あけぬ夜はなし 第10話 瑠璃の鳥とおいり菓子(明治ファ全19話50000字)連載中
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10.瑠璃の鳥とおいり菓子
「何と告げたんだ?」
「夕霧の不具は日に当たれぬこと。他は人とかわりません。ですからお泊まり頂いても、夕霧は大階段までしかお見送りできません。違いましょうか、白河様」
「い、いえ、その通りです」
突然に向けられた静かな質問に、陽二郎は思わず慌てた。
「御内儀。私はこれ以上、白河様に夕霧のことを申し上げるつもりはございません。それはお二人で話し合う筋合いのことです。御内儀であればお分かりいただけると思いますが?」
「ふん。それはそれで正しいのだろう。お越し頂き誠に申し訳ない。金子は受け取ってくれ」
「いいえ。ご要望にはお答えできそうにありませんし、この度は私も興味本位でお伺いしたものですから貸し借りなしです。足代としてお菓子を頂戴してお仕舞に致しましょう」
そう告げると、幽凪は窓辺に戻って脱ぎ捨てた羽を拾い上げて纏い、鳥の頭を被ってくるりと回ると既に美しい瑠璃色の鳥の姿に化わり、ふわりと離陸して本物の鳥のようにくるりと二人の頭の上を羽ばたいてその二本の鉤爪で器用においり菓子の袋を一つ引っ掛けて窓から飛び去った。
その間、陽二郎はただ、あっけに取られるばかりだった。
「青山様、今のは幻覚か何かなのでしょうか」
「あれこそが化物の仕業だ。人は鳥に変化し空を飛ぶことはない」
「けれども幻術と言っていました」
「将来その絡繰がわかるのかもしれないが、少なくとも幽凪殿は現在時点において他覚的自覚的に化物の所業を行っているのだから、化物と言われても否定しないだろう」
陽二郎の頭は未だ混乱していた。
自覚的に? 自覚に行えば化物になるのだろうか。
思い返して、そもそも何故青山は幽凪を呼んだのだろうという疑問がぷかりと浮かぶ。幽凪がもたらした情報に新しいものはないはずだ。
「夕霧の年齢は知っているか?」
「いえ、ですが二十そこそこでしょう」
「少なくとも五十は超えている」
陽二郎はあっけにとられたが、青山の表情に揶揄いは浮かばない。
「そんな馬鹿な。夕霧は幽凪屋の前に捨てられていて……」
「それはどの幽凪屋の話だ?」
そこで陽二郎は再び混乱した。
神津新地は七、八年ほど前に官製で整えられた遊郭街だ。とすれば夕霧が物心つく前に捨てられたというのは、この新地でのことではないのだろう。この遊郭街はもともと神津にあった遊女屋を集めたものと聞く。
青山が調べたところでは、元々の幽凪屋は和早山の麓あたりでひっそりと営業していたのだそうだ。今とは違う寂れた侘しい場所だったそうだ。そして少なくとも40年ほど前からは、夕霧はその格子の内に座っていたそうだ。
今度こそ陽二郎は絶句した。時系列的に、少なくともこの新地に捨てられたのではないことは理解したが、あの夕霧の張りのある肌はとても五十とは思えない。
「そんな、馬鹿な」
「夕霧は人ではない」
「いえ、そんなはずはありません。仮に五十であっだとしても、それはただ、若く見えるだけでありましょう」
「先程幽凪は夕霧を『他人』とではなく『人』と代わりないと言った。それは人ではない存在と比べる言だ」
「言葉の綾ではないのですか」
ふいに歓声があがり、太鼓が打ち鳴らされる音がした。もうすぐ玉藻太夫の道中が始まる。そう思って外を見れば、空は既に深い群青色に染まっていた。
青山もゆっくりと窓の外を眺め、その顔は淡く藍色に染まった。
「玉藻も人ではない」
「はい?」
「俺は玉藻が化物かどうかなど気にはしないが、化物であることは否定し難い。否定しようとも思わない。だから幽凪殿は俺であればわかると言ったのだろう。人の身で化物と添い遂げるのは通常の身請けと異なる様々な検討事項があるからな。それでお前は夕霧が化物であれば、身請けは取りやめるのか? 仮にそうだとしても今まで通りであるならば、支援は継続しよう」
陽二郎を見つめる青山の瞳は、気怠げなところを除けば常と何も変わらなかった。
その夜。
美しい玉藻大夫の道中を横目で見ながらその傍の歩道を通り過ぎる。行き交う一瞬、僅かに大夫と目が合った。その表情は氷のように全く動かぬままだ。花魁は特別だ。現世とは隔絶した高嶺の花だ。この現世のことなど一切気にかけることすらなく、澄ましきったまま往来を練り歩く。
狐の柄の豪奢な打ち掛けを羽織る玉藻大夫は、この世のものとも思えぬほど美しかった。全ての空気と全ての色を従えるようなその行程は、たしかに化物じみた美しさともいえる。さりとて陽二郎にとっては真の意味での化物とは思えなかった。
「化物とは、何だ」
陽二郎は気づかずそう漏らしていた。
幽凪屋の格子に回ればたくさんの異形が蠢いている。改めてよくみれば一人一人異なり、それぞれに確かに表情があり、それぞれに何かを考えているように見える。
これが病だと言うのか。
陽二郎にはどこまでが病で、どこからが化物かはよくわからなかった。これが人であるとすれば、化物ではないとすれば、これが夕霧の家族なのか。夕霧にとっては自らと同じ存在で、夕霧にとって俺より大切なものなのだろうか。思わずぐうと喉がなる。
けれども一つだけ、陽二郎にとって明らかなことがある。それは夕霧が陽二郎にとって特別であるということだ。格子の中の夕霧は陽二郎の目にはひときわ美しく、先程の玉藻大夫と比べても遜色ないほど特別に見えた。
夕霧は格子の外の陽二郎には気が付かず、やがて内から呼ばれて格子から出た。表に回って暖簾をくぐれば番頭が現れ、夕霧の用意ができたと言う。大階段を登ろうとする際にちらりと垣間見た広間では、煙管から煙を吐く幽凪の傍においり菓子の袋が見えた。
「主さん、お待ちしておりんした」
「俺もだ。一時も離れたくはない。今日は弁当を持ってきたよ」
夕霧はいつもどおり儚げな笑顔を浮かべていた。
青山はどうせ食い切れぬからと、桔梗屋の飯を折に詰めて陽二郎に持たせた。それはとても美味かった。けれども冷たかった。幽凪屋ででる仕出しも同じだ。仕出し飯というものは冷たい。幽凪屋で温かいものを食べるには内用につくる食事を求めるしかない。あの他の異形と同じものを食べるしか。
「夕霧。俺はお前と家族になりたいのだ」
「家族」
「家に帰ればお前が待っていてくれる。そして一緒に暖かい飯を食いたい」
「主さん。わっちは料理など」
「料理は女中にでも作らせれば良い。日の下に出られぬなら奥にこもって居れば良い。けれども一人はつまらんかな。ここならいつも『家族』がいるものな」
夕霧は複雑な表情で、同じく自嘲を込めた複雑な笑みを浮かべる陽二郎と仕出し弁当を交互に眺める。陽二郎もじっと夕凪を見つめたが、化物であるとは到底思えなかった。そして五十を超えるようにも。
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