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【山の心得】~山・衝動編~

こんにちは!!ミズです!!!

僕は今、田舎の山の上で木を伐り、山を開き、畑にしようとしています。
狩猟も始めようと考え、将来は食料自給率を100%近くまで上げられたらいいなと思いながら、毎日土を触り、自然と向き合う日々を送っています。

そんな生活を始めるきっかけは、「田舎で自給自足暮らしをやってみたいから!」という単純な理由なのですが、先日まで居た東南アジアをバックパッカーとして旅した経験がさらに気持ちを後押しする一つになった事は間違いありません。
旅の途中では貧困の中で生きる人々の姿を何度も目の当たりにしました。
多くの人がその日暮らしで「日銭」を稼いでいます。
裸足の子どもたちが笑顔で手を振り、古びた服を着た大人たちが、夕暮れの路上で笑い合っている。彼らは明日の保証もないのに、なぜか日本の都会で見る人々よりもずっと幸福そうに見えました。

その光景を見て、僕の中で何かが変わりました。
お金さえあれば幸せになれる・・・そう信じて疑わなかった自分の価値観です。日本では「人と同じであること」が安全で、「安定していること」が正解とされます。でも、そこに本当の豊かさはあるのか。
東南アジアでは、皆が違いを受け入れ、陸続きの文化の中で他者と自然に混ざり合いながら生きていました。一方で、日本のような島国は閉鎖的で、新しい価値観を受け入れるのに時間がかかります。
その違いが、どれほど“生きやすさ”を左右しているかを痛感しました。

そして今、僕は日本の山の中で暮らしながら、その問いの答えを探しています。木を倒し、土を耕し、畑を作る。
それは単なる自給自足ではなく、「豊かさとは何か」を自分の手で確かめ直す行為だと思っています。あの旅で見た“日銭の幸福”と、今この山で感じる“静かな充足感”は、どこか同じ線の上にあるような気がします。
でも、その先にある本当の豊かさが何なのか・・・僕はまだ見つけられていません。

だから今日も、木を伐り、土を耕しながら、ここに豊かさを見出せる日を探しています・・・。
将来畑が出来上がって野菜が収穫できた時、狩猟鳥獣が捕れたとき・・・。そんな時に豊かさを見出せるのかもしれません。


【山の心得≪126≫】~山・衝動編~

という訳で今回は衝動に関して記事にします。

定期的に山に行かないと気持ち悪くなる心理

登山を続けていると、ふとした瞬間に気づくことがあります。
「最近、山に行ってないからなんか落ち着かない・・・。」そう、まるで体のどこかがムズムズするような、何とも言えない“禁断症状”のような感覚です!!まさに今の僕がそうなんです。
この「山に行かないと気持ち悪くなる」状態は、単なる趣味の延長ではなく、心理的な構造に裏付けられた“自然依存”のようなもの。
今回はその背景を掘り下げていきます・・・。

① 心のリズムが“山周期”になっている

登山を習慣にしている人の心には、すでに「山周期」と呼べるリズムが形成されています。それは、仕事や生活のリズムとは別に存在するもう一つの内部時計のようなものです。人間の体内時計(サーカディアンリズム)が太陽の光によって調整されるように、登山者の心は“自然の時間”によって整えられています。登山に行くことで心のメトロノームがリセットされ、次の一週間、あるいは一ヶ月のリズムを刻み直す。
そのサイクルを繰り返すうちに、山へ行くこと自体が「精神の呼吸」になっているのです!

この「心の呼吸」が滞ると、息苦しさや焦燥感として現れます。
日常生活では、仕事・人間関係・情報の渦に飲まれて、感情のリズムが乱れがちです。山はその乱れを調律する場所・・・。
静けさの中で呼吸が深くなり、体内の緊張が解けていくことで、脳波もアルファ波優位に変化します。登山を習慣化した人の脳は、一定周期でこの「自然調律」を必要としており、行かない期間が長くなると、まるで酸素が薄くなるように“心の不快感”が蓄積されていくのです!
これが山周期がズレたことによる不快感の原因です。


