませていた。
そろそろ夜明けだ。
この夕霧の部屋は一等奥まり窓も何もなく、未だただ、闇の中にある。けれどまだ見えぬ朝の訪れは、楼全体のざわめきからも感じ取れた。陽二郎が着物を羽織れば袖は夜露で濡れ、肩にしっとり重く張り付く。そうして夕霧が行燈を灯せば部屋にも光が訪れる。
ああ、この夜もこれで終わりだ。夜など明けねばよい。朝など来ねばよい。
そのように思っていることが、灯りに揺れる陽二郎の表情からありありと見てとれた。
「夜が明けぬようになりんしたら、それが最後でありんすえ」
陽二郎はこの朝の訪れを心底憎んでいた。けれども夕霧はそれが定めとでもいうように、淡く微笑んでいる。
客は夜明けと同時に大門から出る決まりだ。
だから夜明け前に身支度を整える。もうすぐ朝の尖兵、この妓楼の妓夫が、朝を知らせに来る。そうしてこの部屋を追い出される。褥をともにした夕霧は、この神津新地の中見世、幽凪屋の遊女だ。だからこの別れは、夕霧がここにとらわれている限りは如何ともし難い。決まりだ。
それが嫌なら、身請けをすれば良い。けれども目も眩むような大金が必要だ。果てしなく遠い。
夕霧はいつも幽凪屋の大階段の上までは見送りに来るが、夜明けを恐れるようにそこから先は出てこない。
「夕霧、名残惜しいな」
「東雲の朗ら朗らと明けゆけば、おのが後朝なるぞ悲しき。古来よりそう言いしんす」
「俺も悲しいよ。身が千切れるように。今晩も来る」
「あい。お待ちしておりんす」
夕霧は静かに頭を下げた。陽二郎は微笑みを努めて夕霧を見上げる。その心中は心臓が握りつぶされるように痛む。夕霧はもはや自身の一部としか思われなかったから。丁度、明け六ツの鐘が鳴る。この夢と現し世を隔てる大門が開く時間だ。
客は次々と追い立てられ、慌ただしく朝靄の中に消えていく。毎日の光景なれど、そこに交々の別れの風情が溢れている。一夜の夢から覚めて現実へと戻っていく出立だ。
けれども自分と夕霧は違う。楼の中も外も等しく、いや、この楼の中こそが自分の現実なのだ。必ず身請けをする。そう心に決めて、陽二郎は確かな足取りで朝靄の中に一歩を踏み出した。
そのように明治十五年秋の新しい一日が始まった。
注:東雲の~、は古今和歌集のよみひとしらずの歌です。
2話目以降のリンク
序 泡沫(1)
一章 朝の幽き(2~5)
二章 昼の仮初(6~10)
三章 夕の朧(11~14)
四章 夜の待ちたる(15~18)
終 可惜夜
主な登場人物
白河陽二郎:帽子白河屋を営む。
夕霧:幽凪屋の女郎。
幽凪晴夜:幽凪屋の楼主。
山辺宇吉:山辺洋装店を営む。
青山龍一:投資家。白河屋と山辺洋装店に出資している。
玉藻:紫檀楼の花魁。青山の思い人。
表紙
夕霧と陽二郎

おまけのたつさんと玉藻花魁

地図
いつもの現代版の神津地図。そのうち明治ごろのも作りたいんだけど手が回りません。
★観光ガイド
神津新地:明治に入り、神津一帯の遊郭を集めて作られた官製の遊郭街。

同じ世界観の話
この話に陰陽師はでてきませんが、夕凪晴夜は↓のシリーズとそれ以外にもうろうろしています。
