あけぬ夜はなし 第12話 お慕いしております、わっちも(R12G)(明治ファ全19話50000字)連載中
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12.お慕いしております、わっちも(R12G)
夕霧が言うには、その恐ろしい姿というものは、この夜の闇の中においても夕霧を飲み込もうとしているのだそうだ。そしてそれを抑えているのが楼主の吸う煙管の匂いだという。それを厭うて恐ろしい姿は人の夕霧の内に隠れている。
陽二郎は俄には信じられなかった。けれども夕霧はようやく秘密を吐露できたというようにホッと息を吐いた。
夕霧は一度広間に降り、楼主に今日の夜明けにその姿を陽二郎に見せる了承を得た。夕霧は悲壮を滲ませながら、陽二郎にそう告げた。
「何故そんな顔をする」
「主さんはきっとわっちをお嫌いになるでありんしょう」
「そんなことはない、はずだ」
陽二郎は、そんなことはないと心に強く思っていても、言い切ることは躊躇われた。何故なら夕霧は悩みに悩んでその言葉を吐いたはずだからだ。その覚悟は安易に否定して良いもののようには思われなかった。
陽二郎は未だ見ていないその化物だという姿を想像する。脳裏で引き合いに出るのはやはりあの格子の内側だった。
夕霧の鼻が溶け落ち、痘痕が浮かぶ。けれどもそれは病だ。陽二郎は一度添い遂げると決めた。その容色が衰えたとしても、きっちりと自身が面倒を見るつもりだ。
夕霧の両腕あるいは両足が欠落する。不自由であろう。けれども生まれて後、病や事故で四肢を失う者はいる。もとより家の中に篭れば良いと思っていた。自身のいない間は女中を雇って世話をさせれば良い。
夕霧の背丈が大きく伸び、あるいは小さくなる。それがどのようなものかはいまいち想像はつかなかったものの、陽二郎はその身長によって夕霧に惚れているのではないことは間違いない。だから……おそらく問題はないだろう。
皮膚に鱗が生える。夕霧の美しく伸びる腕を眺める。鱗。魚のように鱗がつくのか。やはりいまいちピンとはこないが、あの格子の中の蛇女を思い浮かべ、夕霧の身に乗せてみる。あの女は気持ち悪く思ったが、夕霧だと思えば何故だかさほど忌避感は覚えなかった。
眼が一つであるのは些か困惑が勝つ。根源的な薄気味の悪さを感じるが、自身は夕霧の姿のみを好きなわけではないのだ。だから、よくわからない。
この夕霧の胴からもうひとりの夕霧が生える。……それはその新しい夕霧と上手くいくかどうなのだろうか。ひょっとしたらその恐ろしい姿というものはもう一人の新しく生える夕霧なのだろうか。そこまで考えると、最早陽二郎の想像の及ぶところではなかった。
「主さん?」
「俺はお前を嫌うつもりはない。けれども俺はまだお前がその化物だという姿を見ていないのだとしたら、安易に答えるのも不誠実に思う」
「……主さん」
「お前の言う姿がどういうものかはわからないが、お前を失いたくはない。それは本心だ。だからともあれ、平常を保つことにしよう」
「それだけでわっちはもう十分でありんすえ」
そうして触れた夕霧の肌はやはりいつもと変わらず艶めかしく、それが失われるものではないということを陽二郎は念のために心に刻んだ。
そうして新しい一日の始まりに全てがざわめく時分、陽二郎と夕霧は幽凪屋の二階の普段は使われないという一室にいた。十畳程の部屋に箪笥が一棹置かれているだけの簡素な部屋だ。そこで夕霧は楼主に後ろ手に鉄条できつく縛られた。
「楼主殿、何故このようなことを」
「夕霧の希望です。つまり夕霧もお客様のことを得難く思っておりますゆえ、このような真似を望むのでしょう。これでも足りぬかもしれないが、あるいは夕霧、解くかね?」
「いえ、お父様、何卒そのままでお願いしんす。主さん、わっちの中の化物も主さんをそれはよう慕っておりんす。ですからお会いすればどのような真似に及ぶかわかりんせん」
その言葉に陽二郎は初めて慄いた。夕霧を愛している。けれどもその化物の夕霧は、今の夕霧とは全く異なる、根本から異なる存在なのだろうか。
「……もう一人のお前というのはお前ではないのかい?」
「いいえ、それも間違いなくわっちでありんす。けれども人がお酒を召された時のように、わっちはその気持ちを抑えきれなくなりんす」
確かに酒を飲めば怒りはじめたり泣きはじめたりと普段と異なる様子を示す者もいる。日を浴びれば酔っ払うとでもいうのか。
「夕霧、それで本当によいのだね」
幽凪はまじまじと、そして表情のよくみえぬ顔で気遣わしげに夕霧に尋ねた。
「ええ、主さんはきっと諦めてくれんせん。今のままではわっちは主さんを謀っているも同じでありんす。それにわっちは気がとがめておりんす。それがわっちの運命なのでございんしょう」
頷いた幽凪がその部屋の雨戸をわずかに開けば、陽の光とさわやかな空気がさらりと差し込み、室内の埃が光の中に舞う。それとともに、夕霧の腕が括られたまま、ずるりと2つに分かれ、4本となる。そのせいか締め付けた鉄条が食い込みギチチという音がなった。けれどもその皮膚は鉄条に食い込むでもなくガサリとまるで殻に覆われるが如くつややかに固くなり全身に広がっていく。まるで、蟷螂の、ように。
