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あけぬ夜はなし 第7話 見た目の問題(明治ファ全19話50000字)連載中

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7.見た目の問題

 幽凪屋の広間には誰もおらず、しばらく待てば番頭が顔を出し、夕霧の準備ができたと告げる。二階に上がれば、いつもどおりの夕霧が陽二郎を出迎えた。
「夕霧、先ほど楼主殿が格子の内に入っていたが、よくあることなのか?」
「……そうでありんすね。いつもではありんせんが、三月に一度ほど入られんす」
「あそこで何を?」
「何、といわれんしても、ただ三味線を弾かれたり、わっちどもと話をするのでありんす。幽凪屋はあまりお客もおりんせんから、広間にいても暇なのだと仰っしゃられんす」

 暇。暇といわれれば陽二郎も思い当たる。
 通常の遊女屋であれば多くの客が入り混み合うことも日常だ。けれどもここでは自分の他に客を見かけたことはない。よく見かけるのは楼主と番頭、二人ほどの妓夫だけで、花車領主の奥方遣り手監督女も見たことはない。番頭か妓夫のどちらかが入り口にいるだけのことも多い。一体どのようにして経営を成り立たせているのだろうか。陽二郎は自らも帽子店を営むからこそ、その金回りは気になっていた。
 そもそもこの幽凪屋は通常の遊郭と異なる部分も多い。遊女は全て個室を持ち、そこで客を取る。通常の遊女屋のように大部屋などもない。だから一人で一度に多くの客を取ることもない。それも破格のことだろう。酷い遊女屋では安い金で一晩で十人を超える客を取らされるとも聞く。だから確かに、そこらの遊女屋よりこの幽凪屋はよほど待遇はいい。夕霧の親は幽凪屋の待遇を知って、この店の前に夕霧を捨てたのかも知れない。
 陽二郎は夕霧の射干玉ぬばたまのように美しい黒髪をかきあげながらその白いうなじに口づけた。やはり美しく、その体を引き寄せてもどこにも不具など感じられなかった。

「夕霧、ここの暮らしが好きなのか?」
「主さん?」
 夕霧は不思議そうに陽二郎を見つめる。
「物心つく前にここに捨てられたのであれば、お前は外の世界を知らぬだろう? 外に行ってみたくはならぬか」
「いつも主さんから聞いておりんすから」
 夕霧ははにかむように微笑み、陽二郎の胸に頬を寄せた。
「百聞は一見に如かずという。いくら耳で聞いても目で見れば、その世界は全く異なる。世の中はこの新地だけではない」
「主さんのおっしゃる通りでありんす。けれど、やはりわっちの家はこの幽凪屋でござんす。よくよく考えんしたが、主さんの身請けはお受けできんせん」
 待ち望んでいたはずの返答は、やはりきっぱりとした拒絶だった。夕霧は酷くもの惜しそうに、そして寂しげに微笑んだ。
「何故だ、せめて理由を教えてほしい。何か果たすべき問題があるなら俺も尽力しよう」
「……主さんをお慕いしておりんす。それゆえ、わっちはこの家を出てはいかれんせん」

 陽二郎が覗き込んだ夕霧の瞳は強い憂いを湛えてはいたが、静かな諦めに澄み切っていた。理由が明かされぬ以上、陽二郎には最早どうしていいかわからなかった。全く進まぬその柔らかい拒絶に、陽二郎はほとほと困り果てていた。けれどもそのように先が見えぬままでも時間は過ぎ、陽二郎の生活は続いていく。
 つまり、朝に幽凪屋で目覚めて喫茶凱旋で朝食を取り、午前は白河屋での仕事を整えて七つ下がり午後4時過ぎに白河屋か宇吉の店に仕事を持ち込み打ち合わせ、その後に銭湯によってから幽凪屋に向かう。
 夕飯は予め連絡をしておけば幽凪屋に用意してもらい夕霧と取ることもできた。そして金はかかるとはいえ出前も出来、幽凪屋で用意した飯は仕出しほど豪勢ではないものの、まともに美味いのに値段はその辺の定食屋より少し高いくらいに止まっている。
 よく考えればこの対応も破格だ。そして改めて考えれば幽凪屋では全ての遊女が部屋を持つとはいえ、部屋持ち女郎にしては夕霧の値は破格に安かった。

 夕霧に聞けば、陽二郎が夕霧を買うようになる以前も、幽凪屋の飯は同じようなものが出ていたらしい。通常の遊女屋の遊女はろくに出ないにもかかわらずその飯代として高い借金を負わされる。終わりのない借金に使い捨ての扱いだからこそ遊女の暮らしは苦海と評され、地獄のような生活の中で、多くの若くして命を散らすのが常だ。
 けれどもこの幽凪屋の暮らしはおそらく、この新地を出られないことを除けば、そして客をとらねばならぬことを除けば、市井の暮らしより上等だ。だから夕霧はここを出たがらないのだろうか。

 陽二郎は再度自らの生活を振り返る。
 朝にこの幽凪屋を出て働き、幽凪屋に帰って夕霧と食事をして夜を過ごす。身請けしたとしても、その暮らしは寝床を幽凪屋から自身の家に変えただけで、それほど変わるものではないのかもしれない。
 夕霧が日にあたれぬという病を持つならば、自宅を訪れる客の対応もできぬだろう。それならば夕霧をただ家に置くよりは、この幽凪屋に置いておくほうが夕霧にとって快いのかも知れぬ。夕霧の考えはこのようなものだろうかと陽二郎は考えた。
 年季が明けて幽凪屋を出るまで、自身が毎日夕霧を買い続けるのなら、それは通常の夫婦とさほど変わらないのかも知れないと。

 けれど陽二郎には許せないことが二つある。
 一つは夕霧が他の男に買われる可能性が拭えないことだ。これは決して許せない。陽二郎にとって、夕霧は既に一生を添い遂げるべき妻だった。夕霧がいない人生など考えられないと思うほどには、その思いは強かった。だから当然、身代が傾いても通い続けるつもりはある。
 けれども問題はもう一つだ。それは先夜、夕霧が格子の中にいる姿に改めて自覚したことだ。夕霧が、つまり自分の好いた人間が『化物楼の遊女』として扱われていることが許せなくなっていた。
「わっちらは家族でありんすから、七つ下がりに一緒に夕餉を食べるのでありんす。今は主さんをお待ちしんすから今のようにこの部屋で取りんすが、もし主さんが来られんでも後で簡単な食事を作ってくれんす」
 客、つまり俺がいなければ、飯は一階の奥の食堂で皆で取るという。風呂も幽凪屋内で皆で交代で入るという。この幽凪屋では女は身を売り、男はその他のすべての用事を整える。それは形は通常とは異なれど、あたかも一つの家族のように動いていた。そして自身は蚊帳の外にいる。外からくるただの客。
 確かに幽凪屋の待遇は良いのだろう。
 けれども陽二郎にとって夕霧は特別だった。なのに夕霧はこの幽凪屋では、他の女郎と同じように、ここにいる限り他人からは化け物として扱われるのだ。最愛の人がそのように見られること、それが酷く不快だった。

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