あけぬ夜はなし 第16話 明るく呪われた陽光(明治ファ全19話50000字)連載中
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15.明るく呪われた陽光
その後も陽二郎と夕霧の触れ合う距離が縮むことはなかった。陽二郎は恐る恐る、震える手で少しずつ夕霧の頭のサイズを測る。愛しい夕霧であると同時に、その内側に陽二郎自身を砕く恐ろしいあぎとが潜んでいる。けれども夕霧を目の前にしなければその根源的な恐怖はわずかに遠ざかる。
その中で、帽子を作るという行為は、陽二郎の中で少しずつ意味合いを変化させていった。
宇吉との打ち合わせの内容に夕霧のドレスの話が混ざり、宇吉が教会であげたいという結婚式の話に及んで、陽二郎はひどく羨ましくなった。
「やはり夕霧様の御体調では式は難しいのでしょうか」
「ええ。おそらく幽凪屋から出ることも難しそうなのです」
陽の光に当たれば夕霧はあの姿を表す。けれども暗がりにいても、あの姿は夕霧の姿の一つだ。幽凪屋に広がる幽凪の煙管の香りというもののみが、なんとか夕霧を安定させているらしい。つまり、夕霧が述べたことはただ単純に真実であったということだ。あの朝の夕霧の姿が余人の目にさらされれば、人ならざる悪しきものとして排斥されるだろう。その恐ろしさ自体は他ならぬ陽二郎自身の身にも沁みているほどなのだから。
だからたとえ夜半であっても、長時間夕霧を外に出すのは不測の事態を生ずる恐れがあり、結局幽凪屋の外に出られない。夕霧との祝言、つまり結婚して二人で独立した世帯を持つという形式は土台無理なことだろうと静かに諦めていた。
深刻味を帯びる陽二郎の表を宇吉は心配そうに眺めた。
「それであれば幽凪屋で内内に式を上げるというのでは」
「式を挙げたとて、そのまま遊女屋に留まらせるのもまた外聞が良くないでしょう」
「そう、ですね」
陽二郎はその一生を夕霧と添い遂げ、夕霧のために使うのだという心は随分前から決まっていた。それもまた、自身のうちにある真実の思いと姿である。それさえあればよく、だから毎日幽凪屋に通う生活で良いと考えていた。
結婚というのは確かに一つの区切りだ。
婚姻を披露し祝われる。けれども内儀として自宅に迎えるのではなく遊女屋に置き続け、そこに通い続ける。それは何の区切りにもならず、作法として間違っているようにも思われた。
けれども夕霧にドレスや帽子の話をするにつけ、やはりそのような未来というものがありえないだろうかという思いが去来する。
一生をこの幽凪屋に通い続ける。それは陽二郎と夕霧にとってどういう意味を成す未来なのだろう。陽二郎はそのことばかりを考えていた。
「夕霧。朝のお前と今のお前は頭の大きさは同じかな」
「主さん……」
そんなことをポツリポツリと話す陽二郎は、夕霧から見てもどこか異常に見えた。
「せっかくだからいつでも冠れるものがいい」
「わっちには頭の大きさはわかりんせんけど、明日の昼にでもお父様に測ってもらいんす」
「そうか。それではお願いしよう」
ともあれどのような帽子がよいか、陽二郎はそればかりを考えることにした。
なるべくどんな時でも使えるのがよいだろう。けれども宇吉と話したウェディングドレスに合わせるには、それなりに派手なものがいい。それであれば、鍔や造花の取り外しができるものがよいのではないか。
「主さん、少しは休んでくんせ」
優しく微笑む陽二郎の深い隈の入った表情は、その頃には誰が見ても異様に見えたのだ。
「大丈夫だよ、夕霧。俺はお前に贈り物がしたいのだ」
「けれども。それではせめてお父様の薬を飲んでくんなまし」
「それは嫌なんだ」
「何故でありんすか」
「お前が恐ろしくなくなるのだろう? 俺は朝のお前が心底恐ろしい。夜のお前が決してそのようなものではないと知っていてもだ。だから楼主殿の薬というのはおそらく、朝のお前を忘れてしまうとか、幻覚だと思うという作用のものなのだろう。けれども朝のお前もお前なのなら、俺は朝のお前が心底恐ろしくても、それでもお前が好きなんだ」
陽二郎が知らぬ内に宇吉が何度か幽凪屋を訪れたようだ。その朝に幽凪に呼ばれてその洋装の出来を見せてもらった。出来上がったものは礼服という本来の洋装の目的を果たすためのカッチリとした服装だった。けれども見事に、幽凪の柔らかい線に合わせて作られていた。
「素晴らしい出来栄えと思います」
「本当に。山辺様をご紹介頂きありがとうございます。私も洋装というのはいまいち勝手がわからなくてね。けれどもこれまで羽織った洋装のどれよりも軽く着やすい。ところで陽二郎様、あなたも洋装を作るのでしょう?」
「ええ。夕霧だけがドレスというのも片手落ちですから」
「それは出来が楽しみですね」
幽凪はじっと静かに、その湖面のような瞳で陽二郎を見た。そうして何も言わなかった。目に見えて悪化の一途を辿る陽二郎の顔色に何も言わなかったのは、幽凪と青山だけだった。
