あけぬ夜はなし 第8話 奇形、病持ち、そして化物(明治ファ全19話50000字)連載中
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8.奇形、病持ち、そして化物
翌朝、青山は帳簿に目を落としたまま誰へともなくという風情で呟いた。
「幽凪屋は化物楼だ。だからあそこにいるのは化物だ。その化物には奇形、病持ち、そして化物が含まれる」
「はい?」
陽二郎は青山のその一括りの言葉に少しの反発と、混乱を覚えた。
「陽二郎、化物はこの世に存在すると思うか?」
「えぇ。その中から夕霧を救いたいのです」
青山は陽二郎の答えに、僅かに息を吐いた。
一方の陽二郎は青山の奇妙な言葉を咀嚼しようとした。
化物。陽二郎にとって、化物というなら、あの格子の内には化物しかいない。鱗の生えた人間、3メートルはあろうかという女。一つの腰から二つの体が生えた女。この世のものとも思えないそれらの存在が、夕霧と親しく語らっている。そしてそれらが夕霧の家族として扱われている。そんなはずがない。夕霧と他の化物たちが同じであるはずがない。陽二郎にとって夕霧は妻であり、特別な女だ。これまでそのように生きてこざるを得なかったとしても、夕霧はあの格子の内で嘲笑をうけるべき女ではない。
改めて思い浮かべた昨夜の格子の内側は何故だか既に身震いがするほど恐ろしく、不愉快だった。
「陽二郎、幽凪屋は幽凪晴夜の囲う見せ物小屋だ。あの妓楼の経営というのは奇妙でな。楼主の身売りで成り立っている」
「楼主の身売り、ですか?」
思いもしなかったその言葉に、陽二郎はぽかんと口を開けた。
「ああ。幽凪屋の遊女のほとんどは知らんのだろうが、幽凪屋の楼主もまた、他の遊女と同じく化物なのだ。そして極たまにそれを極めて高値で買う客がいる。そういう客のために、買われてもよい日は楼主も格子に入り、その合図にすががきに興じる」
「先日確かに格子に入っておりましたが……」
そして夕霧や他の連中と話をしていた。
思えばあの夜に響く三味線の音色は一線を画す名人芸の域にあったと思う。確かに合図にもなる腕前だ。
「楼主が買われる夜は、花魁も含めた新地の全ての遊女が一晩買えるほどの大金が動くらしい。だから極論を言えば、幽凪屋の遊女の上がりなど幽凪殿にとって何の意味もない」
「そう、なのですか?」
陽二郎は困惑しながら幽凪を思い浮かべた。確かに整った顔をしているが、それほど価値があるとは感じられなかった。いや、それをいえば幽凪屋の夕霧以外の遊女を買うのは正気の沙汰ではないように思われた。それに比べればというところはあるが、それにしても物腰の柔らかな華奢な男にしか思えない。つくづくあの妓楼は通常とは異なる価値観で動いているのだと思い直す。
「だから本来、幽凪屋は経営としては幽凪晴夜一人がいれば成り立つ。けれどもあいつは似た境遇の者を拾って身を売らせている。俺の知り合いで幽凪晴夜と仲のいい楼主がいてな。昔、何故化物ばかり集めるのかと聞いたそうだ。化物でも他の遊女と同じように普通に身を売れるからだと答えたらしい。売れるのだから、売らせている。実際のところ、幽凪殿にとっては遊女が売れても売れなくても、どちらでもよいのだろう」
「普通に身を売れるから?」
青山は静かに頷く。
「ああ。幽凪晴夜は化物を普通の遊女と同じように扱うというだけだ。だから身請金も相場を提示する。幽凪屋で売ればどんな女でも多少の値はつく」
その意味内容は陽二郎には確とはわからなかった。つまり幽凪屋は他のどの楼でも買わない女の受け皿になっているということだろうか。最下層の遊女の扱いはことさら酷く、家畜のほうがましだとも聞く。夕霧から聞く幽凪屋の暮らしは、陽二郎の耳にも並の市井のものより上等に感じた。
「お伺いするところでは人品に欠けるような御仁には思われませんが。むしろ」
青山は帳簿を閉じて陽二郎に返し、左右を見回す。昼四つの白河屋の店内は明るく、二人ほどの客が番頭と話をしていた。青山はわずかに声を潜める。
「お前は宇吉に夕霧を身請けせずに年季明けを待とうかと、そう言ったそうだな」
「はい。夕霧が身請けを了承しない以上、他に方法が浮かびません。駄目でしょうか」
「幽凪屋には年季明けという概念がない」
「ない……? どういうことです?」
通常、遊女は十七、八ほどから客を取り始め、十年働けば借金が帳消しとなって遊女屋を出られる決まりではないか。遊女はそれを頼りに生きている。願いが叶わずその前に命を散らす者が大半であっても。借金は雪だるま式に増え続け、身請けというごく僅かな例外を除き、それ以外ないのだ。
「幽凪屋の遊女は幽凪屋を出れば生きてはいけん」
改めて、あの化物たちの姿を思い浮かべる。そしてその事実にはっとする。
格子の内でいるからこそ、笑って見ていられるのだ。往来を歩けば真実化物として打ち殺されても誰も何も言わないだろう。確かに見世物小屋でもなければ生きてはいかれぬだろうとも感じた。化物はそのような場所にいなければ真実化物なのだ。
「しかし、年季あけというのは新地を作るにあたってお上が定めた規則なのではないですか?」
「ああ。新地ではいくつかの基本的なルールがある」
青山が述べるルールとは、このようなものだ。
単純な遊女の扱いについては、年季明け、遊女にきちんと飯を食わせることが定められている。
遊女屋の営業については、遊女に新地内の銭湯を利用させて遊女を清潔に保つこと、定期的に駆黴院で瘡や淋の有無を検査し、発見されれば治療を行うことが定められている。
新地については、遊女は大門の外に出られず、大門が閉まっている間は基本的には誰も出入りが出来ぬことが定められている。
それは陽二郎にとっても既知で、当然のように思われた。
「他にも色々とあるが、幽凪屋はそれらの決まり事は、新地に関すること以外は免除されている。何故ならこれらの定めは基本的に遊女を守るためにある。幽凪屋は遊女の扱いについて自前で破格の待遇を確保しているし、医者や風呂も自前で用意している。銭湯や駆黴院につれていけば騒ぎが起こる。だから官憲も見逃している」
確かに銭湯にあの化物どもが押し寄せれば大騒ぎになるだろう。それに駆黴院は通常の病を診るものだ。幽凪屋の遊女は特殊すぎて、診察以前の問題があるのだろう。だから医者については定期的に幽凪屋が呼んで診せているらしい。
病。そうだ病だ。
夕霧が身請けを了承しないのは医者の問題もあるのかもしれない。日に当たれないのであれば、それは特殊な病だろう。それを扱える医者が必要だ。
「医者を紹介して貰えれば身請けに応じてもらえるでしょうか」
「そういう問題でもないな。そうだな、今夕、桔梗屋に来い。ここでは憚りがある」
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