サロン楽屋話072:『求めない練習』がテニスにも効く理由
快楽は「苦しみが癒えた差分」にすぎず、純粋な快楽は存在しない──そんな仏教的視点から『求めない練習』に目を向けると、この本のタイトルがじつに腑に落ちます。収入も温泉も、慣れればすぐ苦に戻る。だから「求めない」は、自分を守る術。テニスも同じで、求めるほど増える雑念。求めなければ集中が深まり「何でもないようなことが幸せだった」と思う物語。
▶『求めない練習』という本
この書籍紹介記事は、的を射ています(先に言っておくと、私は本を読んでいません)。
「一の苦痛は十の快楽と同じ力を持つ。」
のだといいます(ダイヤモンド社書籍編集局)。
ただひとつ見落としているのは、「一切皆苦」に照らし合わすと、快楽は「錯覚」という視点です(関連記事「『苦しいのは普通』という前提が、私たちを救ってくれる」)。
▶「気持ちいい」のは、苦しみが癒えた差分
快楽は存在しないからこそ、意識しにくい。
『求めない練習』に倣えば、苦痛に比して10分の1。
というよりもそもそも、ない。
苦しみが癒えた差分を快楽と「錯覚」するのであって、純粋な快楽は、この世のどこを、どんなに探してみてもなくて、あるのは痛い、寒い、暑い、かゆい、足りないなどといった「苦しみだけ」というむき出しの事実。
お金持ちになったら気持ちいいと思うかもしれないけれど、それは貧乏だった苦しみが癒えた差分による錯覚です。
例を挙げます。
▶収入が増えても満たされない
10万円の月給が20万円になったとする。
当初は嬉しいけれどそのうち慣れて(飽きて)、20万円では満足できなくなるのが人間(欲)です。
あまつさえ今度は15万円に減らされたら、当初の10万円より多いにも関わらず、大変な「苦しみ」を感じるのです。
「もったいない!」「損した……」「なぜだ?」と。
増えるときには「なぜだ?」などとは、1ミリも疑いはしませんのに(笑)。
▶お金だけではない「苦しみの正体」
お金だけではありません。
温泉に浸かって気持ちいいと思う。
それは、凍えた寒さの苦しみが前提としてあるからです。
それが証拠に、気持ちいいからといって1時間も2時間も、浸かり続けてごらんなさい。
今度は大変な苦しみを覚えるはずですよ。
苦しみしかない。
それが癒えた差分を気持ちいいと感じる錯覚があるだけです。
▶求めないのは「我慢」ではなく、自分を守る術
だからこそ、『求めない練習』というタイトルは秀逸なのです。
快楽を「求めれば」、その裏にある苦を引き寄せる表裏一体だから、求めればつまるところ「苦しむ」というわけです(関連記事「フェデラーは光、イチローは影──その『表裏』が人を強くする理論編」)。
既出『アンパンマン』の作者、やなせたかし先生の言と同じ。
幸せの中にいる時は「幸せ」はわかりません。
不幸せになった時、「幸せだった」とわかるもんなんです。
裏を返して言えば、幸せを感じるには、「まず不幸せになる必要がある」というむき出しの現実(いやはや)。
「練習」、というタイトルもいい。
練習しないことには、求めないようにしようと頑張っても、できるようにはならないのですから。
▶テニスが上達する「たった2つ」
『求めない練習』、よく見たらその帯にはこうあります。
「何のために生きる?」
奇しくもやなせ先生と似たテーゼを投げかけました。
私自身は、生きる意味など「ない」と思っていますが、強いて言えば、こちらで述べたテニスをやるのも人格向上のため。
とはいえ人格が高まったら、テニスが上手くなるわけではありません。
テニスが上手くなるには、現実に対するイメージのズレをなくして、あとはボールに集中する「たった2つ」を満たせば、事足ります。
それでも生きる意味はないから、ただ人格向上に努めたらどうなるかの「実験」なのです(関連記事「体を通じた『実験』が面白い」)。
もちろん、何が面白くてわざわざ人格向上に努めるのかといえば、今が低いからに決まっています。
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero
