あけぬ夜はなし 第17話 輝かしい結果(明治ファ全19話50000字)連載中
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17.輝かしい結果
女中に揺り起こされて陽二郎は飛び起きた。
短い夢を見ていた。
夢の中で、陽二郎は夕霧と暮らしていた。あれは白河帽子店の二階だ。夕霧は朝になるとカーテンを開けて台所で作った朝食を居間に運び、その光の中で家族で朝食を取っていた。目を閉じればあの浅蜊の味噌汁と焼いた鯵の香りが鼻に浮かぶようだ。陽二郎と夕霧の間には一人の男の子がいて、それが騒がしくしているのを横目に陽二郎は店に出る。今日も一日が始まる。そんな夢だ。
気づけばほろほろと涙をこぼしていた。それこそが陽二郎が描いていた、そして叶わぬ夢だ。
柔らかく上等な手触りの布団から抜け出て女中の運んだ桶の手水で顔を洗う。陽の光を反射して水面の移った自らの顔は青黒い。それでも久しぶりにぐっすり寝たせいか、体調は幾分上向き、目の下の重だるさがわずかに解消されていた。布団でゆっくりと眠るなどいつぶりだろうか。そう思えば小さなため息が溢れ、それとともに夢の残滓もさらさらとどこかに消えてしまった。
ここのところ店に戻って短い仮眠を取ってから、そのまま店を開けていた。周りが心配するのも当然かも知れぬ。陽二郎は漸くそこに思い至った。
陽二郎は青山が運ばせたのだろう洋装にいそいそと着替えた。そのノリの効いたパリっとした着心地は自然と陽二郎の背筋を伸ばさせ、その視線を上に向かせた。久しぶりに真昼の往来をゆっくりと歩く。見渡せば、そこには様々な人間が堂々と歩いていた。何やらまるで別世界のように感じる。このように陽の光の下を夕霧と歩くことなどできないのだろう。
コンペティションの発表は神白県庁で行われる。今日が正念場だ。不思議と足は軽い。30分ほどかけて漸くたどり着けばそれなりの人集りの中、既に青山と宇吉が揃っていた。
「白河君、今日は少し体調が良さそうだな」
「えぇ。お陰様でよく眠れました」
「きっと大丈夫ですよ。自信があります」
宇吉の笑顔はいつも通り眩しかった。
ホールには4組の衣装が展示されている。陽二郎には贔屓目を抜きにみても、宇吉と自身がデザインした制服と制帽が最も優れているように見えた。そしてそれは周囲にとっても同様であったらしく、二人のデザインの前に最も人が集まり、そして選ばれたのはやはり、二人の制服制帽だった。
宇吉は子どものように飛び上がって喜び、陽二郎はその姿を、まるで違う世界のように遠くに眺めている自分に気がついた。
表彰され、簡単なセレモニーがあった。その後の契約締結を含めた細かな調整といったやり取りは青山がやってくれる手筈になっている。陽二郎も宇吉も大きな商売には手慣れていない。だから共同経営者であり、そういったことに詳しい青山が引き継ぐのだ。
これで一つ、肩の荷が降りた。
「やりましたね、白河さん。これで身請金が用意できます」
「ああ。そうですね」
「夕霧さんのドレスもほぼほぼ完成しました。私は生誕祭の夜、東雲と新地教会で祝言を挙げる予定です。よろしければ、いえ、もし可能でしたらお二人でいらして下さい」
「夕霧と相談してみるよ」
堂々と身請けをすると言える宇吉が陽二郎はとても眩しく思えたけれど、嫉妬のようなものはおこらなかった。堂々と身請けできる。それが宇吉と東雲とやらの距離なのだろう。夕霧は光が差さず、幽凪の煙が途切れぬ幽凪屋を出ることができない。けれども先日幽凪と話し合い、幽凪屋の一室でひっそりと祝言を挙げることに決めていた。
陽二郎は翌朝、震える手の内にある婦人用の帽子を眺めていた。少々複雑な作りをした帽子だ。朝の夕霧は夜の夕霧より少し頭位が大きい。だから合わせの部分を作り、大きさを変えられるようにしている。そうして普段使いできるよう、鍔を3種類と季節に合わせられるように造花やヴェールを始めとして複数の飾りを作った。
「このように帽子の内側の部分に鍔や飾りを引っ掛けるのだ」
「複雑で、ありんすね。わっちに、覚えられるで、ありんしょうか」
「大丈夫だよ。すぐ慣れるさ」
嬉しそうな夕霧に陽二郎は頷いた。不足のないように考えうる限りのものをと思っていれば、帽子の部品は次々に増えていく。陽二郎にとってそれは、二人の間にかけがえのないものを作るのと同義だった。
コンペが終わり、交々の些事の調整が終了して後、陽二郎は店を番頭と青山に任せ、休みを取ることにした。
「ええ、ええ。これから忙しくなる前にお休みを取るべきです。そんな顔色でどう致しますか。お客様が逃げ帰ってしまいますよ」
番頭などはそのように述べ、率先して休みを取らせようとするのだ。それは番頭だけではなく丁稚や客までそのように述べる。コンペの日は僅かに復調していたものの、その後も陽二郎の様子はますます悪化していた。
コンペも終わったのにと番頭は不思議に思っていたが、何のことはない、陽二郎は朝の夕霧に少しでも慣れようと荒療治をしていたからだ。夜を夕霧と過ごし、朝に幽凪の監督の下で事故が起こらぬよう、僅かな時間を慣れることに費やす。
すでに陽二郎は夕霧を自宅に引き取ることは諦めていた。そんな条件は土台成立しないのだ。代わりにコンペで得た大金は全て幽凪屋に預け、これまでの夕霧の借金の返済と今後の費用のたしに充ててもらうことにした。つまりその金が続く限り、夕霧が他の男に身を売ることはない。そのこと自体は陽二郎にとって得難い価値だ。幽凪も金子を受け取り、通常の客と異なり朝になっても退去を求められなくなった。
最初、陽二郎は朝の夕霧を目にするだけで引き付けを起こし、夕霧もその抑えがたい本能で陽二郎を捕らえようとした。差異は依然埋まることはない。だからこそ差異なのだ。陽二郎は夕霧に根源的な恐怖を感じ、夕霧は陽二郎に根源的な欲求を覚える。その互いの本能的な部分は全く変わらずとも、僅かずつに体を慣らすことはできた。
陽二郎は時には幽凪に腕を掴まれ、目を瞑りながらも夕霧の表面に触れることができるようになった。時には夕霧はそれぞれ部屋の隅に縛り付けられ、長い時間を過ごした。
そうするうちに沸き起こる恐怖は変わらぬまま、陽二郎の全身の震えは僅かに治まるようになり、陽二郎が恐る恐る朝の夕霧の唇に口付けをしても夕霧の大顎が割れることは無くなった。夜の夕霧を震えながら抱きしめることができるようになった。
その頃にはすっかり陽二郎は幽凪屋に住み込んでいた。
朝遅くと夕に遊女たちと一緒に食事をとった。その場には所用がなければ幽凪も同席し、同じように食事をとった。遊女たちと暮らすうちに、いつしか遊女たちの異相も気にならなくなっていた。そして遊女それぞれに人と同様、個性というものがあることに気づいた。夕霧の隣の席に座ればある者には揶揄われ、ある者には憐れむような目線を向けられた。陽二郎はそれが自身とそれぞれの遊女との差異というもので、それは幽凪屋以外で出会う人間たちとの間に生ずるそれぞれの差異と異なるものではなかった。
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