都市伝説と不確かな歌、そしてマシュマロの海 第9話 不定の変数と、一片の歌(現ファ全11話24000字)
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第9話 不定の変数と、一片の歌
場合によっては数千人分の神津之介を実在させようとする思念となる、と思いながらそれがどんなものかはやはりピンとこなかった。サスリクヴァの実験はいつも未知なのだ。
「いや、未知だから実験をしてるのか。智樹、位相を二段階ずらす」
「はぁい。やばかったらいつも通り引っ張り出す、でいいんだよね」
「ああ」
環の認識では、世界は重層的に積み重なっている。
それは確率的にと呼ばれることもあるが、世界は僅かずつ様相を異にし、人はその複数の世界、つまり重層的に積み重なる位相にまたがって存在し、無意識にその境界を超えている。それが見つけた靴下の片方の色が異なる原因であり、その位相が離れていくほどその認識差異によってデジャブやジャメヴが生じ、道に迷い、更に離れれば神隠しとして扱われ、元の世界に戻ることが困難となる。
その束のように存在する位相について、環は同じ場所であるにもかかわらず異なる場所であると認識しうるほどに遠ざかった場合を一段階、異なる世界や法則が存在すると認識しうるほどに至った場合は二段階とカウントし、さらにそれを超えれば戻ってくることは困難であると認識している。
文様の描かれたいくつかの石を配置し、手探りで特定の位相を固定する。智樹には環の姿がわずかに薄くなり、ぶれたように見えた。同じ場所にいるはずなのに、環が少しだけ遠ざかる。
智樹は特殊な目を持っている。幽霊が見える。
環の認識では、魂というものは人の認識が肉体から離れて一段階ほど異なる位相に移動した状態であり、通常の人間からは見えなくなる。智樹の目は三段階程先の位相まで見通せる。だから環は智樹に、環の守りが壊れそうになった時、無理矢理に環を現世に引きずり出すことを依頼している。
タブレットにメッセージが届く。二時五十七分。
『バトラズ、ごきげんよう。用意はいいかな』
『サスリクヴァ、お手柔らかに』
そのメッセージを発信した途端、環はぷつりと世界が変化したことを感じ、タブレットを注視する。
部屋に妙な気配が満ち始める。メッセージを受け取ったタブレットから染み出し、ゆるやかにこの部屋を、そして環が正しく自らの存在する位相に満ちていくことを認識する。サスリクヴァは環の所在がどこかは知らないはずだが、その魔法は入口と出口と認識された発信及び到達したメッセージを通して、電流に乗せてその場所に現れる。
最初、環は呪術が電線やWI-FIを通ってやってくることを随分奇妙に思った。けれども今では、声や画像情報を送信できるのなら、人の思念が送られてきてもおかしくはないと認識していた。そしてもとより、呪術というものは空間を超えて訪れることはままある。電波という一定のツールを受け取るための媒体の発達によって、それがますます容易に通るようになっていると最近感じる。
『では最初に私の神津之介を送るよ』
しばらくモニタを観察していれば、ふつふつとその表面にさざなみが生じ、ぷるりと震えた。さらに待てば、そのさざなみを突き破り、神津之介のぬいぐるみが現れた。環の記憶では、サスリクヴァが動画で呼んだものとほぼ同じに思える。環はつまみ上げてナイフを奪い、ひっくり返して背にハサミをいれた。その感触はあたかもマシュマロのようで、一瞬浮かんだその想起を環はあわてて打ち消した。
ざくざくと切り開けていく。当然機械などは入っていない。環はその内側に小石を差し入れるのと引き換えに、小枝のようなものを取り出す。
「環、なにそれ」
「これがこの神津之介の芯だ」
取り出せば神津之介は電池が切れたかのように動きを止めた。よく見れば一センチ・三センチほどのサイズの紙をくるくると巻いたもの。開けば墨で書かれた何かがたちまち滲むように空気に溶け、1フレーズの歌が漂い、空気を揺らす。
環は気を引き締める。
声を閉じこめ送りつける。これこそがサスリクヴァの魔法だ。その音は録音もできやしないから、解析がちっとも進まない。その上1フレーズだけで、全体像がわからない。
けれど環にはこの空間を流れる力の動きで、その短い声の意味はわかった。この環のいる座標を記録した。つまり、この座標に向けて神津之介が送り込まれてくる。
それらがどのようなものなのか、未だわからない。今目の前にあるのは、環が配信の時に作られたものと同様、サスリクヴァが作った神津之介なのだろう。サスリクヴァの感触がある。けれども次に訪れるのは、サスリクヴァが集めた思念によって形作られたはずの神津之介。
緊張とともにしばらく時間が経過すれば、ぷくり、とモニタの表面が膨れ、神津之介の頭部が現れ、ぐちゃりと床に落下した。そしてピクピクと蠢いた。そしてサスリクヴァの神津之介に近寄ろうとするように、ずりずりと床を這う。体はよじれ、まるで骨がない。そしてしばらくすれば、力尽きたように動かなくなる。
「……なにこれ、気持ち悪い」
「単純に訓練が足りないな。智樹、お前は頭の中でどの程度神津之介を明確にイメージできる?」
「ええ……? すくなくともこれ、よりは?」
困惑した声が背中に響く。
「歌を一曲歌う間ずっとイメージし続けるなら?」
「そんなの無理」
魔法使いが依代を用いるには、術者がそれを完全にイメージできなければならない。それが不完全なのだ。とすれば、この先はおって知るべしだ。
次にモニタから零れ落ちた神津之介はもっと酷かった。白く丸いアイスクリームのような物体がぺちょりとモニタから滴り落ち、そのあともドプリドプリとケチャップをチューブからひねり出すように断続的に、液体なのだか半個体なのだかわからないものが延々とモニタからあふれ出す。
それらは環に酷い不快感をもたらした。表現するとすれば、特定多数の思念がぐちゃぐちゃによりあつまった気持ち悪いもの。忘れ去られた無縁墓地なんかにたまっている悪意ににている。
「ドン引きなんだけど。神津之介が最悪だっていう意味を理解した」
恐らく智樹の目には、その思念の形をより明確に捉え、つまりそれぞれの術者の記憶に基づく中途半端に鮮明な神津之介がぐちゃぐちゃと合成されたものに見えているはずだ。無形の歪んだものより有形の、つまり有るべき姿が歪んでいる方が、視覚的に圧倒的に気持ちが悪い。
「集めるだけなら、こんなものだろ」
環はサスリクヴァの実験の結果を考える。それは配信を開始するときからずっと考えていたことだ。
サスリクヴァにとってこの試みは成功なのか、失敗なのか。
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