見出し画像

あけぬ夜はなし 第15話 素敵な帽子(明治ファ全19話50000字)連載中

1話目のリンク

15.素敵な帽子

 そのような生活を続けていたある夜のこと。
「夕霧、お前に帽子を作ろうと思う」
「帽子、でありんすか」
 夕霧が化物の姿を持つことは、青山の言う通り陽二郎の中で最早動かし難い事実となっていた。むしろそれを認めないということを陽二郎自身が許せなかったのだ。自身と夕霧の間に隔たる差異のことをよく考えた。頭の中が明瞭なときも不明瞭なときもそればかりを考え、夕霧が五十を超えるという、化物であることより些細な差異は本当なんだろうと陽二郎は納得した。それにしても夕霧は二十ほどにしか見えない。とすれば、夕霧の寿命はおそらく人の陽二郎よりよほど長い。それが陽二郎のたどり着いた一つの結論だった。
「ああ。俺は帽子屋だからな。お前はきっと、俺より随分長く生きるのだろうな。そう考えればいずれ俺はお前を置いて死ぬ。『ずっと一緒』にはおられんのだろう。だから何かお前に残したいのだ」
 夕霧は嬉しそうに目を細めた。
 陽二郎の心からは恐怖は拭い去れはしなかったが、愛しい夕霧が喜んでいることに陽二郎は確かに満足し、幸福を感じた。水に浸した紙縒こよりのように、いつ千切れるかもわからない幽けき満足ではあったけれども、夕霧との差異を考えればそれもやむを得ないとも感じていた。
 陽二郎は結局、心の底から夕霧を好いていた。考え抜いた結果、最後に残ったのはそれだった。陽二郎はあの朝の夕霧の恐ろしさを頭の中で直視し、そして恐怖と愛情は全く別のものであることも理解した。それがどれほど恐ろしくとも、嫌いになれるとは到底思えなかった。夕霧のために死んでも良いと思えるほどだ。けれども同時に夕霧に根源的な恐怖を抱いていた。夕霧は陽二郎の捕食者であることは疑いがない。近くにいるだけで身が縮み、目の前の存在が夕霧であると強く認識しなければ叫び出してしまいそうなほどの恐怖。
 それでも陽二郎にとって、目の前の夕霧は美しく、愛しかった。そして夕霧への恋慕は恐怖にわずかに優っていた。
 そうでなければ幽凪屋に足を向けられるはずがなかった。
 陽二郎は自身の心境が余人に理解し難いものだろうとも思っていた。だから誰にも話さなかった。それは自分と夕霧の差異のことで、真実、他人には関係のないことだからだ。

「主さん、わっちは帽子を被ったことがありんせん。似合いんしょうか」
「そうだな、きっと似合う。今度見本を持ってこよう。そういえばお前、洋装を持っていないだろう? 和装に帽子は似合わないかも知れないな。折角だから洋装も仕立ててやりたいが、困ったな。は新地を出られないものなぁ」
「お気持ちだけで、わっちは幸福でありんす」
 幸福そうに笑う夕霧を見るのが陽二郎は何よりも嬉しかったのだ。だから翌朝、大階段の上で夕霧と別れて広間にいる幽凪に尋ねた。
「楼主様、夕霧に洋装を仕立ててやりたいのです。こちらに仕立て屋を呼んでもよろしいでしょうか」
「ええ。是非どうぞ。夕霧も喜ぶでしょう。それにしても洋装ですか。私もお見立て頂くことはできますでしょうか」
「楼主様もですか?」
「ええ。私は色々特殊でして、洋装は布地が合わぬのです。これまで何軒かにお願いしたのですが、うまく仕立てて頂けず」
 そう呟いて幽凪は困惑げに微笑む。
 幽凪の洋装を見たことはない。遊女屋の楼主なのだから和装なものだろうと、これまで取り立てて疑問には思ってはいなかった。陽二郎はそう思い起こす。

 以前に宇吉に聞いたことが浮かぶ。本来の洋装とは体を大きく見せるものなのだそうだ。けれども日本人の多くは体をただ大きく見せるのには向いていない。そういえばとあらためて記憶を探れば、宇吉が仕立てたという青山の洋装は陽二郎がいつも珈琲店から眺めた道行く人々の洋装とは随分異なり、青山の身に沿って青山を随分上品に見せていた。
 確かに幽凪のこの華奢ななりでは、通常の洋装を纏ったとしても服に着せられているように見えるだろう。
「わかりました。ご要望に沿うかは分かりかねますが、合わせて依頼してみましょう」
「ありがとうございます。礼と言っては何ですが、ご入用なら恐怖を和らげる薬を差し上げます」
 幽凪はわずかに目を細めた。
「そんなものが?」
「お客人は随分顔色がお悪い。夕霧とも相談なされるがよろしい」
「夕霧と?」
「ええ」
 実際のところ、陽二郎の顔色は日毎に悪化し、いつしか土気色となっていた。白河屋の番頭や周囲はそれが制服のコンペティションが間近に迫り陽二郎が根を詰めているからだと思っていたものだから、口々に体を労わるように述べる。それでも陽二郎は生活を改めることはなかった。

