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「俺たちの昭和後期」と『昭和100年祭』のプロデューサーは同一人物なのだから、めいっぱい走る走る!!

ネガティブでまみれた前回万博

開催前のネガティブ大キャンペーンがウソのように、盛り上がりを見せている大阪万博である。このキャンペーンがあったからか、実は55年前も同様だったことはあまり報道されなかった。だってね、ネガティブを押し込みたい方々から見たら、先の万博がそれら報道を跳ね除けて大成功となったと言いたくないでしょう。ちょっと意地悪かな。

昭和45年の日本は、深刻な公害問題の只中にあった。世界的にも、ベトナム戦争が泥沼化していて「人類の進歩と調和」とか言ってる場合じゃねえだろと、今回同様に批判にさらされていたのだ。この辺は拙著「俺たちの昭和後期」で書き切ったわけだが、『昭和びと秘密基地』及び、『note』読者さんとはいえ、この狂気の書は読んでいない方も多いだろうから、PR兼ねて持論展開する。

五輪より万博はハイレベルの運営!?

メディア出演でも吠えまくってるネタがいくつかあり、その大きなひとつが大阪万博と三島由紀夫の割腹自殺による社会の大地殻変動だ。

昭和39年の東京オリンピックは、戦後復興から完全に立ち直り、インフラを世界基準にまで整えて臨んだイベントとして、その意義はとてつもなく大きかった。が、これは競技会なのである。乱暴だが、ピストルと競技者が揃えばコンテンツは完成する。

他方、万博はそうカンタンではない。でっかい箱に大小のコンテンツを突っ込んで成立させるエンタメイベントだ。ソフトをより魅力的に見せる演出なども含み、コンテンツ王国ジャパンへと舵を切らせたイベントだと位置付けた。昭和45年3月15日より始まった大阪万博には、183日間で6,421万人が動員されたのだ。ちなみに今回の万博は現在までで、2,000万人以上を動員している。

軽薄短小時代を引き寄せた皮肉

三島由紀夫が割腹自殺した年でもある。万博と並び、日本の方向性にとって大きなチェンジャーとなった事変とした。イデオロギーの衰退へと強く舵を切らせた。これをこのブログで書き切るのは、膨大すぎて困難だからご興味ある方はぜひ著書をご一読くだされ。

簡単に言えば、70年安保の11月25日に腹を切ってまで訴えた三島の武士道は、届くことなく右派左派双方を鎮静させてしまった。これより軽薄短小志向の若者たちがトレンドリーダーとなっていき、バブルまで一気に上り詰めた。万博によってエンタメのすばらしさを知ったから尚更だ。世の中を楽しませることに、日本中が邁進したのだ。昭和45年は戦後日本の最も大きな変革があったと位置付けて、敗戦までの昭和初期を経た、昭和中期の終焉だと位置付けたのだ。

昭和に横たわる多くの赤い糸

そして迎えた昭和46年から終焉までを、昭和後期と呼ぶ持論を形成した。それにしてもだ、昭和には多くの赤い糸の引き合いが多くある。以前は昭和33年の赤い糸を書いたことがあるし、昭和は始まりと終わりの両サイドが7日間と、奇しくもと呼ぶにふさわしい偶然も横たわる。

三島は1925年生まれで今年100歳を迎えた。元号として今年迎えた昭和100年に、再びの大阪万博で盛り上がっている。2つのチェンジャーが奇しくも交差しているではないか。これら昭和という奇跡の時代がやはり、偶然でなく引き合っているのだと考えてしまう。昭和ジャンキーの性である。

そんなミラクルの数々を愛情たっぷりに綴っているから、昭和ジャンキーの方々はぜひ読んでいただきたい。そして読んでくださり、賛同いただけた方とは繋がって、昭和を未来へと繋げたい。昭和200年へと向けて、昭和カルチャーを大切にしながら創造してゆくことことを目指した『昭和100年祭』のプロデューサーと、なんと筆者は同一人物だからだ。何を今更、へへへ!!

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