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あけぬ夜はなし 第9話 お前は化物なのだろう?(明治ファ全19話50000字)連載中

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9.お前は化物なのだろう?

 その日の夕焼けは殊更美しかった。
 わずかな筋雲がたなびく他は、憂いをはらむ未だ明るい青が地に近づくにつれて次第に赤みを増して層をなし、一面が綺麗なグラデーションを描く。夜が昼を段階的に静かに昏きに沈めている。陽二郎は店を早仕舞いし、その暮れの中を思い詰めたような風情で新地に向かって歩いていた。
 賑やかな振興区を抜ければ旧来の古びた街並みが続き、奥の民家や長屋からは生活の音が響き始めている。そこを過ぎて暫く歩けば小龍川おたきがわに行きあたり、川に沿って大回りに歩いて行けば揚屋が集まる新地の大門前にたどり着く。このあたりは新地ができた時に行政が新しく整えた地域だ。この神津各所に散らばっていた揚屋や遊女屋を集めて官製で囲ったのだ。だからその新地を囲う未だ白いその外壁が、傾きかけた陽を美しく照り返していた。
 桔梗屋の暖簾を潜ればランプが真昼のように煌々ときらめていている。太陽は未だ地平の上に浮かんでいたが、このあたりは既に夜を装い始めていた。

「夕霧の問題とは何なのでしょう」
「単刀直入だな。まあまずは好きに飲み食いするがいい」
 桔梗屋の二階では青山は既に上着を脱ぎ、首元をくつろげていた。次々と酒食が運ばれてくる。それは上等なものだったろうけれど、陽二郎の興味は夕霧のことだけだ。青山は昼とは異なり気怠げに陽二郎を眺め、小さな乾蒸餅ビスケットを口に放り込む。
「幽凪殿には夕霧のことを何と聞いている?」
「日に当たれぬとのみです。だから大門まで見送れないと」
「化物であることは?」
「化物、でしょうか」
 陽二郎は眉間に皺を寄せた。確かに化物楼にいる以上、化物と呼ばれても仕方がないのかもしれない。けれども陽二郎は夕霧が、妻に等しい人が侮辱されるのは許せなかった。ふつふつと滾る憤りをなんとか抑えようとする陽二郎の瞳を真っ直ぐ見すえ、青山は続ける。
「お前は夕霧を化物と呼ばれるのが嫌なのだな」
「勿論です」
「何故だ。あの遊女屋は化物楼と呼ばれているぞ」
「何故なら夕霧は化物ではないからです」
「ではお前にとって、夕霧以外は病者ではなく化物なのか」
「病者?」
 陽二郎は青山の感情の乗らない言葉につまる。

 陽二郎は深く考えていなかった。
 化物がいるから化物楼。無意識にそう一緒くたに考えていたことに思い至り、夕霧が化物ではない理由を改めて探し始める。
 鼻が落ち、痘痕だらけの者は病だろう。瘡になればそのようになると聞く。上半身だけの女は奇形なのだろう。生まれた時から四肢や体の一部がない者は陽二郎の周りにもいた。また成長しなくなる病があるとも聞くから、小人の女もそのようなものかもしれぬ。
 けれども人は鱗が生えたり、体が二つにわかれたりはしないだろう。だからあの女どもは化物だ。
「全てとは言いません」
「化物と化物でない者とは、お前の中で何が異なるのだ」
「化物と? そんなものは明確です。化物とは人ではない者でしょう。例えば人に鱗は生えません」
「さて、どうだかね。世には皮膚が乾燥して鱗のようにひび割れる病があるそうだ。たむしの一種だそうだね。生まれつき目が一つであったり口が裂けている病もあるらしいな。そういう存在は人から稀に生まれるそうだよ」

 確かに鱗の女をまじまじと見たことがない。鱗のようにひび割れたというなら、あれは病だというのか?
「人から……?」
「人から生まれたものは人ではないのかね?」
 そういわれて陽二郎は困惑する。陽二郎にとってその女たちの様子は蛇女とか1つ目小僧とか、そういった妖怪の類、つまり化物の持ちうる兆候なのだ。
 けれどもあの姿が病だというのか? 人から生まれるのであれば、それは人なのだろうか。
「それでは一つの体から二人の人間が生えた者はどうなのです。妖怪でも聞きません」
「さて、俺は医者ではないからね。けれども異人から聞いたことがあるが、腰や胸の一部が結合して生まれる者というのは昔から人から極稀に人から生まれるものらしい。大抵はすぐ死ぬが、結合したそれぞれは普通の人間と変わらぬそうだよ。腰から下が一つというものは聞いたことはないが、それも将来、何らかの病となり、治療の方法がわかるのかもしれない」

 病となり? 治療の方法?
 腰から下がもう一組増えるとでもいうのだろうか。
 陽二郎は青山が言うことを理解しかねた。それでも再び思考を始める。陽二郎はどうしても夕霧とあの化物たちを区別したかった。
「俺の知り合いの陰陽師は、化物や神秘というものは、そのうちそれが何だかすっかり解明されてただの何でもないものに成り果ててしまうと言う。けれども俺は、少なくとも俺が生きている間はそうはならんと思うがね」
 なるほど、認識としては納得しかねるが、仮にあの格子のうちにいる者が化物ではなく不幸な病であるとする。化物ではないのに化物と呼ばれるのであればそれは憐れなことなのかもしれない。心は夕霧と同じとは認められないが、やや冷静を保った頭はその可能性を認識し始める。
 けれどもそれが夕霧の身請けとなんの関係があるというのだろう。青山の話が正しかったとしても、それはあの遊女らが日に当たれぬ夕霧と同じ立場であるというだけであって、夕霧の身請けができぬことと何か関わりがあるのだろうか。
「青山さん。話がよく読めないのですが」
「幽凪屋の遊女のほとんどは病によってあのような姿を得ている。けれどもそうでない者もいる。例えば幽凪晴夜もその一人だ」
「楼主殿が?」

 青山が欄干を指させば、そこには瑠璃色の美しい鳥が僅かに首を傾げて止まっていた。この近辺では見ない鳥だ。そう思って目を止めていればふわりと羽ばたき、外套を脱ぐかのように美しい羽を脱ぎ去ってその内側から30センチほどの身丈の幽凪晴夜が現れた。腰を抜かさんばかりの陽二郎の前をゆっくりと歩き、青山の前の陶磁の盃にのった干した葡萄を摘む。
「幽凪殿。お越しになられたということは、玉藻から金を受け取ったのだろう?」
「いいえ。玉藻太夫は朋輩ですから、興味本位でその御内儀のご機嫌伺いに来ただけです。けれども白河様がいらっしゃるとは騙された気分ですね」
 そう告げて小さな幽凪が振り返るのを、陽二郎は何度も目をこすりながら確かめた。
「玉藻は何も言わなかったのか」
「ええ。お話になる前にお断りしましたから」
「それならば玉藻に責はない」
「なるほど、そうとも言えましょう」
「あの、あなたは」
 思わず声をあげた陽二郎に小さな幽凪はにこりと微笑む。
「白河様、これは幻術の類ですからお気になさらぬよう」
「幻、術?」
「ええ、私は現在も幽凪屋におりますので」
「幽凪屋、に?」
「ええその通り。楼主というものは遊女屋が開けば広間にいるものですよ」
 そのように呟く幽凪は、手元の葡萄を引きちぎり、口に入れた。陽二郎には、確かにその葡萄は目の前から消失したように見えた。
「夕霧太夫は化物なのだろう?」
「……白河様に申し上げた通りですよ」

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