小説書きのための映画観測:一人称視点の映画『アスファルトシティ』
こんにちは。
いつもの140字の映画レビューとは別に、現在公開中の映画の考察をします。僕は一応小説書きなので、読書も映画もテーマはたいてい小説に使えるか、です。
そんなわけで今回は、『アスファルトシティ』、奇妙な視点の映画。一人称視点とはなんなのかを考えるために。
映画情報(From公式HP)
NY救急医療現場の知られざる〈リアル〉
犯罪と暴力が蔓延るNYハーレム。その危険地帯を縦横無尽に駆け回る者たちがいる。出動命令を受けるやいなや、命を救うために飛び出して行くニューヨーク市消防局(FDNY)の救急救命隊員だ。彼らを待ち受けるのは、ギャングの抗争、ドラッグを巡る銃撃戦、オーバードーズ、DV、言語の通じない人々の争い──まさにこの世の〈地獄〉と呼ぶべきハーレムの救急医療現場。その知られざる〈リアル〉に肉迫する、緊迫の没入型スリラーが誕生した。元救急救命隊員が書き上げた原作を基に、救急現場で闘う英雄に捧げる物語として結実した映画『アスファルト・シティ』。登場人物たちと共に衝撃の125分をくぐりぬけた私たちが、最後にたどり着く光とは──?
140字な感想:病むべくして病んだ感じ
このコーナーは考察したいから書くわけで、映画が面白いから紹介するのではない。けどこの映画は比較面白かった。著作権が怖いので中身の指摘は最小限。
考察:カメラワークの表す主観表現の方法
注意:基本的にネタバレはなるべく公式HP程度に収めるつもりではある。
注意:僕の勝手な考察なので、違うかもしれない。
今日はカメラ、視点の話です。
映画にとって当然ながらカメラワークは重要で、ほとんどすべての印象を決めるといっても過言ではない。どんなに役者がいい演技をしていても上手く撮らないと伝わらないもの。
でも最初に小説の話。
小説でも視点というのは重要で、なんか書くぞとなったときに比較的最初に悩まされるのが視点の問題。よく言われる種別としては、一人称視点、、三人称視点(一元視点と神視点)がある。一人称と三人称一元の違いは、ラノベ界隈に限れば主語を"俺様は"にするか"剛田武は"にするかくらいしか感じないことも多い(若干焦点距離が違う)けれど、詳しくは解説サイトたくさんあるのでどうぞ。
なお二人称視点はゲームブックだと思う。
「あなたはサイコロを振った。おおっと!」
で、映画の話に戻ります。
ほとんどの映画は三人称視点で描かれている。
カメラは登場人物の見ているものに沿うように動くと同時に登場人物自身もそのフレームの中に収める。登場人物が映っているのだから登場人物の視点とは少しずれるのが通常だ。だから映画の中の視点(中心)は基本的にスーパーマンにあるとしても、「俺は街を歩いている」ではなく「彼は街を歩いている」である。画面の中に登場する人物の視点はカメラではない。
仮に一人称視点の映画というものを考えるなら、一人称である主人公は基本的に画面に出てこないはず。画面に映って第三者として認識しうるなら、それは一人称ではない。それに小説では地の文に落とし込める主人公の考えも、始終画面を通してぶつくさ喋らせるわけにはいかない。
例えばアクション映画の戦闘シーンで主人公が必殺技名を叫ぶことはあっても「今だ敵が隙を見せた」とか戦闘中に心の声を音声に出すことはいし、恋愛映画の告白シーンでも「フラれたらどうしよう」とか直接心の声を聞かせたりはしない。エスパーじゃないんだから画面の中に出てくる人間の心の声が聞こえたりはしない。
注目するポイントにカメラをフォーカスさせるとかの手法もアリだけど、映画で複雑な心情を語りたいときは、たいていはその前のシーンで友人やら周囲の人物に予め語ったこれまでの行動で示したりして、その時的継続を利用して戦闘したり告白したりする。つまり「彼は常々彼女が好きだった」ことを第三者的に画面に表示する。
POVは一人称だと思われがちだけど、基本的には同様だ。
最初に大きく成功したブレア・ウィッチ・プロジェクトから急速に増加したPOVは、手ブレという通常忌避されるようなカメラの動きでホラーの臨場感を表す手法の一つとなっている。けれど基本的には一人が物言わぬカメラマンとして、他の登場人物を映すことが多い。カメラを映している人間の視点になるときはあっても、「怖い怖い怖い」等のセリフに単純化したりひたすら叫びまくるという形で心情を表現する。ここで複雑に考察したりしちゃうと恐怖という言葉にならない感情が抜けてしまって怖さがなくなる。
ドキュメンタリーなんかは徹頭徹尾カメラ視点のみで他者に対するインタビューとして進み、主観的人物(監督)が出てこずナレーションだけで構成される映画もあるけれど、ドキュメンタリーでなければ一人称視点で映画を構成するのはとても大変だ。
そんなわけで一人称を地でいけるのはブッ殺そうと思ったらブッ殺してるプロシュート兄貴(地の文がない)か、ブツブツ一人語りし続けるジョーカーの一場面とか特殊な場面に限られる。