② 自然の刺激が足りない「感覚の飢餓」

都市生活は、情報刺激が過剰な一方で、自然刺激が圧倒的に不足しています。登山では、足裏に伝わる地面の凹凸、風の冷たさ、木々の匂い、鳥の声といった“五感全開の情報”が絶えず脳を刺激します。
これらはデジタル情報とは異なり、リズムや変化が滑らかで、脳の神経ネットワークに穏やかに作用します。一方、都市の刺激は人工的で断片的。
信号音、広告、スマートフォンの光と通知音。
それらは五感を常に緊張状態に置き、神経系を過敏にさせます。登山者が山でリセットを感じるのは、五感が本来の環境条件を取り戻すからです!
まさに”デジタルデトックス”というやつですね!

「感覚の飢餓」は、目には見えないストレスとして積み重なります。
人間の脳は、本来“自然のゆらぎ”の中に最も快適さを感じるようにできています。たとえば、木漏れ日や川のせせらぎには「1/fゆらぎ」と呼ばれるリズムがあり、心拍や脳波と共鳴することで深いリラックス状態をもたらします。他にも、焚き火のゆらぎを見ると妙にリラックスしませんか?
あれも「1/fゆらぎ」と呼ばれるリズムなのです。
しかし、そのリズムが遮断されると、無意識のうちに“足りない”という信号が脳内で点灯します。それが「なんとなく落ち着かない」「気持ち悪い」といった違和感となって現れるのです。
つまり、山に行きたくなるのは意志ではなく、感覚を取り戻そうとする生理的欲求。それは、喉の渇きや空腹と同じレベルの“自然への渇望”なのです!


③ 登山による“脳の報酬系”の再活性化

登山は、脳の報酬系を強く刺激する行為でもあります。
登り始めの苦しさ、息が上がる感覚、そして山頂に立った瞬間の達成感。
このプロセスの中で、ドーパミン・セロトニン・エンドルフィンといった神経伝達物質が分泌され、脳は快感を記憶します。
特に“苦痛を乗り越えた後の快楽”は中毒性が高く、脳が「この流れをもう一度体験したい」と学習するのです。そのため、しばらく登らないと脳の報酬サイクルが止まり、無意識に“刺激欠乏”を感じるようになります。

さらに、登山は他の運動と違い「自然」「危険」「自己完結」の3要素が同時に存在する点が特徴です。山頂に立つとき、人は「やり遂げた」という達成感と同時に、「生きている実感」を強く得ます。じつは考えたことがなくても実は・・・本能レベルで感じているのです。
その瞬間に活性化するのが、脳の前頭前野と扁桃体。前頭前野は自己制御や思考を司り、扁桃体は感情の処理を担います。
この2つが山で同時に刺激されることで、心のバランスが取れ、「リセットされたような心地よさ」が生まれるのです。
逆にこの報酬ループを長期間断つと、脳は報酬ホルモンの分泌量を下げ、意欲や集中力が低下していきます・・・。
つまり「山に行かないと気持ち悪い」は、脳が快感のサイクルを再起動させたがっているサインとも言えます。

もう一つ見逃せないのは、「登山仲間」「山小屋」「登頂記録」といった社会的報酬です。他者との共有体験や承認もまた、脳の報酬系を刺激します。
この社会的要素も含めて、登山は“人間のあらゆる報酬経路”を満たす行為。
そのサイクルが習慣化すれば、行かないこと自体が“脳的に落ち着かない”状態になるのは当然なのです。


④ “自然との同調感覚”の欠如

山にいるとき、人は自然と同じテンポで呼吸をしています。
風の音に合わせて呼吸がゆっくりになり、歩幅が一定になり、心拍が穏やかに落ち着いていく。この“自然との同調”が起きているとき、脳は深い安定状態にあります。心理学的には「セルフ・トランセンダンス(自己超越)」と呼ばれ、自我が薄れ、環境と一体になる感覚です。
それが登山者にとっての「無心」や「整う」という感覚の正体です。
ちなみに「セルフ・トランセンダンス(自己超越)」とは自分という枠(欲望・利己・エゴ)を越えて、より大きなものとつながる体験や意識の状態を言います。

