あけぬ夜はなし 第11話 ふさわしくない、私(明治ファ全19話50000字)連載中
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11.ふさわしくない、私
「夕霧、俺はお前が五十年ほど前から格子の内に座っていると聞いたよ」「……主さん、それは本当でありんす。わっちをお嫌いになりんしたかえ」
夕霧はいつものように儚く微笑む。
五十。
その響きにどきりとした。夕霧の表情を見るに、ことさら嘘をついているようにも思われない。けれども美しい肌は吸い付くようで、合わさる唇は瑞々しく震えた。生半に信じられぬところはあるが、よく考えれば陽二郎は年齢などこれまで夕霧に尋ねてはこなかったのだ。年齢の情報を得たとて、それで夕霧との関係が何かかわるものでもないだろう。そのように、思い直した。
「年齢などでかわりはしないさ。お前が百であったとしても、俺はお前が愛おしい」
「やはり信じてはおられんのでありんしょう?」
夕霧の唇から、ふふという音が漏れた。
「わからん」
「主さん?」
「俺にはお前が五十とは思えんが、五十であったとしても、おそらく何も変わらぬと思う」
陽二郎の言葉に、夕霧はわずかに驚いたようで、目を瞬かせた。そして疑わしいような目で陽二郎を見た。
「お前こそ、俺のいうことを信じてないじゃないか。俺はお前を身請けしようとしているんだぞ。身請けする以上、お前が皺くちゃの婆になっても手放すものか」
「まことにおつなことでありんすえ」
陽二郎は夕霧の言葉にいつもと同じく壁を感じた。夕霧にとって身請けは現実のことではないのだ。一体何が自分と夕霧の間に横たわっている。その思いはずっと陽二郎の内に積み重なり、漸く言葉となる。
「他に何か、俺に話していないことはないか?」
「話していないこと、でありんすか」
「そう。例えばお前が化物であること」
それまでにこやかだった夕霧は、その陽二郎の声にびくりと震える。先ほどより大きな反応に陽二郎は戸惑う。陽二郎は夕霧を化物であるとは思ってはいない。けれども先程の青山の言葉を思い、僅かに逡巡した。やはり何かあるのだろうか。化物であるといえるようなことが。それを聞けば、夕霧が身請けを嫌うであろう何かが。
「俺はお前が化物とて、かわらないぞ」
じっと見つめれば、夕霧は諦めたようにほうと息をついた。
「主さん。わっちは本当に化物でありんすえ。けれどお父様は今回はわっちを止めては頂けんした」
「止めては? 楼主殿に反対されていたわけではないのか?」
「ええ。お父様は幽凪屋の遊女に身請けの話があった場合、最終的には遊女が決めるものだとお言いにはなりんすけど、たいていの場合は止めるように説得されんす」
いいかい。お前はこの家の外では化物だ。世間の風はとても冷たい。この幽凪屋でなければその目からお前を守ることはできないんだよ。
確かに身請けというのは余程のことだ。お前は愛されているのだろう。けれども夜に化物に会いに来るのと、日々家の中に化物を飼うのとでは、世間様の見方というものが全く異なるのだ。だから今はよくとも、しばらく後にお前のご主人様はお前を厭うようになるかもしれない。
そうすればお前は普通に身請けされて愛人となるのと異なり、真の意味でただの化物となるのだ。私にはそのような未来しか見えない。
だから私はお薦めしかねる。ここに止まる方が良いと思うがね。
楼主は通常、そのように遊女に思いとどまるよう説得するのだそうだ。そして実際、楼主の説得に反して身請けされた遊女の多くは暫くして手紙の音沙汰もなく消息が不明となり、時折化物の死体がどこかの河岸に上がったという噂として伝わり、さらに稀には幽凪屋に戻ってくるそうだ。戻ってきた折には酷く傷心し、何日でも楼主が話を聞いて甘やかし、その傷を癒すという。
陽二郎としてもあの格子の異形を思い出すにつれ、幽凪の言う言葉もやむを得ないと感じた。遊女の身請けには莫大な金が動く。身請けできるというのは、ある意味遊女に大金を叩いたという格となる。だから身請けは喧伝されることが多く、時には新地を挙げての宴会がとりおこなわれる。けれどもあれら化け物の身請けを知られれば好き者と謗そしられるだけだろう。ひっそりと家に閉じ込めておくより他ないだろう。連れ歩くことなどできはしない。
やはり、あいつらは世間にとっては化物なのだ。
「けれども夕霧、お前が楼主殿に止められなかったというのなら、やはり俺の身請けには問題がないのではないか?」
「いいえ、それは逆でありんしょう。わっちの本当の姿を見れば主さんは」
「本当の姿? 今の姿は本当の姿ではないのかい?」
夕霧は、しまった、とでもいうように口元を押さえた。陽二郎は夕霧の柔らかな髪を手で櫛削る。本当の姿。そんなものがあるというなら、俺はこの夕霧を嫌いになってしまうとでもいうのだろうか。
ありえない。
陽二郎の魂はそう叫ぶ。夕霧は自分の運命だ。魂の伴侶だ。初めて見た時からそう感じた。現在も持続するその感情は、必ずしも夕霧の姿の美しさのみで湧いた感情ではないように思われた。
「主さん。今のわっちは人としての姿でありんす」
「人として?」
夕霧には日の下を歩けぬ不具があった。
楼主が伝手を頼りその原因を探ったところ、夕霧の先祖には妖あやかしがいて、夕霧にはその血が色濃く残っていることがわかった。そして日の下を歩けばその制御ができず、元の姿を隠せなくなるのだそうだ。
日の下では? 妖というものは夜に姿を表すものではないのだろうか。ふと、そのような疑問が陽二郎に浮かぶ。
「その姿は恐ろしいものでありんす。そしてその心根も恐ろしい」
そのように述べて目を伏せる夕霧を見ても、陽二郎にはちっともピンとこなかった。この美しい夕霧の中に、恐ろしいものが潜んでいるとは思えない。陽二郎は夕霧の瞳をじっと眺めた。
「その恐ろしい姿はお前とは全く異なるものなのかい?」
「異なるといえば異なりんしょう。けれどもそれもわっちでございんす。その化物も含めたわっちでありんす。わっちは主さんに相応しくありんせん」
「その恐ろしい姿というものを一度見せてはくれないか。俺はそれでもお前が好きだと確信している」
「けれど」
夕霧はそっと目を伏せた。
「そうでなければ俺は納得できない。俺はお前を手に入れたい。誰のものでもなく俺のものにしたいのだ」
その魂の叫びを受け取った夕霧は、ふるりと閉じたまぶたを再び上げた。そのとき、その瞳はいつぞやに見た強い決意というものを秘めていた。
「……それではお父様にお頼みしんす」
「楼主殿に?」
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