その姿に陽二郎は腰を抜かした。目の前で広がる異様はあの格子の中の誰にもまさる。その姿は正しく。
化け物。
そのあまりの姿に、先ほどまでの陽二郎の平常は既に全て吹き飛び、ガチガチと歯の根が震える音が響く。
「楼、主殿、これも幻覚、なのでしょうか」
「お客様にそのように見えますならば、これは幻覚なのでしょう。朝になれば幻覚に惑わされますゆえ、これまで通り夜に夕霧の部屋に通われればよろしい。もとより夕霧はそれを望んでおりました」
「夕霧、が」
「ええ。そのように申してはおりませんでしたか? 夕霧の不具は日の下でない限り、人とは変わりません」
けれども日の下での不具は、それは。それは確かに夕霧の言う通り、恐ろしい姿をしていた。恐ろしい。恐ろしい。自らの顎ががくがくと鳴り響く。その変形した瞳に見つめられれば心の臓がすくみ上る。恐怖でうまく、息が、飲み込めない。これは、化物。陽二郎が思わず逃げ帰ろうとしたとき、それを引き止めたのもやはり夕霧の声だった。
「主、さん」
「夕霧?」
それは確かに、夕霧の頭部からぽつりと聞こえた。そしていつもと同じような呼びかけようだった。
おそるおそる見上げれば、確かに硬い皮膚に覆われようとも、その顔には夕霧の面影があった。そしてその姿は大分変われども、その骨格やらなにやらに、確かに夕霧の名残は存在した。底知れぬ恐怖を振り切り、思わず近寄ろうとする陽二郎を押し留めたのは、陽二郎の前に立っていた幽凪の細腕だった。
「夕霧、お前はどうしたい」
「お父、さま、わっちは、主さんを、お慕いしておりんす、だからわっちは、ずっと主さんと一緒になりたいので、ありんす」
「夕霧」
その夕霧とは似つかないけれども同じような音律を刻むガサガサとした声に陽二郎はハッと目を見張った。それこそが、陽二郎が聞きたかった答えだったからだ。そして陽二郎はその姿に震えるほどの恐ろしさを感じてはいたが、これが夕霧であることもその魂のどこかで理解していた。目の前の夕霧が発する眼差しに違いはないように思われたからだ。つまり、目の前にいるのは姿形が異なれども夕霧なのだ。
近寄ろうとして、そして幽凪に再びその前を遮られる。
「ああ、愛しい、主さん、どうされ、たんし?」
「夕霧、やはりお前の望みはそうなのだね。お前は私も好きだろう? お前の親愛がどういうものか、お客人に見せておあげ」
「お父、さま?」
「お客人は今のお前の姿をご覧になるのは初めてだ。突然のことでお困りなのだ。お前はお客様をどうしたいんだね? お示ししなさい」
楼主は困惑をわずかに浮かべる夕霧の前に出て、その頭を子どものように撫でつける。夕霧は気持ち良さげに目を細めながら陽二郎と楼主を見比べ、突然幽凪の首筋にかじりついた。途端に赤黒い粘液がその首元からこぼれ落ち、幽凪の着物が赤く染まる。夕霧の唇の端が蟷螂の大顎のように割れ、それが幽凪の肩口に食い込み、ぱきりぺきりと鎖骨が砕かれる音がする。陽二郎の喉の奥からヒという短い音が漏れた。
それでも楼主は夕霧の頭をなで続け、濃い血の匂いと咀嚼音だけが部屋に浸透する。やがてどさりと幽凪の袖から何かが落ちた。夕霧を撫でていた腕が床に転がり、陰になった畳の上で赤黒い染みが広がった。そのち切れた腕を拾おうともがく夕霧の腕はやはり、きつく縛られたままだった。
夕霧はその姿になれば自らを抑え切れない。確かにそう言っていた。目の前にいるのは姿形が異なれども、やはり夕霧なのだ。陽二郎はその事実に最早、凍りついたように身動き1つできなかった。
「夕霧、今は眠ると良い。後で話は聞いてやろう」
「お父、さま?」
幽凪はそう述べて残った片方の腕で煙管を口に含み、細長い煙を夕霧だったものに吹きかければ、それはわずかにたじろいだ。そのすきに幽凪は大量に血を滴らせながらも夕霧のそばをするりと通り過ぎ、ぴちりと僅かに開いた雨戸を閉じる。そうすると、楼主の吐く煙は開口部を失った狭い部屋の中に次第に充満していく。
そのうち夕霧はくたりとその力を失い、先程までの姿は何だったのかというように柔らかな皮膚と二本の腕を取り戻していく。ふと見れば幽凪も自らの右腕を拾って肩口にとりつければ、何事もなかったようにもとに収まった。
あまりにも平常を取り戻した二人に、陽二郎は今までの光景は幻だったのかと混乱していた。床は未だ赤黒いものが広がっていたが、幽凪がその端に触れれば寒天のように固まって丸まり、幽凪がそれを千切れたはずの右腕で拾い上げて次々と口に入れていけば、染みすらも消え失せたのだ。
「楼主殿、一体何が起こったのでしょう」
「後は二人でお話しすべき事でありましょう。さて、既に夜は開けた。お客様はお帰りになられる時間です」
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