陽二郎を幽凪屋の大階段の上で見送った後、夕霧は幽凪に声をかける。
「お父様、主さんのお越しをお断りできんでありんすか」
「何故だい? 陽二郎様はお前の全てを好いてくれているだろう?」
「大変嬉しゅうございんす。けれどもそれがお体のご負担になっておりんす。このままでは倒れてしまいんす」
夕霧は思わず顔を両手で覆う。夕霧にとっても好いた陽二郎が窶れる様など見ていたくはない。気づけば幽凪の手は夕霧の頭をなでていた。
「夕霧、お前は混乱しているのだ」
「わっちが混乱、で、ありんすか」
「ああ。お前がそんなことでどうする。それでも通って頂いているのだ。それこそ陽二郎様に失礼だよ」
大門を出てふらふらと日の光の下を幽鬼のように歩く陽二郎を見て、周囲の人間はざわり道を開けた。その姿を至近で見れば、陽二郎はやせ衰え、既に化物楼の化物とさほど変わりなかっただろう。結局のところ、陽二郎は夕霧の隣で寝ても一睡もすることはできなかった。恐怖でむしろ、目がさえる。
「白河君。上がっていけ」
突然空から投げかけられたその声に陽二郎が眩しげに見上げれば、目に光が降り注ぎ、涙が滲む。そしてその先の桔梗屋の欄干に、きちりと洋装を見に纏った青山が見えた。
部屋に入ろうとして、思わず陽二郎の足が止まる。あり得ないものを見た。その広い部屋の中には体長三メートルはあろうかという見事な金毛の大狐が寝そべり、陽二郎を一睨みした。その視線の鋭さに陽二郎はストンと膝を落とした。
「こら玉藻、怒るなよ」
「きゅう」
大狐はスラリと伸び上がり、胡座をかく青山の首元に鼻先を擦り付けて青山を囲い込むように寝そべった。青山はくすぐったそうにその大きな額を撫でる。すると桔梗屋の者と思われる女中が粥の膳を一つ運んできて、頭を下げて去った。
「今の女中は俺の専属だ。俺がいる間に立ち入るのはあの女だけだ。字も書けんし口が聞けんから妙な話が広まることもない。まぁ食え。禄に食ってないんだろう。ここの飯は美味い」
「あの、そちらは玉藻太夫、なのでしょうか」
そう問えば、大狐は再び陽二郎を睨んだ。それを宥めるように青山は大狐の首筋を撫でさすると、フサフサとした太い尻尾がふわりと揺れた。
「怒るな怒るな。前に話したことがあるだろう? 幽凪屋の夕霧の番だ。うん、これは玉藻だよ。そしてこれが俺と玉藻の差異だ」
差異。
「朝になれば狐の姿に?」
「いや、これが玉藻の常の姿だ。普段は人の姿を装っている」
「装って」
「だから俺はいつもこいつをここに呼び出すんだ。この大きさでは紫檀楼の最も広い部屋でも些か窮屈だからな」
確かにこの間は20畳ほどはあろう。四肢を伸ばせば更に大きい。その朝日を反射しキラキラと光る毛並みの艶やかさに陽二郎は目を見張った。玉藻太夫は大変お美しいと陽二郎が呟けば、大狐は満更でもないようにその視線を和らげた。
「俺と玉藻にはたくさんの差異がある。けれどもこのように折り合いがついている。お前と夕霧の折り合いもそろそろつくのだろうかと思ってな」
「ええ。私は夕霧が好きなのです。最近漸く青山様が仰った差異というものの意味がわかりました。それは如何ともし難いものなのですね」
「ああ。俺にとっては玉藻がやたらデカいことは解消しようがない。けれどもこれは玉藻がいわゆる化物だから生じるものではない。ただ、俺と玉藻にある差異だ」
「ええ」
陽二郎は深く頷いた。
「人でも玉藻以上に理解し得ぬ者も多くいる。だから結局、お前らがどうしたいかだ」
陽二郎は玉藻は青山を食べようとは思っていなさそうだとは感じた。それは夕霧と玉藻の差異だ。けれども化物、人と異なるものだからといって、それは一括りにできるものではない。それは人の姿形がそれぞれに異なるのと変わらない。陽二郎にとっての差異とは、ただ夕霧との間に生じるものであって、最早他の事情など差し挟む余地はない。
「そういえば会場には直接行くのか?」
「会場?」
「ああ。コンペの発表は今日の昼過ぎだろう?」
「そういえば」
陽二郎は本日こそがコンペの結果発表だったこを思い出す。受賞の自信はあった。そして受賞した場合、新しい工場の建設やら職人の手配やら、やることが山積みだった。温かく滋養のよい粥が効いたのか、今後について少し青山と話しているうちにも睡魔が襲いかかってくる。
「限界のようだな。ここは借り切っているからここで寝ていけ。布団を用意させよう。店に居ても落ち着かんだろうしな」
「それではありがたく」
「店には言付けておく。コンペ用の正装なども届けさせよう」
手元の鈴を鳴らせば先程の女中が現れ、新しく敷かれた布団を目に入れたところで陽二郎は限界に至り、その上にパサリと倒れ落ちると同時に意識を失った。
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