 宇吉も陽二郎の様子をみて、同じように口を開く。
「白河さん、皆さんのいう通りです。制帽の案はこれでいいと思います。これ以上ないものでしょう。少しはお休みになられては」
「やはり顔色が悪いのでしょうか」
「ええ大分。今にも倒れてしまいそうです」
「そうですか。では一つだけお願いがございます。山辺さん、ドレスというものを作って頂けますか?」
 宇吉は突然の提案に目をぱちくりさせ、そしてその予感に思い当たり、破顔した。
「白河さんも身請けされるのですね! 私もそのつもりです。素敵なウェディングドレスを作りましょう」
「ウェディング、ドレス?」
 聞き慣れぬ言葉に、陽二郎は思わず問い返す。
「ええ。私も東雲しののめの身請けと同時に所帯を持つつもりです。そのためのドレスを作っているところなんです」

 東雲というのは宇吉が惚れている遊女の名前だ。
 宇吉の指す山辺洋装店の一角には、宇吉の笑顔と同様にとても美しい純白のドレスが飾られ、キラキラと光が当たっていた。その清麗さは陽二郎の心を打った。
「とても美しいドレスですね」
「ええ。ありがとうございます。異人はこのような純白のドレスを着て、神の前で永遠の結婚を誓うのだそうです。私も新地の教会でそのように式を挙げたいと常々考えておりまして。白河さんも如何ですか?」
「そのようなものがあるのですね。けれど夕霧は日の光の下に出られぬ体質でして」
「そう……なのですね。差し出がましいことでした。お詫びいたします。ともあれドレスについてはお任せください。新地教会は夜半でも開いていたとは思いましたが、もし宜しければご一緒に」
 そのように宇吉は嬉しそうに胸を張った。純白のドレスと同様、その幸福に何の疑念も抱いていないであろう宇吉の笑顔が、陽二郎にとって酷く眩しく見えた。

 その夜、宇吉と共に新地に向かった。幽凪屋に入って幽凪に挨拶し、宇吉は改めての来訪の予約を取る。そして一緒に二階に上がり、戸惑う夕霧に失礼しますと述べ、背後からメジャーをわたして手早く計測し、手元の一覧表にサイズを書き付ける。そして日めくりのような図帳からたくさんの衣装の絵図を示す。初めて見る華やかなドレスに夕霧が華やぐ。
「お越し頂けないとのことですので、細部は当方で調整致します。お任せください。どのようなドレスがお好みでしょう」
「……わっちにはようわかりんせん」
 そう言いながらも目を細める夕霧の浮き立つ姿は、陽二郎にはやはり眩しく思えた。
「ふふ、私の東雲もそのように申しました。では白河さんのお好みも聞いてみましょうか」
「おい、俺にも女のドレスなどわからんよ」
 唐突に話を振られて困惑する陽二郎だったが、並べられた絵姿を真剣に眺める。どれも洋装として知識にはあるものの、身近に考えるものとは全く思っていなかった。そのうちに陽二郎も様々な絵図を見比べながら意見を出し始める。
「スカァトの部分がどうなっているかは俺にはわかりませんが、袖はない方が好きです。それから帽子が似合うような服が良いのですが、どのようなものが合うのかはやはりよくわかりません」
「白河さんはどんな帽子を作られる予定です?」
「そうですね、花をあしらったものを考えておりましたが、ウェディングドレスというものにはどのような帽子が合いましょうか」
 陽二郎がそのように尋ねる度に、宇吉は何度も頷きニコリと笑った。
「なるほど、了解いたしました。帽子が主役なのですね。ではそのようなドレスを作りましょう」
「いえ、素敵なドレスを作って頂けましたらそれで」
「駄目です。白河さんが一番大事な部分を作らないと駄目なのですよ。その方が夕霧様も喜ばれましょう。それでは夕霧様、白河さんと仔細を詰めて後、お伺い致しますね」
 宇吉がそのように述べれば夕霧はおかしそうに微笑んだ。ああ、なんだか久しぶりに朗らかな夕霧をみた気がする。宇吉の通う遊女屋も新地内にあり、これから向かうらしい。
「すまないね。山辺さんも東雲さんに早く会いたいだろう」
「いいえ。白河さんのためですから、その位、東雲も許してくれるでしょう」

次話のリンク

#ローファンタジー #明治時代 #遊女 #遊廓 #小説 #あやかし #連載小説 #恋愛小説 #時代小説 #純愛


いいなと思ったら応援しよう!