山に行かない期間が長くなると、この同調感覚が失われます。
都市の時間は速く、情報の流れは断続的。周囲のペースに合わせようとするうちに、呼吸は浅く、思考は断片的になり、身体のリズムが自然の波から外れていきます。そのズレが「なんとなく不調」「理由もなく落ち着かない」という感覚として現れるのです。
人間の生理機能は自然のリズムと連動しており、日照や湿度、気圧の変化にまで影響を受けています。つまり、山に行かない期間が続くほど、自然との“同期”が解けてしまう。心身が「本来のリズムを取り戻したい」と求める結果、無意識に山を欲するのです。

山にいるときの心拍は、自然音と同じリズム帯に収束します。
特に樹林帯を歩くときの呼吸ペースと、風が木々を揺らす周期は近く、知らず知らずのうちに同調しています。この微妙な同調状態が、人間の神経系を落ち着かせ、瞑想にも似た効果をもたらします。
だから、山に行かないと気持ち悪く感じるのは、外界とのズレを感知している身体のアラートとも言えます。自然とのリズムを取り戻すために、脳と身体が「そろそろ行け」と指令を出しているのです!
こうやって科学的に考えると、人間の無意識ってとても深いですよね。


⑤ 山が「自己確認の場」になっている

登山を続けている人にとって、山は単なる目的地ではなく「自分を確認する場」になっています。日常では、仕事や人間関係の中で“他人の中の自分”を演じる時間が圧倒的に多いものです。社会の中では、立場や肩書きが行動を決め、周囲の期待によって自分の価値を測りがちです。
しかし山では、その外側の装飾がすべて剥がれ落ちます。
疲れれば立ち止まり、怖ければ進めず、空腹なら食べる・・・人間としての等身大の自分が、ありのまま露わになるのです!

この「原点の自分」と向き合う時間こそが、登山が持つ最も深い魅力です。
たとえば、山頂で息を切らしながら見上げた空の青さに、言葉を失う瞬間。
そこには、他人との比較も、承認も存在しません。ただ「自分がここまで来た」という事実だけがある。その確認が心に強烈な安定をもたらします。
日常で迷いや不安を感じたときほど山を欲するのは、心が“自分軸の再確認”を求めているからです。山は、外の世界で擦り減った自分を「もう一度、正しい位置に戻す場所」と言えます!
あなたも感じたことがありませんか・・・?
「ふと、急登を必死に登り切り尾根に出た瞬間絶景が広がる・・・そして何もかもどうでもよくなる・・・。」
それがまさに、心が“戻っている”ということなのです。


⑥ “静寂”への依存

登山者の多くが無意識に求めているのが、“音のない世界”です。
山では、風の音、鳥の声、川の流れ・・・それ以外は何もありません。
その“静寂”の中に身を置くと、最初は物足りなく感じます。
しかし数時間もすると、耳が自然音のリズムを拾い始め、やがてその中に心地よさを見出すようになります。この状態に慣れると、街に戻ったときに気づくのです。
「常に音に囲まれていると、頭が休まらない」ということに。

脳科学的にも、静寂は脳の回復と密接に関わっています。
人間の脳は、一日に膨大な情報を処理し続けています。静寂の中では、外部入力が減ることで脳のデフォルト・モード・ネットワークが活性化し、記憶や感情の整理が行われます。つまり、静寂とは“思考の掃除機”。
登山者が山で感じる心地よさは、単に自然の癒しではなく、脳が“ようやく整理の時間を得た”という安堵なのです!

