【短編小説(ショートショート)】ある朝の喫茶店 1700字
[HL:ゆったりモーニングを嗜む隣で突然遭遇した痴話喧嘩]
ドン、とコップを叩きつける音に、びくりと思わず隣の席に顔を向けた。言い訳すると、もともとそちらを見るつもりはなかった。
「一花、今何て」
「別れましょう。私達」
先程から周囲を凍りつかせている隣の席の痴話喧嘩はとうとう別れ話に至り、思わずトーストにバターを塗る手が止まる。隣の男女の前にもトーストとサラダのプレートが置かれている。2人ともこれから出勤という格好だ。ざわざわちらちらと2人に目をやるこの喫茶店の客もほとんどスーツ姿で、だいたいの客は仕事前の最後の癒しを求めてこの店に来ている。
当然俺もその一人。よりにもよってなぜ朝っぱらのモーニングの時間帯に痴話喧嘩をするのか、せっかくの朝が台無しだ。そんな声なき怨嗟が喫茶店中を満たしている。
「別れる理由は」
「それは……」
女の方が言いよどむ。
「悟の帰りが遅いからでしょ!」
「遅いと言ってもせいぜい20時だろ? それに付き合いがある時だけだ」
男の返答に喫茶店中がざわついた。
20時? そんな時間に帰れた試しがない。ホワイトすぎてドン引きだ。めっちゃクリーンな会社だよな。つまりこの女は地雷だ。恐る恐る顔をチラ見する。割と普通のどこにでもいそうな小綺麗なお姉さん。普通に見えて隠れている点でまさに地雷だろう。
「私と仕事とどっちが大事なの!」
その前時代的な言葉にまたまたドン引きだ。今どきそれを言うのか。その得意げで勝ち誇るような言いっぷりは、やっぱ近寄ったらいかん感満載だった。
「一花は俺に無職になって欲しいわけじゃないんだろ?」
「それは……あたりまえじゃない。でも私より仕事を選ぶっていうのね」
隣から盛大なため息が聞こえた。
「一花、前々から思ってたんだけど、俺はもう無理だよ。別れよう」
「え?」
「お前も俺と別れたいんだろ?」
「何……言ってるの?」
全く想定外だと言わんばかりのうろたえる声が聞こえた。再びちらりとみれば、女はぽかんと口を開けている。お前こそ何言ってるの、だぜ。つまりこれはたまに漫画で見るあれだ。女は男を試していたわけだ。
「あなたは私を好きだって言ったじゃない!」
「好きだけど、できることとできないことがある」
三度ちらりとみた男の顔には酷い疲れが滲んでいた。このやり取りは初めてじゃない。そんなことが一目でわかる表情。女はまさに鬼女といった様相で、音が聞こえそうなほどギリリと歯を食いしばっている。多分ここは、早く帰るよとか言って謝られることを想定してたんだろうなあ。
「別れるなんて嘘でしょ? 私を愛してるんでしょ?」
「……嘘じゃない」
「ごめんなさい! 私、言い過ぎたかも。本気じゃなかったのよ」
「本気じゃないのに別れるっていうんだ?」
男の声は冬の朝のように冷たかった。今はまだ春先だが。
「そんな、そんなの言葉の綾じゃない」
それにしても昼ドラ展開だなぁ。
どことなくドラマみたいだと思いながら時計を見ればもうすぐ9時。周りの客もそれぞれ時計やスマホを確認し、この喫茶店を出ようか出まいか悩んでいる。こんな場面に出くわすことなんて、一生のうちでもそうそうないだろう。
「一花、この話、何度目だ。俺はあと何回この話を繰り返さないといけない。こんな関係はおかしいだろ」
「おかしいのはあなたの方でしょう!」
女はバンと机をたたきながら立ち上がる。その今までで一番大きな音に、多分喫茶店中の視線は集まった。
「あ……」
「みなさんもおかしいと思いますよね」
「悟、何言って」
そう呟いて男は見回した。見回してその目線は俺と合った。
「えっと……そう、思います」
その時女が俺にくれた目線はまるでギンという音でもしそう勢いで思わず身をすくめる。ふと、殺意って目に見えるんだな、と思った。居た堪れない気分で周りを見回せば、すぐ後ろの席のサラリーマン風の男と目があった。
「え?」
「ね?」
「……はい」
その奇妙な連鎖は喫茶店中を満たし、そこかしこでざわざわがやがやと頷く気配がする。
「そんなわけで、お前とは別れる、一花。元気でな」
男は颯爽と伝票を持って席を立ち、喫茶店を出ていった。格好いい。
女は呆然として、男が喫茶店を出る音でハッと正気に帰ったようで、慌てて鞄を持って、たまたま目が合った俺のほっぺたをバチンと平手で殴って出ていった。
何で俺が?
Fin
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ラブコメの空気感繋がり。