しかしこの『アスファルト・シティ』は今までになく一人称な映画と感じた。本来書き込めるはずのない地の文をカメラワークで表現しているように見える。
カメラは基本的にシェルダンを追う形でシェルダンを画面に収めたり収めなかったりしながら進行していくのだけれど、この映画のカメラが見せているのはシェルダンの行動ではなく、心の動きだと思う。
①新米救急救命員であるシェルダンが初出勤する。
この時、その興奮や不安によって画面はまるでPOVのようにゆらぎぼやけ、そのうち喧騒から切り離されて救急車に入って落ち着けばようやく手元や周囲の解像度が上がる。
②同僚とバディを組みつつ、救命二十四時のように次々と通報案件が飛び込み、それを処理していく。シェルダンの前に息つく間もなく次々と現れる負傷者は、ときにはシェルダンを糾弾し、シェルダン自身を追い詰め病んでいき、バディとの関係についても事件がある。
その中でカメラのアングルはどんどん下を向き(ハイアングル)焦点距離は狭まり続ける。
なお、この映画はバックドラフトのように現代ヒーローを輝かしく劇的に描くのではなく、あくまで一人の弱さを持った人間として描き、絵面上はスカっとするどころか淡々と描写している。この淡々として対象物と距離をおいたような描写となっているのは、そのままシェルダンが感じた離人感または現実感消失症状を表しているんじゃなかろうか。
③ある事件をきっかけにシェルダンは前向きになり、エンディング。
救いを得た後のエンドロールのカメラのアングルは唐突にやや上を向き(ローアングル)焦点距離も遠くなり視野が広がり世界が明るくなる。
ここで注意したいのは、人の主観を現すためにはその心情の吐露以外の方法があるということだ。
人は落ち込むと下を向き、喜ぶと上を向くものである。焦れば焦点がおぼつかず、冷静になると視野が広がる。この主人公の主観ともいえる感覚をカメラワークとしてやっている。つまりこのカメラは主人公シェルダンの心の動きを反映して物事を映し出している。
それを前提に考えてみると、途中で妄想なのか判断がつかないシーンや見ていないはずの相棒が映る場面があるのだが、これらはシェルダンの脳内で巻き起こっている映像とも考えられる。何故なら、その映像は事実としてではなく、シェルダンの考えるありうる可能性として描かれているから。
これは小説であれば「本当はこうなんじゃないか」という内容で創造として地の文で書かれそうな内容だ。そう考えれば回想が始まるタイミングも実に的確にカットインされている。それからこの映画はある程度宗教的な視点もあるのだけれど、それもシェルダンの内的表現(意識の向く方向)と考えれば、どのタイミングで何に救いを求めているのかというのがちょうどいい配分で出ていることに気づく。
そんなわけで、これは主人公自体を画面に収めているのにその視点は主人公の心象風景として一人称的に描かれるというとても奇妙な映画だった。
ただし僕もこの映画は1回見ただけなので、ひょっとしたら勘違いかもしれないんだけど、まあ別に勘違いだってそれはそれでかまわない。こういう表現の仕方があると気が付いたことに意味がある。
つまり小説においても一人称視点でも主人公の心情を地の文で書く以外の方法が存在するということだ。地の文で全く書くことなく風景の見え方(明度や彩度)や音の聞こえ方(大小や協・不況和音)、あるいは視点誘導の順番によって表現することができる(でも思考過程は地の文で書いてあげて)。僕は登場人物の視点の高さを設定することがたまにあるんだけど、一人称だと何を見ているかによって性格づけができたる。このカメラと同様の語り口で主観を広げていくと、表現が広がると思う。ただバトル系のラノベだとあんまり向かないかなぁ。戦ってると焦点は極端に狭まるので他の描写を入れる余地はあまりない。
逆に三人称視点では使いやすく、ある特定の人間がみたフィルタリングされた風景を示すことで他の人間であれば気づくはずの視点をカットするなどで、叙述トリックを作ることができる気がする。
前々からちょっと試しているところではあるのだけど、もちっと活用してみたい。
あとがき
この間読んだ論文で、次の本雑綱目の予定の内容なんだけど、人は他人の様子を観察するときに目で見て把握する以上に自分の体感としてその動きをトレースするという話があって結構面白かった。
それで例えば恐怖を描写するときも、人の取りうる行動自体を描写することによって臨場感があるんじゃないかと思って試してる。例えば思わず目をそらしたり、無意識に両腕をこすっていたりだ。これを心情にくっつけてピンポイントで描写すれば臨場感があがるんじゃないかなって。
そんな感じでたまに今公開中の映画の考察をしてみるです。
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