この状態を繰り返し味わうと、脳は静寂を必要とするようになります。
無音の時間がないと、情報が詰まり、思考が濁り、心がざわつく。
これが「静寂への依存」と呼べる現象です。
登山を続けるほど、山の静けさが“心の平衡を保つための条件”になっていきます。だからこそ、久しぶりに山に行くと「やっと静けさを取り戻した」と感じるのです。
何も音の無い静かなテント場で満点の星空を見ながらゆっくり飲む珈琲やお酒・・・。まさに思考が整理されている瞬間です。


⑦ “原点回帰”の欲求

人間の脳は、進化の大部分を自然の中で過ごしてきました。
火を囲み、風の音を聞き、太陽とともに活動し、夜は闇に包まれて眠る。
その長い歴史の中で、自然環境こそが「生存の前提」としてDNAに刻まれています。現代社会において、人工的な光と騒音に囲まれた生活が続くと、脳は“環境的な異常”として認識します。
その違和感を補正しようとする働きが、「自然に戻りたい」「山へ行きたい」という感覚として表に出てくるのです。

つまり、登山者の“山欠乏”とは、DNAレベルで進化の記憶を取り戻そうとする反応でもあります。コンクリートの上で暮らすことに慣れた現代人でも、森の匂いを嗅ぐとどこか懐かしさを感じる。焚き火の炎を見つめると、理由もなく落ち着く。それは遺伝子レベルの記憶が反応している証拠です。
人間は自然から切り離されることで一時的に豊かになったように見えても、長期的には“心の土壌”が枯れていく。だからこそ、ときどき山へ帰る必要があるのです。それは逃避ではなく、自分の起源へ帰る行為
山は、現代における「心のふるさと」なのです。
さて、そろそろ山に行きたくなってきたのではないでしょうか?
いや・・・焚き火をしたくなりましたか?


⑧ 山は「心の掃除場」

山に入ると、余計な思考が削ぎ落ちていきます。
登り始めはまだ仕事のことや人間関係のことを考えていても、急登に差し掛かる頃には、頭の中は「あとどのくらいで頂上か」「水は足りるか」などのシンプルな問いしか残らない。体が極限まで疲れると、思考は自然と整理され、どうでもいいことが消えていくのです。これが、山が“心の掃除場”と呼べる理由です。

前述しましたが、脳の中では、登山によって「扁桃体の活動抑制」と「前頭前野の活性化」が同時に起こります。
これはつまり、感情のノイズを抑え、理性と冷静さが戻ってくる状態。
怒りや不安といった感情は、動かない環境でこそ膨らみます。
一方、登山のように一定のリズムで体を動かしていると、感情は自動的に“沈静化”していく。歩くこと自体が、精神の掃除になっているのです。

さらに山では、景色や音の変化が“思考の整理棚”のような役割を果たします。険しい登りでは自分と向き合い、稜線では俯瞰的な視点を取り戻す。
下山では、疲れとともに不要な感情を落としていく。
それぞれのフェーズが、心理的なクリーニング工程として作用しています。
下山後に「心が軽くなった」と感じるのは、まさに“掃除完了”のサインです!


⑨ まとめると

人間の体が代謝によって老廃物を排出し、健康を維持するように、心にも同じ働きが必要です。
その役割を果たしているのが、登山という行為です。
山に行くことで、滞っていた感情が動き、思考が巡り、エネルギーが循環し始める。これこそが“心の代謝”です。
山へ行かないと気持ち悪くなるという感覚は、この代謝が止まっているサインでもあります。

日常では、誰かに合わせ、情報を浴び、感情を抑え込む。
その結果、心の内部に老廃物のようなものが溜まっていきます。
それを一気に流し出す装置が山。汗をかき、息を整え、空を見上げる・・・この一連のプロセスは、精神の血流を再び流す行為に他なりません。
登山者が山に依存するのではなく、山が人間を正常に戻しているのです。

体が水を求めるように、心は自然を求める。
それを無視して都会で過ごせば、やがて心が詰まり、息苦しくなる。
だからこそ山は、現代人にとっての“精神の腎臓”と言える存在です。
汚れを溜め込む前に、定期的に浄化し、流し、再生する。
それができる場所は、もはや山以外にはないのかもしれません!
是非今週末は山に行きましょう!紅葉が色づいてとても綺麗ですよ!

という事で今回の【山の心得】は
「山行きたい衝動!を科学的に考えてみる!」
と言う事に関して記事に致しました。

今回も最後までご拝読頂きありがとうございます!

また次回もご拝読頂けると幸いです。!

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前回の記事はこちらになります!
【山の心得≪125≫】~狩猟鳥獣とワナ編~
是非読んでみてください!


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